東京大学 大学院 農学生命科学研究科・農学部 広報誌『弥生』Vol.75 (Fall 2022)
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転職で出会った天職好きなことを仕事にしたい。誰もが考えることだ。では、自分が好きなこととは果たして何なのか。それがわからなかった。大学卒業後一般企業の営業職で3年間働いたが、この仕事を定年まで続けるのは違うと退職。林業の国家試験をパスし、公務員になった。公園などを造る技術職を希望していたが、願い叶わず。人事の都合で福岡県森林林業技術センター育種担当への配属が決まり否応なしに研究職となった。研究者になるなど思ってもみなかったのでスギとヒノキの違いさえわからないような状態。上から言われた実験をこなすのもやっとだった。 そんな中、DNA分析の研修で行った実験でビビッときた。「これだっ!」と思い、センターに駆け戻って他の品種で分析を試してみた。その後も周りの人に手伝ってもらいながら興奮状態で実験を続けた。普段穏やかに見える彼だが、一度火がつくと突き進む。その成果が認められ、初の論文を書くことになった。ここで実験に続き二度目の興奮が彼を襲う。文章を書くことがとにかく面白かった。加えて、自分の名の記された文章が後世に残るというのがたまらない。今までずっとわからなかった、自分の好きなことが見つかった。 その後、どんどんと研究が面白くなってきた。しかしちょうど学位も取りたいと思いはじめた頃、異動の時期がやってきた。そんな中、このまま研究を続けたいという思いに偶然の縁が重なって東大で助手をする話が舞い込んだ。妻子持ちで安定の公務員を辞める不安はあったが、妻の後押しもあり研究者への道を選択した。人生で最大とも言える決断だった。 東大で働き始めて間も無く、大学附属の北海道演習林で働くことが決まった。しかし、これが彼を悩ませることになる。福岡では人工林の育種を研究していた。また、研究職ではあるものの公務員だったので、研究課題はある程度決められていた。しかし、北海道ではその広大な土地ゆ高校時代の部活仲間の「後藤は一番、手堅い人生を送るだろう」という予言は大きく外れ、一番、波乱万丈な人生になっているかも。インタビューを受けたのは初めてだったのですが、研究の話にとどまらず、食料問題や気候変動、進路や就職への想い、おいしいパン屋の情報交換など、あっちこっちに脱線しまくりで、まとめるのが大変だったのでは。楽しく貴重な体験をありがとうございました。9Interview01 恒次先生インタビューInterview02 後藤先生インタビューM.KY.Tえに天然林の生態研究が主で、育種研究はほとんど行われていない。加えて、研究課題は自由。自分は何を研究すればいいのか。自分の研究者としての代名詞は何なのか。答えが見つからないまま何年もの時が流れた。 ある時トドマツの交配に関する研究を開始した。その時は、これが自分にとって転機になるとは思ってもみなかった。しかし、実験を重ねるうちにのめり込んでいく。こうして松を研究すること、そして、生態研究と育種研究のどちらか一つではなく、両輪でやっていくことを決めた。もともと地球温暖化に対して危機感を抱き、自分が死ぬまでに何か行動を起こさねばと思い続けていた。日本の温暖化研究は絶滅危惧種の保全が中心である。これは確かに重要だが、これでは全体を大きく変えられない。だからもっと積極的な温暖化対策が必要だと考えた。そこで目をつけたのが、個体数が多い普通種、中でも昔から調べ続けてきた松だ。松林を温暖化後の世界でも健全に保つため、将来の気候に合わせて北に移植する研究を始めた。これは、カナダなど日本よりも温暖化が深刻な北国では主流の考え方で、温暖化のその先を見据えたいわば積極的な温暖化対策である。しかし日本では、移植は遺伝子撹乱など負のイメージが付き纏い議論にすら上がらない。50年後、100年後の世界がどうなるのかは誰にもわからない。もしかしたら樹木を北に移植する試みは間違っているのかもしれない。しかし、地球温暖化の現状はそんなことを言っていられないほどに深刻である。だから日本で移植について発信していくことに使命を感じている。 こうしてずっと探し続けてきた自分にしかできない研究を見つけた。この時、北海道に来てから15年、福岡で研究を始めてからは20年が経っていた。 