発表者
阿野 泰久(キリン株式会社 R&D本部 基盤技術研究所)
小澤 真希子(東京大学 大学院農学生命科学研究科獣医学専攻 博士課程3年)
沓掛 登志子(キリン株式会社 R&D本部 基盤技術研究所)
杉山 晋也(小岩井乳業株式会社 小岩井工場)
星 朱香(キリン株式会社 R&D本部 基盤技術研究所)
吉田 有人(キリン株式会社 R&D本部 基盤技術研究所;当時)
内田 和幸(東京大学 大学院農学生命科学研究科獣医学専攻 准教授)
中山 裕之(東京大学 大学院農学生命科学研究科獣医学専攻 教授)

発表のポイント

◆アルツハイマー病(注1)の症状を再現したマウスで、カマンベールチーズの摂取により脳内でアミロイドβ(注2)の沈着が抑制されました。

◆カマンベールチーズの発酵工程で生成されるオレイン酸アミド(注3)とデヒドロエルゴステロール(注4)が、脳内で異物の排除を担うミクログリア(注5)の働きに作用していました。

◆疫学的に報告のあった発酵乳製品の認知症予防効果について、カマンベールチーズを用いたモデル動物でのアルツハイマー病予防への有用性を確認し、今後のさらなる研究、将来的な認知症予防への貢献が期待されます。

発表概要

高齢者の増加に伴い、認知症は大きな社会問題となっています。残念ながら認知症の本質的な治療方法は未だ明らかではありませんが、日常生活の中で認知症を予防できる方法の開発が注目を集めています。これまで、チーズ等の発酵乳製品を摂取することで認知機能の低下が予防されるという疫学的な報告がありましたが、詳細な機序やその有効成分は不明でした。
 今回、東京大学大学院農学生命科学研究科の中山裕之教授らの研究グループ、キリン株式会社R&D本部基盤技術研究所および小岩井乳業株式会社は、カマンベールチーズに含まれる成分が、認知症の一種であるアルツハイマー病(注1)の症状を再現したマウスにおいて、その原因物質であるアミロイドβ(注2)の沈着を抑える効果があることを見出しました。
 アルツハイマー病の症状を再現したマウス(5xFAD)に市販のカマンベールチーズから調製した飼料を摂取させると、この成分を含まない飼料を摂取させたマウス群に比べて、アミロイドβの脳内沈着が減少し、脳内の炎症が緩和されることを明らかにしました。また、脳内で異物の排除を担うミクログリア(注5)がアミロイドβを除去する機能(貪食活性)と抗炎症活性を促進するはたらきのある物質を、カマンベールチーズの製造時に用いられる白カビで発酵させた乳から探索しました。その結果、オレイン酸アミド(注3)とデヒドロエルゴステロール(注4)を同定しました。これらの成分は白カビによる発酵工程で生成された可能性が示唆されます。
 今回の成果から、疫学的に報告のある発酵乳製品の認知症予防について、カマンベールチーズによるアルツハイマー病への予防効果が有効である可能性が高まり、特定された有効成分の検証など、今後のさらなる研究が期待されます。

発表内容


図1 アルツハイマー病モデルマウスの脳内(大脳皮質)におけるAβ沈着
写真はマウスの大脳皮質で、被験食群では茶色のAβが減少しています。右のグラフは脳内の可溶性Aβを測定したもので、やはり被験食群でAβ量が有意に減少しています。 (拡大画像↗


図2 白カビ発酵チーズのミクログリアTNF-α産生抑制作用
ミクログリアの炎症性サイトカインTNF-α産生量は、カマンベールチーズ抽出物添加により抑制され、発酵工程で強い抗炎症作用が生じました。 (拡大画像↗


図3 オレイン酸アミドの生成経路と抗炎症作用およびAβ貪食能
発酵工程で生成されると推定されたオレイン酸アミドは、オレイン酸と比較して抗炎症作用もAβ貪食能も強いことがわかりました。 (拡大画像↗


図4 デヒドロエルゴステロールの抗炎症作用
発酵工程で生成されるデヒドロエルゴステロールは、エルゴステロールと比較して抗炎症作用(TNF-αの産生抑制作用)が強いことがわかりました。 (拡大画像↗


図5 成果の概図 (© Yuki Konoeda)
カマンベールチーズの摂取によりアルツハイマー病の原因物質であるアミロイドβの脳内沈着が減少しました。乳の発酵過程で生じるオレイン酸アミドやデヒドロエルゴステロールが有効成分として同定されました。 (拡大画像↗

【研究背景】
 世界的な高齢者の増加により、アルツハイマー病などの認知症は大きな社会的関心事となっています。現在、日本では460万人、世界では2400万人近くが認知症を患っていますが、有効な治療法・予防法は未だ開発されていません。近年行われた疫学調査の結果、チーズ等の発酵乳製品の摂取が認知機能の低下を予防することが示唆されていますが、詳細な機序やその有効成分は明らかではありませんでした。

【研究内容】
 今回、東京大学大学院農学生命科学研究科の中山裕之教授らの研究グループ、キリン株式会社R&D本部基盤技術研究所および小岩井乳業株式会社は、発酵乳製品の一種であるチーズについて、その摂取がアルツハイマー病の原因物質であるアミロイドβ(Aβ)の脳内沈着に影響するか否かを検証し、その有効成分の一部を明らかにしました。

