東京大学 大学院 農学生命科学研究科・農学部 広報誌『弥生』Vol.75 (Fall 2022)
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8授業の目標、概要: 本講義は、農学部広報室、One Earth Guardians(OEGs)育成プログラム、Amgen Biotech Experience(ABE)プログラムのメンバーが中心となって企画する講義です。本年度は、農学部の附属施設、そして農学部の教員や関係者から、インタビューを受けていただく方を選びます。それぞれの研究者インタビューや仕事の内容の調査を通じて、それぞれの方の過去、現在、未来をシェアし、これらをまとめて科学者としての5W1Hを記事にすることによって確認する、そして、これらを自分のこれからの道に生かしてもらうことを最終ゴールとしています。授業計画:  本講義は、まず、インタビューの心得を学んだ後、それぞれの回に一人の科学者へのインタビューを試みます。インタビューでは、それぞれの方に、最初に、11の質問をお訊きし答えてもらいます。その後、施設や研究室の様子などを紹介いただき、続いて、皆さんからの質問を受けていただく予定です。インタビュー後、参考情報などを調べ、担当教員と一緒にこれらを記事とし、science communicatorなどにコメントをいただきながら、科学記事として仕上げます。最後の数回では、グループごとに記事を交換してreviewをしあうことも考えています。これらを集めて、広報誌に投稿する、小冊子にする、あるいはSNSにアップするなど発信することも視野にいれています。from Graduate School of Agricultural and Life Sciences 皆さん、それぞれの科学者は、どのような経緯で、どのような研究をすることになったのでしょうか? また、それで何を実現し、どのような未来を描いているのでしょうか?本講義は、そんな疑問に応えるために、科学者にインタビューを試み、皆さんに、インタビュー記事を書いてもらい、science communicatorsとしての新しい経験を積んでもらうことを目標としています。 恩師の存在 附属牧場の李先生は中国の吉林省出身で、4歳の時に文化大革命を経験した。大学の進学率も数パーセントである時代に、成績がよかったことから高校の先生に進学を勧められ、唯一の選択肢だった農業大学へ進んだ。すると、豚の扱いが上手だったことから、大学に残って欲しいと教授に依頼され、研究者を目指すことにした。先生はもともと農業が好きでなかったそうだが、お世話になった先生方に恩返しをしたいという思いから、研究を続けている。 森林科学専攻の松下先生は、大学3年生の時に新設された応用きのこ学研究室に入った。先輩はおらず、何をするのかわからなかったが、楽しそうにキノコについて語る教授に心惹かれ、自身も菌類に魅了された。現在は、学生たちに考えるだけでなく実際に行動を起こす大切さを教えながら、倒木更新の原因となる暗色雪腐病菌やマツタケの人工栽培の研究をしている。生物材料科学専攻の恒次先生は、森林総合研究所に就職したものの、当初は研究職で生きていく決心がつかなかった。謙虚な先生は「自分は研究の才能もアイデアもない」と思い、研究に没頭できないことに負い目を感じていた。しかし、修士の指導教官、森林総合研究所で出会った先生、留学先のフィンランドの女性研究者の皆さんに背中を押され、木のよさを科学的に伝える第一人者になった。一度は現場を離れたものの…… 演習林の後藤先生は、大学卒業後にヤマハの営業職に就いた。仕事をする中で技術職への憧れが募り、公務員林業職を独学して福岡県農林業総合試験場に採用された。ある日参加した県職員研修で、アガロースゲル内に燦然と輝くDNAのバンドを観察した。感銘を受けた先生は、初めて論文を執筆。後世まで自身の名が載った文章が残ることに感動し、今後の道を決めた。一方で、ヤマハで音楽・スポーツに対する愛が強い者ほど早く辞めていく姿を見たことから、「好きなものを仕事にするのは正解なのか?」と疑問を呈している。生産・環境生物学専攻の松尾先生は、保育園の頃から研究者に憧れていた。しかし、大学に入ってからは研究テーマを見つけるのに苦労した:まるでイヤイヤ期のように、やりたくない研究ばかりに気づき、やりたいテーマがわからない。気づけば壮年期に突入し、家庭を築いて人生を謳歌する同級生と、様々な研究テーマを彷徨う自分のギャップに落ち込んだ。