このコンテンツは、東京大学創立130周年記念事業の一環です このコンテンツは、東京大学創立130周年記念事業の一環です

東大農学部の歴史 東大農学部の歴史

明治・大正時代の絵はがきから

農場から農科大学全景農場から農科大学全景

温室温室

獣医学教室獣医学教室

農学教室農学教室

林学教室

農芸化学教室

農業教員養成所の教室
右端の建物は開校以来、事務室として使われていた。

農学部正門

農場の一部

牧舎の一部

構内通路
現在の一二郎池に沿った道と思われる。


昭和の初めの風景

農場詰所農場詰所
前田邸に移管されたころの写真。

昭和の初めの駒場全景昭和の初めの農科大学全景
農場詰所から東方向を撮影。

昭和の初めの農場展望昭和の初めの農場展望
農場詰所から南西方向を撮影。手前の建物が農夫舎、中央の建物が養蚕室、左端が資料置場、その奥が畜舎(昭和2年の建物配置図より)。

温室温室

物理学教室物理学教室
奥に見えるのが農芸化学教室。

解剖生理学馬学教室解剖生理学馬学教室
この建物は、現在の教養学5号館の位置にあり、一高の5号館(寮務室など)として、さらに戦災を免れ教養学部でも5号館に利用されていたが、昭和46年に取り壊された。右側の平屋の建物は解剖学及外科手術実習室。ちなみに、駒場のこの獣医学の建物は弥生移転後、一高の寮務室になり、逆に、弥生では、一高の寮務室だった建物が獣医学教室に使われた。

昭和42年ごろの教養学部5号館(旧解剖生理学馬学教室)
教養学部で利用されていたときの解剖生理学馬学教室。農学部の木造の教室の中で、最後に残った建物である。東京大学卒業アルバム1969年より(東京大学総合図書館蔵)。

農学部構内略図農学部構内略図
獣医学教室の前にあった構内略図。昭和8年ごろの撮影で、当時、すでに駒場の農学部の敷地のうち、農場部分は移管されていた。

動物学並水産動物学教室動物学並水産動物学教室
「大東京写真案内」(博文館新社, 1990年、1933年の復刻版)より許可を得て転載。同書には「帝大農学部」の写真として紹介。説明文には、「江戸時代、鶉狩雉狩で知られた駒場野、そこに通称駒場の農大でとおった帝大農学部がある。近く永年住み慣れたこの地を棄て本郷の一高と入れ交わるという話。」とある。手前の建物は動物学並水産動物学教室。写真奥に見える一高の時計台の建設のため、同教室の東半分(向かって左半分)は取り壊された。

農業教員養成所農業教員養成所
昭和の初めに建てられた農業教員養成所の新校舎。右側手前から、教室及実験室、東教室、さらに中央奥の黒っぽく見える建物は教員詰所。左側の建物は西教室。これらはそのまま農業教育専門学校に引き継がれた。中央左奥に小さく見える三角屋根は、前田邸洋館のものと思われる。

花桜の駒場運動場
春は花見・遠足の場にもなった。

学生生徒控室学生生徒控室
開校当初、植物医科教室として建てられた建物は、その後長く官舎として利用され、明治40年代初めには、寄宿舎の北側に移築されて学生生徒控室として利用された。写真の建物がこれに相当すると思われる。写真は「東京大学農学部農業工学科八十周年記念誌」より。

第一寄宿舎第一寄宿舎
明治10年9月に竣工した開校以来の建物。昭和の初めごろには、そのほか、第二、第三、第四寄宿舎(すべて平屋)があった。

弥生移転のころの並木道(弥生道)
昭和10年か11年の冬の風景。

昭和9年発行の京王電鉄沿線案内
帝大農学部と一高が併記され、駒場のグラウンドも記載されている。当時の「東駒場」と「西駒場」の駅名も見える。「東駒場」は一高移転後の昭和10年8月10日「一高前」となった。京王電鉄より提供していただいた。


大正から昭和にかけての卒業アルバムから

温室内部温室内部

測量測量

大根畑大根畑

薬剤散布薬剤散布

乳牛牧場乳牛牧場

綿羊の群れ綿羊の群れ

馬耕馬耕

農芸化学教室農芸化学教室

農学実験農学実験

農芸化学実験農芸化学実験

解剖実習解剖実習

動物慰霊祭動物慰霊祭

蹄鉄実習蹄鉄実習

講義風景

寮生活寮生活


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