発表者

阿野 泰久(キリン株式会社 R&D本部 健康技術研究所)
高市 雄太(東京大学 大学院農学生命科学研究科獣医学専攻 博士課程1年)
内田 和幸(東京大学 大学院農学生命科学研究科獣医学専攻 准教授)
高島 明彦(学習院大学 大学院自然科学研究科生命科学専攻 教授)
中山 裕之(東京大学 大学院農学生命科学研究科獣医学専攻 教授)

発表のポイント

◆乳清(ホエイ)に含まれる認知機能改善成分としてTryptophan-Tyrosine(WY)配列を含むペプチド(WY配列含有ペプチド)(注1)を新たに見出しました。
◆ホエイに含まれるタンパク質を特定の微生物由来酵素で処理すると、WY配列含有ペプチドを多く含むホエイペプチドが調製できることを見出しました。また、WY配列含有ペプチドはカビで発酵したチーズにも多く含まれていることがわかりました。
◆今回見出したWY配列含有ペプチドを多く含むホエイペプチドやチーズを摂取することで認知症の予防が期待されます。

発表概要

アルツハイマー病(注2)に代表される認知症の本質的な治療法は未だ明らかではありませんが、日常生活に取り入れることで認知症を予防できる方法の開発が注目を集めています。これまで、チーズ等の発酵乳製品を摂取することで認知機能の低下が予防できるという報告がありました。当研究グループもカマンベールチーズの摂取によりアルツハイマー病が予防できる可能性をモデル動物を用いた実験により示してきました。しかしながら、認知機能の低下予防や改善に効果的な発酵乳製品中の成分は未だ解明されていませんでした。
 東京大学大学院農学生命科学研究科獣医病理学研究室、学習院大学、キリン株式会社の研究グループは、認知機能を改善するホエイ中の成分を探索し、Tryptophan-Tyrosine(WY)配列を含むペプチド(WY配列含有ペプチド)を同定しました。また、これらのWY配列含有ペプチドが神経伝達物質の1つであるドーパミン(注3)の海馬における増加を促す作用があることも見出しました。加えて、ホエイタンパク質を特定の微生物由来酵素で処理することにより、WY配列含有ペプチドを高率に含むホエイペプチドを調製できることも見出しました。さらに、これらのWY配列含有ペプチドやホエイペプチドは、短期的な摂取でも加齢性の認知機能低下を改善する作用があることも確認しました。
本研究の成果により、WY配列含有ペプチドを用いた日常的に摂取しやすい認知症予防食品の開発が期待されます。

発表内容

図1 ホエイ分解物のクロマトグラフィー(上左)、WYペプチドの構造(上右)、WY配列含有ペプチド(GTWY、TWY、WY)摂取マウスの空間認知機能(Y字迷路試験のSpontaneous alternation、下) *p < 0.05(拡大画像↗)
図2 GTWYペプチド摂取後のマウス海馬におけるドーパミン量(左)、WYおよびGTWYペプチドのドーパミン分解酵素MAO-B阻害作用(右) *p < 0.05(拡大画像↗)
図3 老齢マウスを用いた、GTWYペプチドまたはWY配列を多く含むホエイ由来ペプチドの摂取による空間認知機能(Y字迷路試験のSpontaneous alternation、左)およびエピソード記憶(新奇物体認識試験の Discrimination index、右)の評価  *p < 0.05、 **p < 0.01(拡大画像↗)

表1 各種発酵乳製品に含まれるGTWYペプチド量  (拡大画像↗)
【研究の背景】
 アルツハイマー病などの認知症は大きな社会的関心事となっています。現在、日本では460万人、世界では2400万人が認知症を患っていますが、有効な治療法・予防法は未だ開発されていません。これまでの疫学調査で、チーズ等の発酵乳製品の摂取が認知機能低下を改善し、また予防することが示されています。当研究グループではこれまでカマンベールチーズの摂取がアルツハイマー病を予防する効果を示すことをモデル動物を用いた試験で報告してきました。しかしながら認知機能を改善する有効成分は明らかになっていませんでした。

【研究内容】
 ホエイタンパク質を特定の微生物由来酵素で分解することで生じるペプチドの中から、認知機能改善効果を有するアミノ酸配列の探索を行い、Tryptophan-Tyrosine(WY)配列を有するペプチド(WY配列含有ペプチド)を同定しました。
まず、さまざまな微生物由来酵素を用いてホエイタンパク質を分解し、各分画をスコポラミン誘導健忘症モデルマウスに単回経口投与して、1時間後の空間記憶をY字迷路試験で評価しました。空間認知機能増強活性があった分画について更に精製、活性評価を繰り返してペプチドを純化し、エドマン分解法によりアミノ酸配列を決定しました。その結果、WY配列を含む複数のペプチドが同定されました(図1)。さらに、これらWY配列含有ペプチドは、ドーパミン分解酵素であるモノアミンオキシダーゼBの活性を阻害すること、および摂取後1時間で海馬におけるドーパミン量を増加させることが明らかになりました(図2)。加えて、WY含有ペプチドの摂取が加齢に伴い低下する空間記憶やエピソード記憶を改善することも確認しました(図3)。  一方、今回認知機能改善活性が示されたWY配列含有ペプチドのひとつであるGTWYについて、市販のチーズにおける含有量を調べたところ、スティルトン、ブリー、フルムダンベールなど特に青かび発酵チーズに多く含まれていることを見出しました(表1)。

【社会的意義と今後の展開】
 チーズやヨーグルトなどの発酵乳製品の摂取が加齢性の認知機能低下を改善し、また予防することが疫学調査などにより報告されています。今回、ホエイやチーズなどの乳製品に含まれる一部のペプチド成分が認知機能改善を示すことを明らかにしました。ホエイはチーズ製造時の副産物で、これまではあまり利用されることがありませんでしたが、酵素処理によって認知機能改善効果を有するWY配列含有ペプチドを産生することで有効利用が可能となります。WY配列含有ホエイペプチドを用いた日常的に摂取しやすい認知症予防食品の開発が期待されます。

発表雑誌

雑誌名
Neurobiology of Aging
論文タイトル
:Novel lacto-peptides in fermented dairy products improve memory function and cognitive decline.
著者
:Yasuhisa Ano, Tatsuhiro Ayabe, Toshiko Kutsukake, Rena Ohya, Yuta Takaichi, Shinichi Uchida, Koji Yamada, Kazuyuki Uchida, Akihiko Takashima and Hiroyuki Nakayama
DOI番号
:10.1016/j.neurobiolaging.2018.07.016.
論文URL
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0197458018302677

問い合わせ先

東京大学 大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医病理学研究室
教授 中山 裕之(なかやま ひろゆき)
Tel:03-5841-5400
E-mail:anakaya<アット>mail.ecc.u-tokyo.ac.jp <アット>を@に変えてください。

用語解説

注1 ペプチド
2個以上のアミノ酸がアミノ基とカルボキシル基の間で脱水,結合して形成される物質の総称
注2 アルツハイマー病
認知機能低下や人格の変化などが主な症状である認知症の一疾患。高齢化の進行により、患者数が増加し大きな社会的な問題となっている
注3 ドーパミン
神経伝達物質の1つで、脳においては認知機能、意欲などに関わっている。ドーパミン、セロトニン、アドレナリン、ノルアドレナリンなどを総称してモノアミンと呼ぶ