発表者
岩永 剛一 東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 大学院生
中村 達朗 東京大学大学院農学生命科学研究科 応用動物科学専攻 特任助教
前田 真吾 東京大学大学院農学生命科学研究科 応用動物科学専攻 特任助教
村田 幸久 東京大学大学院農学生命科学研究科 応用動物科学専攻 准教授

発表のポイント

◆マスト細胞と呼ばれる免疫細胞の一種が産生するプロスタグランジンD2(注1)という物質が、大腸炎とそれに伴う細胞の癌化を抑制することを、マウスにおいて発見した。

◆プロスタグランジンD2受容体を刺激する薬を投与すると、マウスの腸炎症状と大腸癌の発症が抑えられた。

◆本結果は新しい腸炎治療薬と発癌予防薬の開発につながる可能性が期待される。

発表概要

大腸癌は日本人が最も多く発症する癌の1つである。大腸癌のリスクは、炎症性の消化器疾患や、生活習慣に由来する慢性的な腸の炎症によって大きく上がる。慢性的な腸の炎症から大腸癌の発症へとつながるメカニズムは、炎症に反応して組織に浸潤してくる免疫細胞が各種の生理活性物質を産生し、これらの物質が炎症部位の細胞の異常な増殖(がん化)を刺激するためと考えられている。つまり、炎症のもととなる疾患の治療や炎症の慢性化を防止すれば、大腸癌の発症を抑えられる可能性が高い。
 東京大学大学院農学生命科学研究科の村田幸久 准教授の研究グループは、マウスにおいて炎症がおこった時に大腸組織に浸潤してくる免疫細胞の一種(マスト細胞、注2)が、プロスタグランジンD2 (PGD2)という生理活性物質を産生し、このPGD2が腸炎の重症化やそれに続く大腸癌の発症を強く押さえる作用を持つことを発見した。さらに、薬の投与によってPGD2のはたらきを刺激し活性化することで、大腸炎の症状が改善され、大腸癌の発症を抑えることに成功した。
 本成果は新しい腸炎に対する治療薬や大腸癌の予防薬の開発につながる可能性が期待される。

発表内容

図1 PGD2は発癌を抑えて生存率を上げる(拡大画像↗)
慢性腸炎を起こすと大腸にポリープ(癌:〇で囲う)が形成される。PGD2が合成できないマウスでは正常なマウス(野生型)と比較して形成されるポリープの数が増え(左)、生存率が下がる(右)。一方でPGD2のはたらきを刺激し活性化する薬を投与すると形成されるポリープの数は減少し(左)、生存率が回復した(右)。

図2 癌周囲に浸潤してくるマスト細胞がPGD2を産生する(拡大画像↗)
癌化した細胞(囲い内)の周囲にマスト細胞の浸潤が多数観察された(左)。このマスト細胞にPGD2合成酵素を強く発現していた。つまりマスト細胞がPGD2を産生する細胞である。

図3 マスト細胞がPGD2を産生して炎症と発癌を抑える(拡大画像↗)
マスト細胞から産生されるPGD2は炎症と発癌を止める働きを持つ。

○研究背景
 炎症は生体に侵入してきたウイルスや細菌などの異物を“消毒・除去する”と同時に、障害を受けた組織を“治癒する”生体防御反応である。この一連の反応は、免疫反応を“促進”または“抑制”する多くの生理活性物質の作用バランスにより上手く調節されている。何らかの原因でこのバランスが崩れると、炎症が過度になり、慢性化して二次的、三次的な病態の発症へと繋がる。このため、それぞれの病態において炎症を正と負に制御する因子を見つけ、その作用機構を明らかにすることが、より良い治療方法の開発に結び付く。

大腸癌は日本人が最も罹患する確率の高い癌である。遺伝や生活習慣、微生物感染によって起こる腸炎や潰瘍性大腸炎に代表される消化管の炎症性疾患は、大腸癌のリスクを大きく上げる。消化管の炎症性疾患から大腸癌が発症するメカニズムは、炎症反応によって腸管組織に浸潤してきたさまざまな免疫細胞が活性酸素種やサイトカイン、増殖因子などの生理活性物質を大量に産生し、これらが腸管組織細胞の異常増殖を引き起こすと考えられている。

