発表者
紗智子 (東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻特任研究員(当時))
服部 達哉 (麻布大学獣医学部動物応用科学科修士課程2年)
佐藤 徹 (東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻特任研究員(当時))
佐藤 幸治 (東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻特任助教)
松田 壮一郎 (東京大学大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻修士課程2年(当時))
小早川 令子 (大阪バイオサイエンス研究所第3部門室長)
坂野 仁 (東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻教授)
吉原 良浩 (独立行政法人理化学研究所脳科学総合研究センター・シナプス分子機構研究チームリーダー)
菊水 健史 (麻布大学獣医学部動物応用科学科教授)
東原 和成 (東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻教授)

発表概要

メスマウスの交尾受け入れ行動を促進するオスフェロモン(注1)を発見し、その作用機構に関して、分子、細胞および神経回路レベルで明らかにした。

発表内容

メスマウスの交尾受け入れ行動がESP1によって促進される

図 メスマウスの交尾受け入れ行動がESP1によって促進される
オス(白)がメス(黒)にマウントを仕掛けると、メスは反射的に体を反らし、オスのマウントを受け入れる体勢(ロードシス行動)を行う。ESP1を提示しないメスは、オスのマウント回数中10%程度しかロードシスを示さない、ESP1を提示したメスは、約50%の割合でロードシスを示す。

動物の交尾行動には、同種の異性から分泌される「性フェロモン」が重要な役割を果たします。例えば、ある種の性フェロモンは異性を誘引して自分の元へと引き寄せたり、脳内分泌系に作用して発情を促したりします。しかしながら、哺乳類において交尾行動を促進するフェロモンの分子実体は、未だ明らかにされていませんでした。

マウスにおいて性フェロモンは、主に鋤鼻器官(注2)で受容されることが示唆されています。近年、我々の研究グループは、性成熟したオスマウスの眼窩外涙腺に特異的に発現するペプチドESP1(注3)を発見しました(Kimoto et al. Nature 437 : 898-901)。また、自由行動下のメスマウスをESP1に曝すと、鋤鼻器官の感覚神経の活性化が引き起こされたことから、ESP1は鋤鼻器官を介してはたらく性フェロモンであることが強く示唆されていました。今回我々は、ESP1の作用機構を受容体(注4)、神経回路、行動レベルで明らかにし、ESP1が性フェロモンであることを実証しました。

まず、ESP1の受容体を探索したところ、七回膜貫通型Gタンパク質共役受容体ファミリーの中のV2Rp5という1種類のタンパク質が特異的にESP1を受容することが明らかとなりました。次に、ESP1で活性化される神経回路を解析すると、V2Rp5発現鋤鼻神経で受容されたESP1の情報は脳へと伝達され、メスの視床下部(注5)を活性化しました。視床下部は、交尾行動の調節によって動物の生殖行動を直接的に、あるいは脳内分泌系を介した発情の調節によって間接的に制御することが知られています。そこで、ESP1の刺激がメスの交尾行動に与える影響を解析しました。その結果、ESP1を提示していないメスに比べて、ESP1を提示したメスでは「ロードシス」という性行動を示す頻度が約5倍高くなりました。ロードシスは、交尾の際にオスをより受け入れやすくするため、反射的に背中を反らすようメスに本能的にそなわっている体勢です。実際に、オスがペニスを挿入する確率もESP1を提示したメスで上昇するのが観察されました。また、ESP1受容体のV2Rp5遺伝子を欠損させたメスにESP1を提示したところ、ロードシスの促進は見られなくなりました。興味深いことに、オスにおけるESP1の分泌量はマウスの系統によって異なっていました。そこで、ESP1を分泌するオスと分泌しないオスに対するメスの交尾行動を観察してみたところ、メスはESP1を分泌するオスに対して、よりロードシス体勢を示しました。また、実験用に人間が飼育してきたマウス系統ではESP1を分泌する系統は少数でしたが、野生マウス由来系統ではほとんどの系統でESP1を分泌していることがわかりました。これは、実験用マウスに比べて、野生マウスにおいてESP1の発現が子孫の存続に有利であることを示唆しています。すなわち、小さなケージで飼育されてきた実験用マウスに比べて、野生環境においては交尾の機会は著しく限られるため、ESP1を介した生殖効率の上昇が重要であると解釈できます。

このように、本研究では、哺乳類の性フェロモンの分子実体とその作用機構を、世界ではじめて明らかにしました。この研究で得られた成果は、動物の行動制御という応用的側面での利用が期待されますが、その一方で、「脳に対するある特定の刺激と応答(行動や内分泌変化)は、どのような神経回路を介しているのか」という神経科学における基礎的課題に対しても、理想的なモデル系を我々に提供してくれると考えられます。

発表雑誌

雑誌: Nature
著者: Sachiko Haga, Tatsuya Hattori, Toru Sato, Koji Sato, Soichiro Matsuda, Reiko Kobayakawa, Hitoshi Sakano, Yoshihiro Yoshihara, Takefumi Kikusui and Kazushige Touhara
題名: The male mouse pheromone ESP1 enhances female sexual receptive behavior through a specific vomeronasal receptor

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科
応用生命化学専攻 生物化学研究室
教授 東原 和成
Tel: 03-5841-5109
FAX: 03-5841-8024
E-mail: ktouhara@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
HP: http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/biological-chemistry/

用語解説

注1 フェロモン

「ある個体から分泌され、同種の他個体に受容されると、受容した個体に特定の行動や内分泌変化を引き起こす物質」と定義される。とくに異性から発せられ、性特異的な行動や内分泌変化を引き起こすものを「性フェロモン」とよぶ。

注2 鋤鼻器官:

鼻腔下部に口吻側から尾側に向かって横たわるパイプ状の感覚器官。動物個体から分泌される低分子の有機化合物やペプチドおよびタンパク質を受容する。鋤鼻器官を外科的に切除したり分子生物学的に機能を欠損させたマウスの解析によって、鋤鼻器官は性行動や社会行動に関わるフェロモンを受容することが強く示唆されている。

注3 ESP1

2005 年に本研究グループによって発見されたマウスのオス特異的外分泌ペプチド。約7 kDaの分子量をもつペプチドであり、ESP1 をコードしている遺伝子は、数十種類からなる新規の多重遺伝子ファミリーのひとつである。オスの眼窩外涙腺から分泌され、メスの鋤鼻器官を活性化する。

注4 受容体

細胞に発現し、刺激となる物質を受け取るためのセンサーたんぱく質。

注5 視床下部

自律神経系、内分泌系の制御に重要な脳部位。行動の調節によって直接的に、且つ、脳内分泌系を介して間接的に性行動を制御する。