まず、白カビ(Penicillium (P.) candidum)で発酵させた乳製品(市販のカマンベールチーズ)の脂肪成分を除いた被験食を調製しました。そして、アルツハイマー病の原因物質であるアミロイドβが加齢とともに脳内に沈着するアルツハイマー病自然発症モデル(5xFAD)マウス(3ヵ月齢 )に3ヵ月間、被験食を与えて、脳内のAβ量、炎症状態などを調べました。その結果、被験食を摂取した群(被験食群)では、脳内の可溶性Aβ(注2)の量が対照食群に比べて有意に低下していました(図1)。加えて、Aβ沈着に伴い産生される炎症性サイトカインおよびケモカイン (TNF-α、MIP-1α、注6)の量も有意に抑制されていました。また、Aβの沈着に伴い低下する海馬の神経栄養因子 (BDNF)の 量は被験食群で有意に増加していました。

次いで、脳内においてAβ等の老廃物の除去や免疫機構を担っているミクログリアという細胞に着目し、Aβ貪食活性および抗炎症活性を促すカマンベールチーズ中の成分を探索しました。発酵工程が異なるさまざまな種類のチーズを用いて、上述の活性を比較したところ、P. candidumによって発酵された製品がこれらの活性を最も強く促進することが判明しました(図2)。そこで、P. candidum発酵によって生じる成分をガスクロマトグラフィー質量分析計(GC/MS、注7)により分析したところ、オレイン酸アミドおよびデヒドロエルゴステロールを有効成分として同定しました。

ミクログリアのAβ貪食活性と抗炎症活性 (炎症性サイトカインTNF-αの産生抑制) を促進させる成分として見出されたオレイン酸アミドは、生乳に豊富に含まれる不飽和脂肪酸であるオレイン酸にアミノ基が加わった構造をしています。発酵工程で発生したアンモニアとオレイン酸とがP. candidumの酵素(リパーゼ)を介して反応し、生成されたと示唆されます(図3)。アミノ基が加わっていない、生乳中のオレイン酸にはミクログリア貪食活性を促進するはたらきはなく、抗炎症作用もオレイン酸アミドの10分の1程度でした(図3)。マウスに3日間、50mg/kgのオレイン酸アミドを経口投与すると、脳内ミクログリアのAβ貪食活性と抗炎症活性が促進されました。

また、ミクログリアのTNF-α産生を抑制する成分として見出されたデヒドロエルゴステロールは、P. candidumによるエルゴステロールの代謝産物と示唆されます。この成分もミクログリアに作用して非常に強い抗炎症作用を示します(図4)。

これらの結果から、疫学的に報告がなされている発酵乳製品の認知症予防効果について、カマンベールチーズを用いたモデル動物での試験でアルツハイマー病への予防効果が確認されました。また、その有効成分の一部はオレイン酸アミドとデヒドロエルゴステロールであることが初めて明らかとなりました。

【社会的意義と今後の展開】
 日常的に摂取している発酵乳製品については、これまで疫学的に認知症予防効果が報告されておりましたが、今回はその一例としてカマンベールチーズを用い有効成分を探りました。そして、アルツハイマー病の症状を再現したマウスにおいて、カマンベールチーズの成分がその原因物質であるアミロイドβの沈着を抑える効果を明らかにしました。具体的な機序の解明など、今後のさらなる研究や将来的な認知症予防への貢献が期待されます。



【キリン株式会社 リリース】
http://www.kirin.co.jp/company/news/2015/0312_01.html

発表雑誌

【1】
雑誌名
「PLOS ONE」
論文タイトル
Preventive effects of a fermented dairy product against Alzheimer's disease and identification of a novel oleamide with enhanced microglial phagocytosis and anti-inflammatory activity.
著者
Yasuhisa Ano, Makiko Ozawa, Toshiko Kutsukake, Shinya Sugiyama, Kazuyuki Uchida, Aruto Yoshida, and Hiroyuki Nakayama
DOI番号
10.1371/journal.pone.0118512
論文URL
http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0118512
【2】
雑誌名
「PLOS ONE」
論文タイトル
Identification of a novel dehydroergosterol enhancing microglial anti-inflammatory activity in a dairy product fermented with Penicillium candidum.
著者
Yasuhisa Ano, Toshiko Kutsukake, Ayaka Hoshi, Aruto Yoshida, and Hiroyuki Nakayama
DOI番号
10.1371/journal.pone.0116598
論文URL
http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0116598

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医病理学研究室
教授 中山 裕之
Tel:03-5841-5400
研究室URL:http://www.vm.a.u-tokyo.ac.jp/byouri/

用語解説

注1 アルツハイマー病
認知機能低下や人格の変化などが主な症状である認知症の一疾患。高齢化の進行により、患者数の増加が大きな社会的な問題となっている。
注2 アミロイドβ(ベータ)、可溶性アミロイドβ
アルツハイマー病の組織病理学的特徴である老人斑の主要な構成成分で、40アミノ酸程度のペプチドである。アミロイドβの産生および蓄積が進むこととアルツハイマー病の発症が深くかかわっている。可溶性アミロイドβとは、最終的に不溶性繊維状になる前の段階のアミロイドβで、最も神経毒性が高い状態とされている。
注3 オレイン酸アミド
アミド基を有する脂肪酸で、睡眠関連物質として発見されている。
注4 デヒドロエルゴステロール
菌類の細胞膜の構成成分であるステロールの一種。
注5 ミクログリア
脳内の免疫を担うグリア細胞の一種。異物の除去や神経突起の修復などに関与している。その機能の詳細は長い間不明であったが、近年は解明が進んでいる。
注6 サイトカインおよびケモカイン
細胞から放出され、細胞間の情報伝達を担っているタンパク質の総称。
注7 ガスクロマトグラフィー質量分析計
気化しやすい化合物の同定、定量に用いられる分析機器。