発表者
岡本 雅子(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任准教授/
       JST ERATO東原化学感覚シグナルプロジェクト・グループリーダー)
白須 未香(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任助教/
       JST ERATO東原化学感覚シグナルプロジェクト・グループリーダー)
藤田 怜(長谷川香料株式会社 総合研究所 主任研究員/
      東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 研究員/
      JST ERATO東原化学感覚シグナルプロジェクト 研究員)
平澤 佑啓(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 博士3年)
東原 和成(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 教授/
       JST ERATO東原化学感覚シグナルプロジェクト・研究総括)

発表のポイント

◆1779名の未就学児の父母を対象に、子育ての際、我が子の匂いに気付いたり自発的に嗅いだりすることがあるか、質問紙調査を行いました。

◆未就学児の父母、とりわけ0歳児のお母さんは、日常の育児で子供の匂いに気付き、自発的に嗅いでいました。0歳児のお母さんが最もよく嗅ぐ体の部位は、赤ちゃんのお尻と頭で、お尻はオムツ交換など衛生ケアのために、頭は良い匂いがする、愛おしいなどの理由で嗅いでいました。

◆これまで乳幼児の笑顔や泣き顔が、親の養育行動に影響を与えることが知られていましたが、匂いについては殆ど調べられていませんでした。今回の研究により、赤ちゃんの匂いも、親の養育行動に影響を与えている可能性が示唆されました。

発表概要

乳幼児は、乳幼児期特有の容貌、笑顔、泣き声など、親の養育行動(注1)を引き出す特性を備えていると考えられています。このような乳幼児の特性は、今までにヒトでは視聴覚を介するものが多く研究されてきました。一方、乳幼児の体から発せられる匂いが、日々の養育に寄与しているのかどうかは、これまで殆ど調べられていませんでした。
 東京大学大学院農学生命科学研究科の岡本雅子特任准教授と東原和成教授らの研究グループは、未就学児の父母を対象としたインターネット質問紙調査(注2)を行い、父母が我が子の匂いに気付いたり嗅いだりすることがあるか調べました。その結果、未就学児の父母、とりわけ0歳児のお母さんは、日常の育児で子供の匂いに気付き、自発的に嗅いでいることが分かりました。0歳児のお母さんが最もよく嗅ぐ体の部位は、赤ちゃんのお尻と頭で、お尻はオムツ交換など衛生ケアのために、頭はよい匂いがする、愛おしいなどの愛着(注3)に関わる理由で嗅いでいました。この他、赤ちゃんの額、口、首、手の匂いに対しても、愛おしいという気持ちを抱いたり、清潔か確認したりする際に嗅いでいました。
 本研究の結果から、未就学児の父母、ことに0歳児のお母さんが、日常の子育てにおいて、子の匂いを活用していることが分かりました。従来重点的に研究されてきた視聴覚の物理的なシグナルに加え、赤ちゃんが発する嗅覚の化学的なシグナルも、親の養育行動を促す大切な役割を担っている可能性があります。

発表内容


図1 調査の流れ
 親の経験に即した質問紙を作成するため、予備調査1を実施し、子の匂いに関する父母の経験を自由記述形式で収集した。得られたエピソードを基に、予備調査2を経て質問紙を作成し、本調査に用いた。子の発達段階および親の性別の違いによる匂い経験の特徴を調べるため、子の年齢群と回答者の性別(父母)の組み合わせで回答者を分類し、群ごとに回答票数を定めて回答を収集した。(拡大画像↗


図2 質問項目と因子分析の結果(頭に関する質問)
 頭の匂いに関する父母の経験からは、「好きな匂いがするので嗅いだ」など愛着に関わる因子と、「臭くないか確かめたくて嗅いだ」など衛生ケアに関わる因子が見出された。子の匂いは、衛生状態に関わる手がかりを与えると共に、親子の愛着を誘起するという2つの側面から、親の養育行動につながっている可能性が示唆される。(拡大画像↗


