私たちの鼻で匂いを感知している匂いセンサーは、嗅覚受容体と呼ばれるタンパク質です。これまで、嗅覚受容体が実際に自然界でどのような情報物質を認識しているのかは良く分かっていませんでした。今回、東京大学大学院農学生命科学研究科の東原和成教授らのグループは、自然条件下でマウスが嗅覚受容体で感知している匂い物質として、(Z)-5-tetradecen-1-ol (Z5-14:OH)という不飽和脂肪族アルコールを発見しました。さらに、この物質は雄マウスの尿から発せられて、雌を惹きつける効果をもつことが明らかになりました。Z5-14:OHはその化学構造から脂肪酸の代謝産物であると考えられます。我々ヒトの体臭も様々な脂肪酸代謝産物から構成されています。ヒト同士の嗅覚コミュニケーションにも、Z5-14:OHやそれに類似する物質が用いられているのかどうかは今後の興味深い課題です。
図 マウス嗅覚受容体Olfr288が認識している情報物質 (拡大画像↗)
雌マウスの嗅覚受容体Olfr288は、雄マウスと出会ったときに、雄マウスの包皮腺で作られ尿に分泌される(Z)-5-tetradecen-1-olをナチュラルリガンドとして認識し、その結果、雌マウスは雄に惹きつけけられる。
私たちの鼻で匂いを感知している匂いセンサーは、嗅覚受容体と呼ばれるタンパク質です。嗅覚受容体は1991年にBuckとAxelによって一千種類にものぼる遺伝子群として発見され、90年代の終わりに実際に匂い物質(注1)と結合できることが証明されました。その後、それぞれの嗅覚受容体がどのような匂い物質を認識できるのかを調べるために、「合成香料レパートリー」の中からリガンド探索が行われてきました。その一方で、嗅覚受容体が実際に自然界でどのような情報物質を認識しているのかは良く分かっていませんでした。自然界で動物は、嗅覚を使って、えさや天敵、交配相手などの存在に関する情報を得ます。この過程において嗅覚受容体は重要な役割を担っているはずです。今回、マウスが他のマウスと出会ったときに嗅覚受容体で感じている新規の情報物質を同定しました。
マウスの個体から発せられる匂い物質の産生源として、尿、涙、唾液などの体液を作る7つの外分泌腺(注2)に着目しました。それぞれの外分泌腺に含まれる物質を抽出し、嗅覚受容体のひとつであるOlfr288(Olfactory receptor 288)を強制発現させたアフリカツメガエル卵母細胞(注3)に投与したところ、尿を作る外分泌腺である包皮腺の抽出物が電気応答を引き起こしました。この応答活性を指標に包皮腺から活性物質を精製し構造解析を行った結果、Olfr288のリガンドとして、哺乳類で新規の物質である(Z)-5-tetradecen-1-ol (Z5-14:OH) が同定されました。さらに解析を行った結果、Z5-14:OHは性ホルモンの制御を受けて雄マウスでのみ包皮腺から尿に分泌されることが分かりました。したがって、Z5-14:OHは雄という性の情報をもつ物質であると考えられました。実際に行動実験を行うと、雌マウスはZ5-14:OHを含む雄マウスの尿に嗜好性を示すことが明らかになりました。以上のことから、自然界で雌マウスがOlfr288を使って感じている情報物質、すなわちナチュラルリガンドの一つは、雄の尿から発せられるZ5-14:OHであるとわかりました。
本成果が導き出されるためのキーポイントとなったことは、多様な物質の複合物である生体試料から嗅覚受容体のリガンドを探索できる実験方法を確立したことです。その方法を用いて同定した天然のリガンド物質が、どのような生理的意味をもつかを明確にしました。今後、同じアプローチによって、嗅覚受容体だけでなく他の多くの化学感覚受容体(注4)についても、ナチュラルリガンドと対応づけることによって、自然条件下での役割が分かってくると期待されます。Z5-14:OHはその化学構造から脂肪酸の代謝産物であると考えられます。我々ヒトの体臭も様々な脂肪酸代謝産物から構成されています。ヒト同士の嗅覚コミュニケーションにも、Z5-14:OHやそれに類似する物質が用いられているのかどうかは今後の興味深い課題です。
本研究は、科学研究費補助金(基盤(S)、特定領域研究)およびアステラス病態代謝研究会研究助成金のサポートを受けておこなわれました。そして、応用生命化学専攻の生物化学研究室と有機化学研究室の専攻内共同研究の成果です。
東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 生物化学研究室
教授 東原 和成
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