発表者
大島 研郎 (東京大学 大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻 特任准教授)
難波 成任 (東京大学 大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻 教授)

発表概要

植物病原体であるファイトプラズマは、植物・昆虫の2種類の宿主に交互に寄生を切り換えること(スイッチング)により感染を拡大しますが、その仕組みはこれまで謎に包まれてきました。今回我々は、ファイトプラズマがそれぞれの宿主に合わせて、トランスポーターや酵素、分泌タンパク質などを巧みに使い分けていることを明らかにしました。本研究成果を発展させることで、昆虫媒介性の植物病を防ぐ新技術の開発につながることが期待されます。

発表内容

背景

植物病原体は、農作物に感染して様々な病気を引き起こし、収量や品質に大きな影響を及ぼします。中でも、昆虫によって媒介される植物病原体は、地球の気候変動とともに、その感染範囲を拡大させており、こうした植物の病気を防ぐことが近年の重要な課題となっています。

ファイトプラズマ(Phytoplasma属細菌)(注1)は、植物の篩部細胞内(注2)に寄生する病原微生物であり、世界中で多くの農作物に被害を与えています。ファイトプラズマは、ヨコバイ(注3)などの昆虫により媒介され、昆虫-植物の宿主間を水平移動する「ホストスイッチング」により感染を拡大します(【図1】)。昆虫と植物という全く異なる生物界の宿主に寄生する能力に興味が持たれてきましたが、その仕組みはこれまで分かっていませんでした。

成果

今回我々は、ファイトプラズマのゲノムデータ(注4)をもとにファイトプラズマのDNAマイクロアレイ(注5)を世界で初めて作製することに成功し、ファイトプラズマの遺伝子発現を網羅的に調べました。その結果、ファイトプラズマは植物宿主と昆虫宿主とを交代するたびに、ゲノム全体の約1/3に相当する遺伝子の発現量を変化させていることが明らかになりました(【図2】)。特に、ファイトプラズマはそれぞれの宿主に合わせて、物質輸送を行うトランスポーター(注6)や浸透圧を調節するチャネル、糖を分解する酵素、宿主細胞内で働く分泌タンパク質などを巧みに使い分けていました。これらの結果は、ファイトプラズマが自身の遺伝子発現を変化させることにより、異なる生物界の宿主に適応していることを示しています。

また、このホストスイッチング機構は、ファイトプラズマが宿主に感染するために必要な重要なシステムであると考えられます。そこでホストスイッチングに関わるタンパク質の機能を阻害することにより、ファイトプラズマの増殖を抑えることができるかどうかを検証しました。実際に植物感染時に働く浸透圧調節チャネルの機能を、阻害剤を用いて抑制したところ、ファイトプラズマの増殖を部分的に抑えることに成功しました。これは、ホストスイッチングを阻害・抑制することがファイトプラズマ病の新規防除技術の開発につながる可能性を示すものです。

本研究の意義・考えられる波及効果

ファイトプラズマは宿主に頼って生きる道を選んだ生物であり、多くの遺伝子を退化によって失っており、「究極の怠け者細菌」として紹介されてきました。このような小さなゲノムの中に、植物・昆虫という全く異なる生物界の宿主に寄生するために巧みな仕組みを備えていることは、注目すべき発見といえます。

ファイトプラズマには特効薬がいまのところ無く、防除や予防はとりわけ困難です。しかし、本研究でホストスイッチングを引き起こす原因遺伝子が明らかにされたことにより、これらをターゲットとした新規薬剤の探索や、治療・予防法の開発が可能となり、応用面においても大きな波及効果があります。

また、ファイトプラズマは、植物の分化に影響を与え、ユニークな病害を引き起こします。例えば、ファイトプラズマが感染したアジサイは、花器官が葉に変化する「葉化症状」を示します。本研究において、ファイトプラズマが植物に寄生する際に利用する遺伝子群が明らかにされたことにより、「植物の形を変えるメカニズム」に迫る知見が得られる可能性があります。