図3 子の匂いに関する経験者の割合(頭とお尻に関する尺度)
 いずれの尺度においても、父より母において、子の匂いに関する経験を有する人の割合が高かった。頭の「愛着」尺度では、年長の子より年少の子を持つ親において、経験を有する人の割合が高かった。頭の「衛生ケア」尺度を経験している人の割合は、子が年長になっても減らないか、増加していた。お尻の「衛生ケア」尺度を経験している人の割合は、トイレトレーニングの進む3歳以降で有意に減少した。子の匂いが与える養育行動の頻度や内容は、子の発達段階や親の性別(父母)によって異なることが示唆される。(拡大画像↗

乳幼児期特有の容貌や、笑顔、泣き声など乳幼児のしぐさは、大人から養育行動や、乳幼児を愛おしむ気持ちを引き出すと考えられています。このような乳幼児の特性は、ヒトでは視聴覚を介するものが多く研究されてきました。一方、マウスやヤギなどヒト以外の哺乳類では、仔の匂いも、親の養育行動につながることが知られています。しかしヒトの乳幼児の体から発せられる匂いが、日々の育児に影響を与えているのかどうかは、これまで殆ど調べられていませんでした。ヒトにおいても子の匂いが親の養育行動に影響を与えているのかどうか、また影響を与えている場合には、子のどの体の部位の匂いがどのような影響を与えているかを調べることにより、匂い成分の特定および、匂いを介した育児の支援につながる可能性があります。そこで本研究では、日常の育児において、父母が子の匂いをどのように感じているのかインターネット質問紙調査を行いました。

調査に用いる質問紙は、研究者の思い込みなどによるバイアスを避けるため、2つの予備調査を経て作成しました(図1)。予備調査1では、対象者に子の匂いに関する経験を自由に記述していただきました。予備調査2では、予備調査1で得られた各種のエピソードをどれほどの頻度で経験しているのかを調べました。こうして、一定数以上の父母が経験している子の匂いに関するエピソード、計44項目からなる質問紙を作成しました。このように作成した質問紙を用いて、2013年と2014年に本調査を実施しました。予備調査と本調査の対象者は6歳未満の未就学児を持つ父母とし、総計1779名にご協力いただきました。

本調査で用いた質問項目の一部(子の頭の匂いに関する項目)を図2に示します。質問紙には頭の他、額、口、首、手、お尻の匂いに関する質問が含まれました。各質問に対する回答の背後にある要因を探るため、体の部位別に、因子分析(注4)を行いました。様々な因子モデルをデータに当てはめて適合度を調べたところ、頭に関しては、「好きな匂いがするので嗅いだ」など愛着に関わる因子と、「臭くないか確かめたくて嗅いだ」など衛生ケアに関わる因子の2因子を仮定するモデルが、最も適合度が高いことが分かりました(図2)。その他の体の部位についても、お尻では「衛生ケア」、手では「愛着」と「衛生ケア」、額では「愛着」、口では「愛着」と「衛生ケア」、首では「愛着」の因子が認められました。これらの結果から、子の匂いは、衛生状態に関わる手がかりを与えると共に、親子の愛着を誘起するという2つの側面から、親の養育行動につながっている可能性が示唆されました。

体の部位別の因子分析で抽出した各々の因子を尺度(注5)として扱い、計9つの尺度を作成しました。この9つの尺度による調査結果を集計することで、親の性別(父母)と子の発達段階(3つの年齢群)の影響を検討しました。集計結果の一部(頭とお尻に関する尺度)を図3に示します。全般に父より母において子の匂いに関する経験を有する人の割合が高いことが分かりました。経験している人の割合が多かった尺度は頭の「愛着」とお尻の「衛生ケア」で、いずれも0歳児の母では9割以上の方が経験していました。お尻の「衛生ケア」尺度は、自分でトイレに行ける年齢の子を持つ親で、大幅に減少していましたが、頭の「衛生ケア」尺度を経験している人の割合は、子が年長になっても減らないか、増加していました。一方、頭の「愛着」尺度を経験している人の割合は、子が年長になるほど減少していました。その他の体の部位についても、「衛生ケア」尺度は子の年齢によって経験している人の割合が変わらないか増加する一方、「愛着」尺度は子が年長になるほど減少していました。

