発表者
今川 和彦(東京大学大学院農学生命科学研究科 実験動物資源科学・附属牧場 教授)

発表のポイント

◆哺乳類のゲノムには、過去に感染した内在性レトロウイルス遺伝子の断片が多く存在している(全ゲノムの8%)。それらの内在性レトロウイルス遺伝子は哺乳類の胎盤獲得に働いているだけではなく、機能性の高いウイルス遺伝子と順次置き換わることができる。

◆哺乳類は胎盤・栄養膜細胞の細胞融合を促進させるために内在性レトロウイルスの機能を活用していること、さらに、もっと良い機能を持つ内在性レトロウイルスが入り込んだ場合、それを積極的に活用している。進化途上で同じ機能を別の新しいウイルス遺伝子が担うことから機能をバトンタッチするという「Baton pass仮説」を提唱した。

◆胎盤形成を含む妊娠の成立には内在性レトロウイルス遺伝子の機能が必須であるから、胎盤形成と胎盤機能の解析には、いままでの機能遺伝子の評価だけではなく、内在性レトロウイルス遺伝子発現とその機能を評価する必要がある。

発表概要

東京大学大学院農学生命科学研究科の今川らの研究グループは、京大ウイルス研・宮沢孝幸、東海大医学部の中川草と一緒に総説「Baton pass hypothesis: successive incorporation of unconserved endogenous retroviral genes for placentation during mammalian evolution」(バトンパス仮説:哺乳類の胎盤形成に関与する内在性レトロウイルス由来の遺伝子は順次置き換わる)をGenes to Cells学術誌に発表した。
 この10数年、ヒトや他の動物種に多数の内在性レトロウイルス配列が存在していることが明らかになってきた。それまでは機能性のない「ジャンク」な配列と考えられた核酸配列の中に、細胞融合能(機能)をもつsyncytin(シンシチン)あるいはsyncytin様の配列が哺乳類のほぼどの動物種にも存在していることも明らかになってきた。しかし、それらは新しい機能の獲得(exaptation)と考えられていた。今般、今川らとその共同研究グループは、新しい機能の獲得ではなく、機能の継承(バトンタッチ)と考えうる現象をウシゲノムの内在性レトロウイルス配列で発見した。また、各動物種で細胞融合能をもつsyncytin様の配列は、その動物種が独自に獲得したものであり、同じ起源(同じ配列)をもつ遺伝子は存在していなかった。
 哺乳類は長い進化の中でウイルス遺伝子を内在化し、その内在性レトロウイルス遺伝子(群)の機能よって胎盤を発達させてきた。このことは、いま見ている胎盤はベストなものではなく、新しいウイルス遺伝子の獲得によって、さらに変わりうる可能性も持っている。さらに、胎盤の形成やその機能の発現には内在性レトロウイルス遺伝子の発現が必須であり、その機能評価無しには哺乳動物の胎盤は語れなくなった。

発表内容

図1 (拡大画像↗

哺乳類は体内(子宮内)で「子」を育てることから、胎児の生存性は格段に増した。母親と胎児を繋ぐものは「胎盤」であり、胎盤は哺乳類のどの動物種に関わらず、その機能(胎児に栄養と酸素を送り、老廃物を受け取る)は同じである。ところが、心臓や肺、肝臓などとは異なり、各動物種の胎盤には著しい形態的な差異が存在する。10年ほど前までは、哺乳類は胚栄養膜細胞の浸潤性の低いブタ、ウマやウシの方から浸潤性の高いイヌ・ネコ、げっ歯類、さらに霊長類へと進化したと考えられてきた。しかし、哺乳類の各動物種は起源(核酸配列)が異なりながら、同様の機能をもつウイルス遺伝子を独自に獲得し、それらの遺伝子機能を利用していることが明らかになってきた。

