東京大学と石川県立大学は、韓国の浦項工科大学、デンマークのコペンハーゲン大学との共同研究により、イネ体内の鉄輸送に働くニコチアナミンの合成を強化することによって種子中の鉄含量が高いイネを作出し、この鉄分豊富なコメが貧血症からの回復に効果を示すことをマウスで実証しました。世界人口の半分にのぼる鉄欠乏性貧血症の克服に貢献することが期待されます。
鉄はすべての生物にとって必須な栄養素であり、ヒトでは鉄が不足すると貧血症になります。WHO(世界保健機関)の報告では、世界人口の約半分が鉄欠乏による貧血症といわれ、特に途上国で深刻ですが、先進国においても頻度が高く、我が国もその例外ではありません。日本人女性の18.7%が鉄欠乏性貧血とされ、40代女性では26.3%に達しています。また成長による鉄需要が高まる小児期は鉄欠乏性貧血の高発時期であり、乳幼児の鉄欠乏は知能、運動能、行動に異常をきたすため、鉄欠乏の予防はヒトの健康にとって大変重要です。世界人口の半分はコメを主食としていますが、コメの鉄含有量は低く、また精米によってその多くが失われるため鉄欠乏症になります。したがって、コメの鉄分、特に白米の鉄分を高めることができれば貧血症の予防に大きく貢献することが期待されます。
植物の可食部の鉄含有量を高めるためには、まず土壌中からの鉄の吸収を高めることが重要であると同時に、鉄の体内移行も促進しなければなりません。土壌中の鉄を吸収して利用するために、イネ、ムギ、トウモロコシなど主要な穀物が属するイネ科の植物は、キレート物質の「ムギネ酸類(注1)」を根から分泌して、土壌中の鉄を可溶化して吸収するキレート戦略をとっています。ニコチアナミンはムギネ酸類の生合成中間体ですが、ムギネ酸類と同様に鉄をキレートすることができ、植物体内の鉄輸送において重要な働きをします。
ニコチアナミン合成酵素(注2)遺伝子を高発現させることによって、ニコチアナミンの合成能力を高めて鉄輸送能力を強化し、白米の鉄含有量が3倍に増加したイネを作出しました。これらのイネでは、ニコチアナミンだけではなくムギネ酸類の合成量も増加していましたので、鉄輸送の強化に加えて、土壌からの鉄の吸収も強化されていると考えられます。また、通常コメ中の鉄の多くは利用されにくい「フィチン酸鉄」として存在しますが、作出したイネでは増加した鉄が生体に利用されやすい「ニコチアナミン鉄」として存在することも明らかになり、食品として鉄の供給にさらに効果的であると考えられます。この鉄分豊富なコメが実際に貧血症からの回復に効果があることを、マウスへの投与実験により証明しました。
これらの成果は、イネだけでなくコムギやトウモロコシなど他の主要な穀物にも応用でき、世界中の貧血症の克服と予防に大きく貢献することが期待できます。また、ニコチアナミンはイネ科以外の植物も含めてすべての植物に存在しますから、鉄分が豊富な高い栄養価の食品(ダイズや野菜など)を作ることにも貢献できます。
なお、本研究の一部は科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(CREST)「植物の鉄栄養制御」、文部科学省特定領域研究「植物の養分吸収と循環系」の支援により行われたものです。
米国科学アカデミー紀要
Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS), USA
2009年12月22日号に掲載
他の共同研究者
Sichul Lee, Un Sil Jeon, Seung Jin Lee, Yoon-Keun Kim, Gynheung An
(韓国 浦項工科大学)
Daniel Pergament Persson, Soren Husted, Ian K. Schjorring
(デンマーク コペンハーゲン大学)
Rice
第2巻4号(2009年12月号)に掲載
他の共同研究者
臼田華奈子、小林高範、石丸泰寬、高橋美智子、中西啓仁、森敏
(東京大学大学院農学生命科学研究科)
樋口恭子
(東京農業大学)
「ムギの根から分泌される酸」に由来する。故・岩手大学名誉教授高城成一博士によって発見された。イネ科植物が土壌中の難溶性の鉄を溶かして吸収するために根から分泌するキレート物質のことで、ファイトシデロフォアとも呼ばれる。近年土壌からの鉄吸収だけではなく、体内の金属元素輸送にも関わることが明らかにされている。
注2 ニコチアナミン合成酵素:3分子のS-アデノシルメチオニンからニコチアナミンを合成する酵素。ニコチアナミン合成酵素(NAS)の遺伝子は、1998年に東京大学のグループによって最初にオオムギから単離された。その後、イネ、トウモロコシ、トマト、シロイヌナズナなど多くの植物から単離されている。