ファイトプラズマのライフサイクル ホストスイッチングに伴うファイトプラズマ遺伝子の発現変動
【図1】ファイトプラズマのライフサイクル (拡大画像↗
ファイトプラズマに感染し発病した植物に媒介昆虫(ヨコバイ)が飛来し、葉脈に口針を差し込んで栄養分を運ぶ通道組織(篩管)より汁を吸う(吸汁)時にファイトプラズマを一緒に吸い込む(上)。腸に到達したファイトプラズマは腸管内壁から細胞内に侵入し、全身に感染する(右上下)。感染能力を持った昆虫はほかの健全な植物に飛来し、吸汁したときにファイトプラズマが篩管に注入され(左下) 、植物は感染・発病する(左上)。発病した植物はてんぐ巣・花の葉化や緑化・黄化・枯死など特徴的な病徴を生じる。同時に新たな感染源となる。
【図2】ホストスイッチングに伴うファイトプラズマ遺伝子の発現変動 (拡大画像↗
植物寄生時と昆虫寄生時とで、トランスポーターやリン脂質合成酵素、活性酸素除去酵素、分泌タンパク質、膜タンパク質などを使い分けていることが明らかとなった。ファイトプラズマは自身の遺伝子発現を変化させることにより、植物-昆虫宿主に適応していることが示唆された。

発表雑誌

米国科学誌「PLoS ONE」 (8月16日号) (電子版)
タイトル: Dramatic transcriptional changes in an intracellular parasite enable host switching between plant and insect.
(http://dx.plos.org/10.1371/journal.pone.0023242)
(DOI: 10.1371/journal.pone.0023242)
著者名: 大島研郎・難波成任 ほか

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科
生産・環境生物学専攻 植物病理学研究室
教授 難波 成任(なんば しげとう)
Tel: 03-5841-5053
E-mail: anamba@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
HP: http://papilio.ab.a.u-tokyo.ac.jp/planpath/

用語解説

(注1) ファイトプラズマ

植物の篩部に寄生し、病気を引き起こす病原細菌。ヨコバイ等の昆虫により植物から植物へと媒介される。感染した植物は黄化、萎縮、叢生症状、天狗巣症状を呈するほか、花が葉化・緑化したりするなど、特徴的な病徴を引き起こす。日常、我々の身近に頻繁に見られる病気であり、このような特徴的な病徴から、アジサイなどのように、緑色の花が咲くことから商品価値を認められ、品種登録されていた例もある。またポインセチアは、クリスマスシーズンになると欠かせないが、最近好まれる小さなポット植えの場所を取らないタイプ(枝分れが豊富で、矮性化するタイプ)がファイトプラズマの天狗巣症状によるものであることはあまり知られていない。

黄化: 養分欠乏のような葉の黄化症状
萎縮: 茎や葉の生長が害され、著しく萎縮・矮性となる症状,br>叢生:側枝が異常に出現する症状
天狗巣: 側芽が異常に発達し、小枝が密生する症状
花の葉化:花弁やがく・雌しべ・雄しべが葉に置き換わってしまうこと
花の緑化: 花弁などが緑色を帯びること
(注2)  篩部(しぶ)

植物の茎の中を縦に走る柱状の組織で、スクロース等を含む栄養素を植物体全体に輸送する役割を持つ。

(注3) ヨコバイ

害虫の一種で、セミの仲間の昆虫。ファイトプラズマは、ヨコバイにより媒介され、植物から植物へと伝染する。

(注4) ファイトプラズマゲノム

2004年に、ファイトプラズマ(Phytoplasma asteris;OY-M株)の全ゲノム約860kbpが決定された(Oshima et al., Nature Genet., 36, 2004)。その結果、ファイトプラズマは代謝系遺伝子を多数失っており、多くの物質を宿主に依存しているものと考えられた。特に、核酸の生合成に必須な「ペントースリン酸経路」や、生命にこれまで必須とされていたエネルギー供給システム「ATP合成酵素」の構成遺伝子が認められなかった。これは生物では初めての例であり、ファイトプラズマは究極の退行的進化を遂げた生物であることが明らかとなった。ファイトプラズマは細胞内寄生という特殊な環境に適応したため、多くの代謝系遺伝子を退化により失ったと考えられている。

(注5) DNAマイクロアレイ

遺伝子発現量を測定するために、多数のDNA断片をガラス等の基板上に高密度に配置した分析器具のこと。細胞内の遺伝子の発現量を網羅的に解析することができる。

(注6) トランスポーター(膜輸送体)

生体膜で隔てられた領域間の物質輸送を担う膜タンパク質の一種。アミノ酸や糖、金属イオンの輸送など、様々な種類のトランスポーターが存在する。生物の細胞はリン脂質の膜で覆われているため、生体の養分摂取に重要である。