東京大学農学生命科学研究科プレスリリース

2009/4/20

 ヒトSPR欠損症のモデルとしてのカイコの突然変異lemon

発表者: 孟 艶(東京大学大学院農学生命科学研究科生産・環境生物学専攻 日本学術振興会外国人特別研究員)
勝間 進(東京大学大学院農学生命科学研究科生産・環境生物学専攻 准教授)
大門 高明(東京大学大学院農学生命科学研究科生産・環境生物学専攻 助教)
嶋田 透(東京大学大学院農学生命科学研究科生産・環境生物学専攻 教授)

発表概要

カイコの突然変異「黄体色」(lemon)(注1)および「黄体色致死」(lemon lethal)(注2)の原因が、セピアプテリン還元酵素(SPR)(注3)の遺伝子の異常により、SPR活性が低下しているためであることを明らかにした。ヒトの遺伝病「SPR欠損症」(注7)も同じ酵素の異常で発症し、発達障害や運動障害を呈する。SPR活性がほとんどないlemon lethal変異体にテトラヒドロビオプテリン(注4)やドーパミン(注5)を経口投与すると、2齢幼虫で致死するはずの変異体が3齢以降まで成長し、一部は成虫にまで達した。このような薬物治療ができることは、カイコの変異体がヒトの疾患の病態モデルとして使える可能性を示している。

発表内容

カイコの幼虫の正常体色は白であるが、突然変異「黄体色」(lemon)(注1)では全身が黄色を呈する。類似の変異である「黄体色致死」(lemon lethal)(注2)は2齢幼虫が濃黄色を呈し、摂食ができずに致死する。両者の黄色色素は、キチョウの翅の色素と同じキサントプテリンである。私たちは、この突然変異の原因がセピアプテリン還元酵素(SPR)(注3)の遺伝子の構造に異常が起きた結果、SPRの酵素活性が顕著に低下するためであることを明らかにした。SPRは、チロシン水酸化酵素などの補酵素として使われるテトラヒドロビオプテリン(BH4)(注4)を合成する酵素であり、SPRの欠損はヒトや哺乳類でも発達障害や運動障害などの重篤な症状を引き起こす。lemon lethal変異体にBH4を経口投与して治療を試みた結果、2齢幼虫が餌を食えるようになって成長をし、個体によっては成虫にまで達した。また、同様にドーパミン(注5)を経口投与したところ、やはり2齢幼虫で摂食ができるようになり、成長を示した。これらの結果から、lemon lethalの致死の原因は、BH4の不足によってチロシン水酸化酵素の活性が低下し、ドーパミンの生産量が低くなったために、摂食行動に必要な神経活動ができないことであると結論した。ドーパミンの分泌量の低下は、ヒトではパーキンソン病(注6)の原因として知られている。カイコの致死変異体lemon lethalは、BH4やドーパミンの投与で救済できることが分かったので、今後、ヒトのSPR欠損症(注7)やパーキンソン病の治療法開発のモデルとして利用できる可能性がある。

なお、本成果は独立行政法人農業生物資源研究所(内野恵郎 特別研究員、瀬筒秀樹 主任研究員、田村俊樹 特任上級研究員、三田和英 特任上級研究員)および九州大学大学院農学研究院(伴野豊 准教授)との共同研究で得られたものである。また、この研究は(1) 文部科学省科学研究費特定領域研究(比較ゲノム)、(2) 農林水産省委託プロジェクト「アグリ・ゲノム研究の総合的推進」(昆虫ゲノム)、(3) 文部科学省科学技術振興調整費(農学生命情報科学大学院教育研究プログラム)、(4) 文部科学省ナショナルバイオリソースプロジェクト等による支援を受けている。

添付資料


図の説明:(上)2齢初期に死亡するはずのカイコの変異体「黄体色致死」(lemon lethal)にテトラヒドロビオプテリン(BH4)を経口投与して得られた3齢幼虫。(下)正常なカイコの3齢幼虫。

発表雑誌

Yan Meng, Susumu Katsuma, Takaaki Daimon, Yutaka Banno, Keiro Uchino, Hideki Sezutsu, Toshiki Tamura, Kazuei Mita, and Toru Shimada (2009) The silkworm mutant lemon (lemon lethal) is a potential insect model for human Sepiapterin reductase deficiency. Journal of Biological Chemistry, Vol. 284, Issue 17, 11698-11705. 

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻 
  昆虫遺伝研究室
  嶋田 透 教授
  電話 03-5841-8124
  FAX  03-5841-8011
  Mail  toru@ss.ab.a.u-tokyo.ac.jp
  ホームページ http://www.ab.a.u-tokyo.ac.jp/igb

用語解説

注1 黄体色 (lemon): 1917年(大正6年)に郡是製糸株式会社で飼育中の蚕から見いだされた変異体。劣性の形質であり、ホモ接合の幼虫は全身が黄色を帯びる。黄体色致死とは異なり、正常に発育して生殖能力にも問題がない。黄色の色素はキサントプテリンであるとされている。九州大学等で継代飼育されているほか、多くの研究室で、マーカー形質として遺伝学的な研究に利用されている。原因遺伝子が第3染色体の末端付近に存在することは知られていたが、本研究で初めてその遺伝子が単離された。

注2 黄体色致死 (lemon lethal): イタリアから日本へ導入された蚕品種"Blanc indigene"の中から1921年(大正10年)に見いだされた変異体。lemonと対立関係にある劣性の遺伝子に支配される。ホモ接合の個体は、2齢への脱皮の直後、全身が濃黄色を呈しつつ摂食できずに致死する。九州大学では、ヘテロ接合の個体を交配しながら蛾区選抜によって継代されている。

注3 セプアプテリン還元酵素 (SPR): ヌクレオチドの分解過程などで生じる6-ピロボイルテトラヒドロプテリンを還元してテトラヒドロビオプテリンを生成する反応を触媒する酵素。 

注4 テトラヒドロビオプテリン(BH4): プテリジンの一種であり、チロシン水酸化酵素、フェニルアラニン水酸化酵素、トリプトファン水酸化酵素、一酸化窒素合成酵素などの酵素活性に必須の補酵素。ヒトでのテトラヒドロビオプテリンの欠乏は、フェニルケトン尿症(PKU)の原因となる。

注5 ドーパミン: モノアミンの一種で、かつカテコールアミンの一種。チロシンやフェニルアラニンが水酸化されてL-ドーパが生じ、それが脱炭酸反応によってドーパミンとなる。中枢神経系に存在する神経伝達物質であり、運動調節や意欲などの機能に関わる。

注6 パーキンソン病: ヒトの脳神経疾患の一つで、ふるえ、動作緩慢、小刻み歩行が特徴的な症状である。脳内のドーパミンの不足とアセチルコリンの相対的増加によって発症すると考えられている。日本では人口10万当たり100〜150名の患者がおり、難病(特定疾患)に指定されている。

注7 SPR欠損症: セピアプテリン還元酵素(SPR)の活性が低いか皆無であるために起きるヒトの遺伝病。最近明らかになった病気なので日本人の頻度は不明である。SPR遺伝子に異常があるために正常なSPR酵素を作れず、BH4が不足するために発症する。発達障害、運動障害、小頭症などの症状を呈する。

 

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