東京大学農学生命科学研究科獣医学専攻 チェンバーズ ジェームズ 特任助教、同 内田 和幸 准教授、同 中山 裕之 教授らの研究グループは、絶滅危惧種ツシマヤマネコの脳で、アルツハイマー病の特徴的病変であるβアミロイドの沈着と神経原線維変化が高率に生じることを発見した。βアミロイドの沈着は顆粒状び漫性で老人斑は認められなかったが、神経原線維変化の形態、脳内分布、構成タンパク質はヒトのアルツハイマー病のそれらと同じであった。また、βアミロイドのアミノ酸配列は他の動物種とは異なっていた。
アルツハイマー病では、老人斑の形成が先行し、続いて神経原線維変化が生じると考えられている。しかし従来の研究で報告されていたチーターおよび今回の研究で着目したツシマヤマネコの脳では、老人斑が形成されず、微細なβアミロイド沈着と神経原線維変化が観察された。従来の観察結果及び今回の成果により、アルツハイマー病の病態メカニズムや病態進化を考える上で、ネコ科動物の特殊性が示唆された。
左:ヒトのアルツハイマー病患者の脳にみられた神経原線維変化(黒色の部分)。大脳皮質。ガリアス=ブラーク染色標本。
右:ツシマヤマネコの脳にみられた神経原線維変化(黒色の部分)。大脳皮質。ガリアス=ブラーク染色標本。
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ヒトの代表的な認知症であるアルツハイマー病では、脳にβアミロイドと高リン酸化タウと呼ばれるタンパク質が沈着し、それぞれ「老人斑(注1)」、「神経原線維変化(注2)」と呼ばれる病変を形成する。ヒト以外の老齢動物の脳では、老人斑はしばしば観察されるが神経原線維変化は観察されない。このため、ヒト以外の動物ではアルツハイマー病と完全に一致する病態は存在しないと考えられていた。
今回、東京大学農学生命科学研究科獣医学専攻 チェンバーズ ジェームズ 特任助教、同 内田 和幸 准教授、同 中山 裕之 教授らの研究グループは、14頭のツシマヤマネコ(注3)(3日齢から15歳以上)および7頭のイリオモテヤマネコ(成獣)の脳組織を観察したところ、6頭のツシマヤマネコ成獣にβアミロイドの沈着を発見した。βアミロイドは神経網に顆粒状に沈着していたが、アルツハイマー病に特徴的な老人斑は観察されなかった。また、これら6頭中5頭には高リン酸化タウが沈着した神経細胞(神経原線維変化)がみられた。この神経原線維変化病変の形態、分布、構成タンパク質はヒトのアルツハイマー病のそれらと同じであった。なお、その他の8頭のツシマヤマネコと7頭のイリオモテヤマネコについては、βアミロイドの沈着、老人斑、神経原線維変化ともに見られなかった。次いで、ツシマヤマネコのβアミロイドの遺伝子配列を解析しアミノ酸配列を決定したところ、7番目のアミノ酸残基がヒトおよび老人斑を形成する他の哺乳動物(犬、サル類など)とは異なっていることを突き止めた。
アルツハイマー病では、βアミロイドの蓄積により老人斑と神経原線維変化が生じ、神経細胞が脱落するため、認知症を発症する(アミロイド仮説)と考えられている。これまで、飼育下のチーターで老人斑を形成せずに神経原線維変化を生じた老齢個体が報告されているが、同病変の詳細な解析はされていなかった。今回のツシマヤマネコにおける成果から、ネコ科動物では老人斑を形成せずに、アルツハイマー病と同様の神経原線維変化が形成されることが示された。また、チーターとヤマネコは約670万年前に種として分岐し、現在生息する地域が大きく異なる。従って、これらの脳老化病変は、これら2つの動物種が進化発生する以前に獲得された表現形質だといえる。本研究の成果は、アルツハイマー病の病態のメカニズムおよび病態進化を解明する上でネコ科動物が特殊な存在であることを示しており、極めて重要な知見と思われる。
本研究では、環境省の許可のもと希少動物の材料を研究に使わせていただいた。対馬自然保護官事務所および西表自然保護官事務所のご関係各位に深謝する。
東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医病理学研究室
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