発表者
新村 芳人(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任准教授/JST ERATO東原化学感覚シグナルプロジェクト グループリーダー)
松井 淳(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任研究員/JST ERATO東原化学感覚シグナルプロジェクト)
東原 和成(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 教授/JST ERATO東原化学感覚シグナルプロジェクト 研究総括)

発表のポイント

◆アフリカゾウは、これまでに報告されたどの動物よりも多い、約2000個もの嗅覚受容体遺伝子(注1)を持つことを見出しました。この数はイヌの2倍以上、ヒトの約5倍です。

◆個々の嗅覚受容体遺伝子がたどってきた進化の道筋を明らかにするための新しい手法を確立し、この手法を用いて、進化の過程で遺伝子の重複(注2)や欠失(注3)がなく、遺伝子配列もほとんど変化していないものを3種類発見しました。

◆さまざまな動物の持つ嗅覚受容体遺伝子を進化的な視点から比較し、その共通点と相違点を明らかにすることで、ヒトの嗅覚に対する理解も深まることが期待されます。

発表概要

東京大学大学院農学生命科学研究科・ERATO 東原化学感覚シグナルプロジェクトの新村芳人特任准教授、東原和成教授らの研究グループは、アフリカゾウのゲノム中に、匂い分子(注4)を認識するタンパク質(嗅覚受容体、OR)の遺伝子が約2000個も存在することを見つけました。これまでに報告された中ではラットの約1200個が最多なので、ゾウは他の動物よりもはるかに多くのOR遺伝子を持っていることになります。また、ゾウのOR遺伝子が非常に多いことを利用して、個々のOR遺伝子がたどってきた進化の道筋を明らかにするための新しいバイオインフォマティクスの手法を確立しました。この手法を用いて、アフリカゾウを含む13種の有胎盤類(注5)の持つOR遺伝子を同定・比較した結果、ほとんどのOR祖先遺伝子は少数の子孫遺伝子しか残していませんが、遺伝子重複を繰り返すことによって非常に多くの子孫遺伝子を残したOR祖先遺伝子も存在することが分かりました。また、有胎盤類の進化の過程において、遺伝子の重複や欠失がなく、しかも遺伝子配列もほとんど変化していないような、進化的に安定して維持されてきた特殊なOR遺伝子を3種類発見しました。それらのORは、匂い分子の受容という機能だけでなく、あらゆる有胎盤類に共通した重要な生理機能を担っていることが示唆されました。ある生物が持つOR遺伝子のレパートリーは、その生物が匂い情報を用いてどのように外界を認識しているかということを反映しています。今回のように、さまざまな生物種のOR遺伝子を進化的な視点から比較することで、ヒトの嗅覚に対する理解もより深まることが期待されます。

発表内容

図 13種の有胎盤類ゲノム中に存在する嗅覚受容体遺伝子の数(拡大画像↗)
白抜きの数字は機能遺伝子の数を、棒グラフの右側の数は機能遺伝子・分断遺伝子・偽遺伝子の合計を表す。「分断遺伝子」とは、ゲノム配列データが不完全なため、現時点では機能遺伝子か偽遺伝子(注4)かを判定できないような配列のことである。生物種名の左側に、分岐年代とともに系統関係を示した。動物のシルエットは、それぞれの動物が持つ機能遺伝子の数を反映するように描かれている。

生物が匂いを知覚するための最初のステップは、空気中の匂い分子が、鼻腔の嗅上皮にある嗅覚受容体(OR)に結合することです。環境中の多様な匂い分子に対応するため、ORをコードする遺伝子は非常に多く存在します。OR遺伝子の数は生物種によって大きく異なり、ラットでは約1200個、ヒトでは約400個です。それらの遺伝子は、進化の道筋をさかのぼっていくと、やがてはたった一つの祖先遺伝子に行き着きます。このような遺伝子群は「遺伝子ファミリー」と呼ばれます。遺伝子ファミリーは、進化の過程で、遺伝子の重複や欠失が生じることによって数が増えたり減ったりします。これまでの研究から、OR遺伝子ファミリーは、とりわけ進化の過程における遺伝子数の増減が大きいことが分かっています。しかし、数百から千個以上もあるOR遺伝子の一つ一つに着目したときに、遺伝子数の増減の程度にどのくらいの差異があるかは分かっていませんでした。今回、東京大学大学院農学生命科学研究科・ERATO 東原化学感覚シグナルプロジェクトの新村芳人特任准教授、東原和成教授らの研究グループは、OR遺伝子を対象に、遺伝子の進化的な「個性」について調べました。