プロスタグランジン(PG)は炎症が起こった時に、細胞膜のリン脂質から産生される一群の生理活性物質であり、その炎症を惹起する作用がよく知られている。特にPGE2は大腸炎や大腸癌を促進する物質として報告されている。一方で、同じPGの1つであるPGD2の腸炎や大腸癌における役割についてはこれまで分かっていなかったため、PGD2が腸炎の進行と大腸癌の発症にどのような影響を及ぼすか、そしてそれはどのようなメカニズムを介しているかを明らかにする必要があった。

○実験結果
 東京大学大学院農学生命科学研究科の村田幸久 准教授の研究グループは、全身においてPGD2の合成酵素を欠損したマウス(PGD2を産生することができない)では、正常なマウスと比較して、腸炎の症状が悪化することを明らかにした。具体的には、デキストラン硫酸ナトリウムにより誘発された腸炎の症状である、①下痢の程度 ②体重の減少 ③大腸の短縮 のどの項目においても悪化が認められ、生存率も有意に低下した。

さらにこのPGD2を合成することができないマウスの大腸では、細胞内癌化シグナルの活性化を示すβ-カテニンの核内移行やDNAの塩基配列にメチル基を付与する酵素の遺伝子発現量が上昇し、ポリープの形成率が大きく上昇した(図①)。

正常なマウスで免疫染色を行ったところ、炎症に伴って組織に浸潤してきたマスト細胞がPGD2の合成酵素を強く発現していることが分かった(図②)。また、マスト細胞においてのみPGD2の合成酵素を欠損したマウスでは、腸炎の症状が悪化してポリープ形成が促進されることが分かった。つまり、マスト細胞が産生するPGD2が腸の炎症と癌化を抑制する物質であることが示された。

さらに、腸炎を患っているマウスに薬を投与して、PGD2のはたらきを刺激し活性化すると腸炎の症状と発癌率が共に有意に抑えられた(図①)。

○考察
 本研究では腸炎を誘発したマウスを用いて、腸管組織に浸潤してきたマスト細胞が産生するPGD2が炎症を抑え、大腸癌の発症を強力に抑制する物質であることを発見した(図③)。さらに、PGD2シグナルの増強(PGD2シグナル受容体)が新しい腸炎治療・大腸癌予防の標的となりうる可能性が示された。他の多くのPGが炎症促進活性をもつ中で、PGD2は炎症・発癌抑制作用をもつ非常に珍しい生理活性物質であり、今後の応用が期待される。

発表雑誌

雑誌名
Cancer Research「オンライン版」(5月30日号)
論文タイトル
Mast cell-derived prostaglandin D2 inhibits colitis and colitis-associated colon cancer in mice
著者
#Koichi Iwanaga, Tatsuro Nakamura, Shingo Maeda, Kosuke Aritake, Masatoshi Hori, Yoshihiro Urade, Hiroshi Ozaki, *Takahisa Murata.
#:first author  *:corresponding author
DOI番号
10.1158/0008-5472.CAN-13-2792
アブストラクト
http://cancerres.aacrjournals.org/content/74/11/3011.short

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科 応用動物科学専攻 放射線動物科学教室
准教授 村田 幸久(むらた たかひさ)
Tel:03-5841-7247 or 080-3215-6410
Fax:03-5841-8183
研究室URL:http://www.vm.a.u-tokyo.ac.jp/houshasen/index.html

用語解説

注1 プロスタグランジン(PG)
細胞膜の脂質から産生される生理活性物質。炎症反応の主体をなす。主なPGとしてPGE2, PGI2, PGF2, PGJ2, PGD2などがある。
注2 マスト細胞
免疫細胞の一種で、細胞質内にヒスタミンやロイコトリエンといった生理活性物質を含んだ顆粒を多く保有し、アレルギー反応を引き起こすことでも知られる。近年、癌の発症や増殖にも関与している可能性が示唆されてきた。