立ち直るきっかけは、成功も失敗も全て自分の責任にしないことだった。何事も運に左右されることを受け入れ、だからこそ等身大の自分でいることを大切にする。すると、いつか日の目を見るときが来ると思えるようになった。現に、先生は初めて動物の求愛行動の進化が配偶システムを変化させることを見つけた。 農学部長・農学生命科学研究科長の堤先生は、駒場の授業に幻滅し、勉強しなくなった時期がある。入学した翌年には、留年もした。その後は改心したものの、研究者になってからもしばらくは「サイエンスはエンターテイメントで良い」と自分に言い聞かせ、なんとなく研究を続けていた。そんな時、バイオマスの研究やマダガスカルでの実地調査を担当。初めて、人のために研究する尊さに気づかされた。今も変わらず「農学は現場ありきで、実学」と標榜しているが、それを体現する苦悩は尽きない。悶々とする大学生活 動物医療センターの米澤先生は駒場時代、鬱屈とした毎日を過ごしていた。理想の大学生活が送れず、ますます内向的になる日々。自ら作った殻に閉じこもり、疎外感に苛まれていた。ある日、後に恩師となる教授から「なぜヒトは一夫一婦制なのか」という話を聞いた。発想の自由さ、動物から教わる大切さ、そして好きなことを追究する面白さに思わず胸が弾み、一歩踏み出す勇気を得た。世界が大きく広がった先生は、今や獣医の現場に立ちながら基礎・応用研究共に力を注いでいる。様々な束縛との格闘 科学者の女性比率は、アメリカで3割強、日本では1割5分ほど。アメリカにはマイノリティーの女性研究員を優遇するしくみがあるそうで、川沢-今村先生は少数派の立場を活かす強さを教えてくれた。なんと、大学と交渉を重ねてご主人のポストも作ってもらったそうだ。けれども、お金やコンプライアンスなど大学と話し合うべき事柄も多く、純粋な科学以外に時間が取られることを危惧している。 ちなみに、日本ではワークライフバランスを支援する制度が希薄で、改革も中々進まないことから、そもそも研究者を目指す女性が少ない。生態調和農学機構の河鰭先生は、「植物を尊重した」植物工場を研究している。多くの植物工場は、工学系出身の方が研究していることもあり、高度な制御によって最高の農産物の発育を目指している。だが、先生は「植物自体の変異や個体差を考慮していない」と考え、最低限の監視・制御で環境を整備し、自然を活かすことを目標にしている。 これは、工学の「当たり前」が農学では通用しないことを意味する。「何事も、専門の枠に囚われずに考える」̶先生は自戒を込めてこの言葉を口にしており、園芸特有の閉塞感を打開する難しさを語ってくれた。それでも、上を目指せる〜農学を続ける理由〜 水産実験所の菊池先生は、「何事も螺旋を描く」と教えてくれた。例えば、先生が幼い頃は海洋牧場が夢見られ、様々な取り組みが行われていた。けれども、一時期から衰退し、世間から姿を消した。近年、ゲノム情報による予測という新たな武器と共に、再び注目が集まっている。ここで大事なのは、海洋牧場の研究は単に「盛んに行われる」と同じ場所に戻ったのではなく、新たな武器を搭載してレベルアップしていることだ。つまり、何事もただ同じ円環状をぐるぐると回るのでなく、新たな観点や技術を導入することで、飛躍するのだ。 何気ない日常の中で研究に魅かれ、幾多の悩みや制約を乗り越え、更なる高みを目指す。それぞれの専門やスタイルは違えど、■藤しながら、皆でより良い世界に挑戦する。思うに、科学は常に門戸を開いていて、それぞれの個性を尊重しながら、皆に真理を探究する機会を与えている。誰も拒まず、皆を受け入れる自由さこそ、科学、そして農学に魅了される最大の理由だろう。全学自由研究ゼミナール本講義を履修して K.G科学の魅力とは〜農学部の先生にお聞きして〜ある先生との偶然の出会い、アガロースゲル内で光るDNA、「なぜヒトは一夫一婦制なのか」という問い̶科学者を目指すきっかけは、ふとした瞬間に生まれるようだ。けれども、科学の道は決して楽しいことばかりではない。世の中や自分、ときには見えない敵と戦いながら、日々真理を追求するからだ。そんな営みを職とする、幾人かの農学部の先生に、科学を志したきっかけ、日頃の■藤、そしてそれでもなお研究に魅かれる理由を聞いた。29Agric. Scientists Studio Interview

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