まず、正確なゲノム配列が利用可能な13種の有胎盤類について、コンピューターを用いてすべてのOR遺伝子を網羅的に同定しました(図)。13種全体で1万個以上のOR遺伝子が見つかりましたが、中でもアフリカゾウは遺伝子数が際立って多く、約2000個(偽遺伝子(注3)を含めると約4300個)ものOR遺伝子を持つことが明らかになりました。この数は、これまでに報告された中で最多のラットをはるかにしのぎ、イヌの2倍以上、ヒトの約5倍に相当します。

これまでの研究で、ゾウは実際に鼻が良いことが示唆されています。アジアゾウを用いた行動実験によれば、アジアゾウは、ヒトを含む霊長類が識別できないような微妙な匂いの違いを嗅ぎ分けることができます。また、野生のアフリカゾウは、マサイとカンバというケニアに住む2つの民族集団を匂いで区別できるという報告もあります。マサイは槍を用いてアフリカゾウの狩りを行う風習があるのに対し、カンバは農耕民族なので、アフリカゾウはマサイを避けようとするのです。ゾウの鼻はだてに長いのではなく、その能力も非常に優れているといえます。

研究グループは次に、OR遺伝子の進化的な「個性」について調べました。1億年ほど前に棲息していた有胎盤類全体の共通祖先は、ネズミのような小さな夜行性の動物だったと考えられていますが、その祖先種もOR遺伝子を持っていました。上で述べた13種の有胎盤類が持つOR遺伝子のそれぞれは、祖先種のどれか一つのOR祖先遺伝子に由来します。各OR遺伝子について、その祖先遺伝子がわかれば、祖先を同じくする「親戚」の遺伝子同士でグループ分けすることができます。このような「親戚」OR遺伝子からなるグループを、「オーソロガス遺伝子グループ」(orthologous gene group, OGG)と名づけました。例えば、多くのメンバー(親戚)がいるOGGは、何度も遺伝子重複を起こして、大勢の子孫を残すことができた繁栄したグループといえます。つまり、OGGを比較することで、各OR遺伝子がたどってきた進化的な道筋が明らかになります。

しかし、上で述べたように、OR遺伝子は進化過程での遺伝子数の増減がとても多いため、これまでOR遺伝子のOGGを決めることは非常に困難でした。研究グループは、OR遺伝子の系統樹(注6)に基づいてOGGを決定するための、新しいバイオインフォマティクスの手法を開発することに成功しました。この手法は、アフリカゾウのOR遺伝子数が非常に多いことを利用して、系統樹の中のゾウ遺伝子の位置に着目してOGGの同定を行います。この手法を使うことで、13種の有胎盤類が持つ1万個以上ものOR遺伝子を、781グループのOGGに分類することができました。

次に、それらのOGGをさらに解析したところ、ほとんどのOR祖先遺伝子は少数の子孫遺伝子しか残していませんでしたが、例外的に、100個以上もの子孫遺伝子を残しているものもありました。例えば、アフリカゾウの系統だけで83回もの遺伝子重複を起こしているOR遺伝子が見つかりました。このORの機能はよく分かっていませんが、ゾウの生活環境にとって重要な匂いを検出するためのものだと推測されます。また、遺伝子の重複や欠失を全く起こしていないようなOGGは非常にまれで、781グループ中たったの3グループしかありませんでした。これらのOGGに含まれるOR遺伝子は、異なる生物種間での遺伝子配列もとてもよく類似していることから、進化の過程で安定して維持されてきたことが分かります。このことから、これらのORは、匂い分子の受容という機能だけでなく、あらゆる有胎盤類に共通した重要な生理機能を担っていることが示唆されました。