東大・今川は京大ウイルス研・宮沢孝幸らとの分子生物学的アプローチ(解析)と東海大学医学部・中川草のバイオインフォーマテック解析を駆使した解析を行った。先ず、ウシ胎盤形成時の胚(栄養膜細胞)で発現する全RNAを次世代シーケンス(RNA-seq)法を用いて抽出し、中川がコンピューター(In silico)解析を駆使し内在性レトロウイルス遺伝子群の特定・抽出を行った。抽出した候補遺伝子群の胎盤での存在、発現動態や機能解析は今川と宮沢が行った。その中から、様々な内在性レトロウイルス遺伝子配列とその機能が確定した。それらの知見を統合すると、一見ランダムに獲得したウイルス遺伝子は、同じ機能(細胞融合能)を担っていることが明らかになってきた。それは、もっと良い機能(融合能)を持つウイルス遺伝子が内在化した時、その動物種はそれを(積極的に)取り入れ、もっと優れた細胞融合システムを作り上げたことを強く示唆している。新しいウイルス遺伝子が順次、同じ機能で利用されることから、それは新しい機能の獲得(exaptation)ではなく「機能の伝達」と考え、「baton-pass」仮説を提唱した。

今の処、「機能の伝達」がはっきりと見られるのはウシとヒトのゲノムであるが、 他の哺乳動物種で発見される可能性は高い。このことから、哺乳動物種はウイルス遺伝子とその機能を(積極的に)取り入れ進化してきたことになる。また、ウイルス遺伝子の起源が同じでないことは、各動物種がそれぞれ独自にウイルス遺伝子を獲得し進化してきたことを示唆している。つまり、これまでの「浸潤性の低いものから高いものに進化したという」「進化の方向性」の説は正しくないことも示唆している。今般の発見は、哺乳類の進化の「新しい仮説」を提唱している。これから胎盤形成を含む妊娠の成立や維持を考えるとき、これまで明らかにされてきた機能遺伝子群の発現やその機能解析も重要であるが、各哺乳動物種が獲得した内在性レトロウイルス遺伝子の発現、機能やその発現調節を考えないと妊娠の促進や制御はありえない。

発表雑誌

雑誌名
「Genes to Cells」
論文タイトル
Baton pass hypothesis: Successive incorporation of unconserved endogenous retroviral genes for placentation during mammalian evolution
著者
K. Imakawa, S. Nakagawa and T. Miyazawa
DOI番号
10.1111/gtc.12278
論文URL
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/gtc.12278/abstract

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科 実験動物資源科学・附属牧場
教授 今川 和彦
Tel:03-5841-5382 または0299-45-2606
Fax:03-5841-8180または0299-45-5950
研究室URL:akaz@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

用語解説

注1 内在性レトロウイルス
外来性ウイルスには細胞に感染後、DNAを注入するDNAウイルスと、細胞にRNAを注入しウイルス感染を起こすRNAウイルス(レトロウイルスと総称される)がある。通常、生体(宿主)にウイルスが感染すると、いずれは宿主から排除される。また、たとえ宿主の体細胞や生殖細胞に感染することがあっても、最初は活性型の非固定型ERVが多いが、変異や欠失などにより不活性化され、宿主ゲノムから消失する。ところが、過去に感染したレトロウイルスが宿主の生殖細胞のゲノムに入り込み、固定化される場合がある。その感染細胞由来の配偶子(精子または卵子)から個体が発生すると、体細胞すべてにレトロウイルスのゲノムが入り込んでしまう。このレトロウイルスは内在性レトロウイルス(Endogenous Retroviruses、ERV)と呼ばれる。
注2 哺乳類の胎盤
哺乳類(真獣類)の胎盤は、胎児と母体間に存在し、胎児を保護するだけではなく、両者の物質交換の場であり、胎児の成長に必須な臓器(器官)である。哺乳動物において、各臓器にはサイズの違いはあっても、構成細胞や機能は基本的に同じである。ところが、胎盤構造に限ってみると、機能は同じなのに、大きさだけではなく、形や構成細胞に著しい違いがみられる。Peg10およびPeg11/Rtl1といわれるERVは、胎盤の形成に必須な遺伝子であることが分かっている。とくに前者は胎生初期に、後者は胎生後期に重要な役割を担っている。
一方、約4000万年前に霊長類に感染・固定化したヒト内在性レトロウイルスW(HERV-W)は胚の母親への着床時以降に栄養膜合胞体の形成にシンシチン(Syncytin)として利用される。 この細胞融合能をもつSyncytinはヒトだけではなく、げっ歯類、ウサギ、ウシやヒツジなどの反芻動物や他の動物種のゲノムに存在することが明らかにされつつある。ところが、各動物種のSyncytinは同じウイルスを起源に持つものはなく、異なったウイルスによる遺伝子配列にも関わらず、同様の細胞融合能を有する。