親の養育行動に関する研究では、乳児から幼児へと子が成長するに伴い、親子が物理的に近くにいる時間が減ることが指摘されています。「愛着」因子で説明される匂いの経験には、親と子がすぐそばで過ごしていることが関係している可能性があります。これらの結果を総合すると、子の匂いが親の養育行動につながっており、養育行動の頻度や内容は、子の発達段階や親の性別(父母)によって異なることが示唆されました。 親の養育行動に対する子のシグナルの影響については、ヒトでは笑顔や泣き声など、視聴覚の物理的なシグナルを中心に研究されてきました。今回の調査により、乳幼児の匂いという嗅覚による化学的なシグナルも、愛おしいという気持ちの誘起や、衛生状態を知る手がかりとして、親の養育行動につながっている可能性が示唆されました。また、頭やお尻など、匂いの源として特に重要な体の部位が特定されました。今後、これらの部位を中心に、子の匂いの成分を詳しく調べていくことにより、匂いを介した養育行動・親子関係構築の支援につながる可能性があります。本研究の成果は、養育行動に対する子の感覚シグナルの役割の解明や、ヒトの嗅覚の機能を明らかにする研究の進展に貢献すると期待されます。

発表雑誌

雑誌名
「PLoS One」
論文タイトル
Child odors and parenting: A survey examination of the role of odor in child-rearing
著者
Okamoto Masako, Mika Shirasu, Rei Fujita, Yukei Hirasawa, and Kazushige Touhara
DOI番号
10.1371/journal.pone.0154392
論文URL
http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371%2Fjournal.pone.0154392

問い合わせ先

<研究に関すること>
東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 生物化学研究室
特任准教授 岡本 雅子
Tel:03-5841-8043
Fax:03-5841-8024
Email:a-okmoto@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

教授 東原 和成
Tel:03-5841-5109
Fax:03-5841-8024
Email:ktouhara@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
研究室URL:http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/biological-chemistry/

<JST事業に関すること>
科学技術振興機構 研究プロジェクト推進部
大山 健志(オオヤマ タケシ)
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
Tel:03-3512-3528
Fax:03-3222-2068
Email:eratowww@jst.go.jp

用語解説

注1 養育行動
子の生存可能性を高める親の行動。哺乳類では、養育行動は種の保存に不可欠であるため、親には養育行動を成立させる生物学的基盤が、子には親の養育行動を促す特性が備わっていると考えられている。養育行動の基本的な要素には、授乳、子を運ぶ、清潔に保つ、保温する、危険から守る、巣を作るなどの行動が挙げられる。またヒトでは、優しく撫でるなど愛情を込めた行動も、健全な親子関係を形成する上で重要な養育行動の要素として指摘されている。
注2 インターネット質問紙調査
インターネットを利用したアンケート調査。集計結果が得られるまでの期間が、郵送法に比べて圧倒的に短く安価であるため、近年様々な学術分野で活用されている。インターネット質問紙法では、回答者がインターネットを利用できる人に限定されるため、回答者にバイアスが生じる可能性が否定できない。しかし本研究で対象とする年齢層(20歳~59歳)におけるインターネット利用率は90%を超えている(総務省 平成25年通信利用動向調査)。そのため本研究で得られたデータは、調査対象の母集団をおおむね代表していると考えた。
注3 愛着
心理学では、ボウルビィの愛着理論(Bowlby's Attachment theory)で「危機に備えて特定の対象との近接を求める個体の傾向」を指すことが多いが、本稿では、「愛情や感情に関わる因子」という意味で用いている。
注4 因子分析
統計学の手法で多変量解析の一つ。質問紙法を用いた研究の場合、複数の質問項目に対する回答のパターン(相関関係)に基づいて、似ている質問項目をまとめて分類し、それらの回答に影響を与えている要因(因子)を探る目的でこの方法がよく用いられる。本研究では、1因子または2因子が抽出され、「衛生ケア」に関する因子と、「愛着」に関わる因子と解釈された。なお本研究で得られた回答の一部は、多峰性の分布を示したため、混合因子分析モデルを用いて分析された。
注5 尺度
心理現象を客観的に測定するために作成されたツールのこと。多くの場合、いくつかの質問項目からなる質問紙が用いられ、それらに対する回答を得点化することによって、心理現象を数値化する。正確に測定するためには、信頼性と妥当性の高い尺度を作成することが重要である。