嗅覚のメカニズムは哺乳類間で基本的に共通していますが、OR遺伝子のレパートリーは生物種によって大きく異なっています。その違いは、それぞれの生物種の生活環境の違いを反映していると推測されます。さまざまな動物の持つOR遺伝子を比較し、進化的な解析を行うことで、ヒトの嗅覚に対する理解も深まることが期待されます。今後は、進化的に興味深いORの機能の詳細を生化学的・電気生理学的に調べるとともに、比較する生物種の数をさらに増やして、各生物の生活環境とOR遺伝子レパートリーとの関係を解析していく予定です。

本研究は、独立行政法人科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究(ERATO)東原化学感覚シグナルプロジェクト の研究の一環として行われました。本プロジェクトでは、匂い・フェロモン・味などの化学感覚シグナルが、どのようにして情動や行動に至るのか、そのメカニズムを分子レベルで解き明かし、「医療」や「健康」、「食」といった産業展開に繋がる成果の蓄積を目指しています。

発表雑誌

雑誌名
Genome Research
論文タイトル
Extreme expansion of the olfactory receptor gene repertoire in African elephants and evolutionary dynamics of orthologous gene groups in 13 placental mammals
著者
Yoshihito Niimura, Atsushi Matsui, Kazushige Touhara
DOI番号
10.1101/gr.169532.113
アブストラクト
http://genome.cshlp.org/content/early/2014/07/16/gr.169532.113.abstract

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 生物化学研究室
特任准教授 新村 芳人(ニイムラ ヨシヒト)
Tel:03-5841-5590
Fax:03-5841-8024
研究室URL:http://www.jst.go.jp/erato/touhara/

〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
科学技術振興機構 研究プロジェクト推進部
中村 幹(ナカムラ ツヨシ)
Tel:03-3512-3528
Fax:03-3222-2068
E-mail:eratowww@jst.go.jp

用語解説

注1 嗅覚受容体(olfactory receptor, OR)
匂い分子を認識する膜タンパク質。鼻腔の嗅上皮にある嗅神経細胞で発現している。
注2 遺伝子重複
細胞分裂の際に染色体が複製されるが、まれに、複製のエラーにより、染色体上に同じ遺伝子のコピーが作られてしまうことがある。これを遺伝子重複という。遺伝子重複でできたそれぞれのコピーに別々の突然変異が起きると、少しずつ遺伝子の配列が変わっていき、やがて2つの異なる機能を持つ遺伝子へと進化することがある。
注3 遺伝子の欠失/偽遺伝子
遺伝子に有害な突然変異が入り、遺伝子の機能が失われてしまうことがある。このように、かつては機能していたが、もはや機能を失ってしまった遺伝子の残骸を偽遺伝子という。偽遺伝子は、長い時間が経つと、やがてゲノムから消えてなくなってしまう。これを遺伝子の欠失という。
注4 匂い分子
匂い分子は、分子量が約300以下の揮発性低分子化合物であり、自然界には数十万種類存在するといわれている。匂い分子とその知覚との関係は非常に複雑であり、よく似た構造の分子が全く違う匂いを示すこともあるし、逆に、構造は大きく異なるのに、匂いが似ているような例も数多く知られている。現在のところ、ある分子構造が与えられたとき、その構造から匂いを予測するための一般的なルールは存在しない。
注5 有胎盤類
哺乳類の中で、カモノハシなどの単孔類と、カンガルーやオポッサムなどの有袋類を除いた、哺乳類の主要なグループ。ヒト、マウス、イヌ、ウシ、ウマ、ゾウなどを含む。
注6 系統樹
同じ遺伝子ファミリーに含まれる遺伝子が、どのような順序で分岐してきたかを示す図。遺伝子の枝分かれの様子を樹木のように描くため、このように呼ばれている。遺伝子の配列を比較し、数学的なモデルに基づいて系統樹を作成する。