東京大学農学生命科学研究科プレスリリース

2009/3/13

「ビフィズス菌が母乳中のオリゴ糖を代謝する酵素の立体構造を明らかにした」

発表者: 伏信 進矢(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻 助教)
日高 將文(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻 研究員)
若木 高善(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻 准教授)
祥雲 弘文(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻 教授)

発表概要

ビフィズス菌が母乳中のオリゴ糖を代謝する酵素の立体構造を解明した。この酵素は作用する際に全体の形を歪めつつ大きく動くことが分かり、特殊な分子進化を経てヒトの糖鎖成分を分解するようになったと考えられた。

発表内容

背景: 母乳栄養乳児の腸内にはビフィズス菌が速やかに定着することは半世紀以上も前から知られており、ビフィズス菌の定着は乳児の健康に寄与していることが古くから指摘されていました。独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構 食品総合研究所の北岡本光・ユニット長らは、2005年に、母乳中に存在するオリゴ糖を構成する特異な二糖である「ラクトNビオース(注1)」を分解する酵素の遺伝子をビフィズス菌から発見しました。その後、独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構 食品総合研究所、東京大学大学院農学生命科学研究科、京都大学大学院生命科学研究科、石川県立大学生物資源工学研究所の四機関で共同研究を行い、ビフィズス菌が母乳中のオリゴ糖を菌体外で分解しラクトNビオースを切り出した後に、それを菌体内に取り込んで代謝し、増殖のためのエネルギーに変換する一連の酵素およびトランスポーターを次々と発見して、「ビフィズス菌のラクトNビオース代謝」の詳細を明らかにしてきました(図1)。 

成果: 本研究では、日高將文研究員、伏信進矢助教らが中心となって、ビフィズス菌の中でラクトNビオースを分解する酵素(ガラクトNビオース/ラクトNビオースホスホリラーゼ、以下GLNBP:注2)の立体構造を、X線結晶構造解析(注3)の技術を用いて明らかにしました。その結果、GLNBPはTIMバレル(注4)と呼ばれる「樽」のような形をしており、ラクトNビオースとリン酸を結合する時に、全体が大きく歪むことを発見しました(図2)。さらに、GLNBPの立体構造は、乳糖などを分解するβ-ガラクトシダーゼ(注5)の形と、わずかに似ていることが分かりました。これは、GLNBPが乳糖を分解する酵素と共通の祖先酵素から分子進化してきたことを示唆しています。私たちは、ビフィズス菌の持つ酵素は、他の環境にすむ微生物の酵素とは異なる分子進化を経て、母乳中のミルクオリゴ糖を分解するようになったと考えています。

本研究の意義・考えられる波及効果: 現在ではラクトNビオースは母乳中に存在するビフィズス菌増殖因子と考えられており、機能性食品としての応用が期待されています。独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構 食品総合研究所ではラクトNビオースの大量調製技術の開発に成功しており、その工程にはGLNBPが用いられています。本研究の成果は、ビフィズス菌の酵素の分子進化に関して興味深い知見を得たという基礎的な面だけでなく、ラクトNビオースの製造技術の改良にも寄与することが期待されます。

共同研究・助成など: 本研究は独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構 食品総合研究所の北岡本光ユニット長および西本完研究員との共同研究で行われました。X線回折データ測定には大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(茨城県つくば市)の物質構造科学研究所 放射光科学研究施設(フォトンファクトリー)を用いました。本研究を含む一連の研究は生物系特定産業技術研究支援センター基礎研究推進事業の委託課題「酵素デザインを活用したミルクオリゴ糖の実用的生産技術の開発」によって行われたものです。

添付資料

<図1:ビフィズス菌のミルクオリゴ糖代謝経路(概念図)>



<図2:GLNBPの作用にともなう動き>

参考URL:
生物系特定産業技術研究支援センター基礎研究推進事業
「酵素デザインを活用したミルクオリゴ糖の実用的生産技術の開発」
http://brain.naro.affrc.go.jp/tokyo/marumoto/up/h17kadai/09kitaoka.htm
東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻 酵素学研究室ホームページ
http://enzyme13.bt.a.u-tokyo.ac.jp

発表雑誌

米国生化学会誌 (Journal of Biological Chemistry) 3/13/2009号に掲載。
(Journal of Biological Chemistry, Vol. 284, Issue 11, March 13, 2009) 

注意事項

特になし

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻 酵素学研究室
  助教 伏信 進矢
  Tel:03-5841-5151 or 03-5841-8227
  Fax:03-5841-5151
  E-mail: asfushi@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

用語解説

注1 ラクトNビオース: ガラクトースとN-アセチルグルコサミンがβ1,3-結合した二糖。牛乳に含まれる糖類はほぼ100%が乳糖であるのに対し、ヒトの母乳中には乳糖の他に「ヒトミルクオリゴ糖」と呼ばれる三糖以上のオリゴ糖が約20%含まれている。ヒトミルクオリゴ糖は130種類以上の複雑なオリゴ糖の混合物だが、その中にラクトNビオースを含むものが数多く含まれる。興味深いことに、他の大半のほ乳類とは異なり、ヒトの母乳中にはラクトNビオースを含むオリゴ糖が優先的に見られることが分かっている。

注2 ガラクトNビオース/ラクトNビオースホスホリラーゼ: ラクトNビオースにリン酸を加えてガラクトース1リン酸とN-アセチルグルコサミンに分解する酵素。この反応は加リン酸分解と呼ばれ、逆反応が効率よく進行するため、オリゴ糖の合成に用いることが可能である。ビフィズス菌のラクトNビオース代謝の鍵となる重要な酵素である。この酵素は、ヒトの腸管粘膜の成分であるムチンに含まれるガラクトNビオース(ガラクトースとN-アセチルガラクトサミンがβ1,3-結合した、ラクトNビオースとよく似た二糖)も同様に加リン酸分解するため、このような名前で呼ばれている。

注3 X線結晶構造解析: 酵素(タンパク質)の立体構造を得るための最も一般的な方法の一つ。目的物質の結晶にX線を照射し、回折データを測定することにより、微細な三次元構造を知ることが出来る。

注4 TIMバレル: タンパク質の代表的な折り畳み構造(フォールド)の一つ。8本のβシートとαヘリックスが樽状に配置されている。トリオースホスフェートイソメラーゼ(略称TIM)という酵素で初めて見出されたためこう呼ばれる。本研究のように、樽状構造を歪めるような動きが観測された例はこれまで世界で例がなく、非常にユニークなメカニズムと言える。

注5 β-ガラクトシダーゼ: 乳糖(ガラクトースとグルコースがβ1,4-結合した二糖)を加水分解して2つの単糖(ガラクトースとグルコース)にする酵素。ヒトから微生物まで幅広く分布する。

 

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