今までに研究者を辞めたいと思ったことはないのかと尋ねると彼らしい答えが返ってきた。「これまでに一通りの仕事は経験してきたから、ない。」一般企業で営業職をして、公務員をして、それから研究者になった。他を見てきたからこそ自分が本当に好きなことに気がつき、今がある。好きなことなんてやってみなくちゃわからない。彼に言われて、ああそうかと妙にすとんと腑に落ちた。 まうことに引け目を感じ、事務職への異動を考えたこともあった。しかし、研究者になって5年が経ち、少しずつ気持ちに変化が訪れる。恩師の「研究者として自分のスタイルを見つけなさい」という言葉によって、天才的なひらめきや研究に没頭する資質はなくても、研究者として生きていこうと、前向きな志を抱くようになったのである。さらに、7年ごとに職場を変えて、常にフレッシュな気持ちで仕事をしなさいというアドバイスを受け、森林総合研究所から、東京大学の研究室へと移動した。今では、迷いもなくなり、自分の研究スタイルのもと、研究者として立派に働いている。 研究テーマは、人間生活における木材の「振る舞い」、すなわち木材が人間に与える影響である。木の空間が持つ癒し効果は、きっと多くの人が肌で感じたことがあるだろう。しかし、その効果が何に由来するのか、どれほどの効果であるのかは、明確に分かっていない。それを解き明かし、木材の良さを、説得力を持って発信することが、彼女の最終目標である。例えば、血圧や脳の血流変化を測定する方法で、木材の香りにはパソコン作業による疲労感を軽減する効果があることを明らかにした。他にも、オフィスを木質化し、労働者に自覚症状をアンケート調査したところ、疲労感が軽減されているという結果が得られた。このように、木の香りが持つ癒し効果を、計測から得られる数値やアンケート調査の結果をもとに、説得力を持って証明しているのである。これまで、環境と人間の研究では、ストレスをいかに取り除くかということばかりが調べられてきた。しかし、マイナスな点を除去することよりも、一歩先に進んだプラスの効果、すなわち癒しの効果について研究をしていることに、新しさがある。そして、網羅的な調査とそれをまとめることで生まれる新たな事実を見逃さない研究スタイルは、彼女の独自性を支えているのである。 このスタイルを見つけるまでに、時間はかかった。向いていないと何度も思った。しかし、決して手を抜くことはしなかった。気乗りこそしない研究職であっても、仕事と割り切り、求められていることに応えるべく、しっかりと研究に取り組んだ。目の前のことに誠実に向き合い、着実に進んだことが、現在に繋がっているのである。今では、上下関係がなく、自由な研究職で、のびのびと活躍している。おっとりとしていて人の癒しとなる存在でありながら、目の前のことに誠実に取り組み、場所を変えずに葉を繁らせる強さは、ちょうど研究テーマの樹木のようであった。私のとりとめない話をこんなに素敵な文章にまとめていただいてありがとうございます! 授業も、その後の個別インタビューも楽しくて、インタビューされる側もいろいろな気づきがあるなと思いました。作出したトドマツ分離集団を前にディスカッション自分にしかできないことを胸に今日も研究に励む彼。特技の一つは続けられることだ。研究のヒントや会議の記録などあらゆることを記してきた、研究の原点とも言える論文ノートは今や98冊目。自分でもそんなところが研究者にあっているなと感じている。 来年度から、北海道行政と組んでトドマツの移植研究を行うことが決まった。1世紀後をも見据えた移植の取り組みは果たしてどんな結果をもたらすのか。彼に生きて確かめる術はない。ただきっと、これからも論文執筆を楽しみつつ満足のいくまで研究を続けていくだろう。その頃には、論文ノートは何冊目になっているだろうか。附属演習林森林圏生態学後藤 晋生物材料科学専攻恒次祐子癒しの女神が秘める強さ 出会いは秋の対面ガイダンス。教授陣の中で、紅一点。学生時代の成績が悪かった話をして盛り上がるその姿から、目が離せなかった。年配のおじいさんばかりの中で、一際若く、おっとりとした様子が、とても異質に思えたからである。誰よりも穏やかに優しく話し、学生に対して何でも相談に乗りますと微笑みかけた時には、私の心は奪われていた。同時に、女神のような彼女が、奇才が集まる研究職として活躍しているということが、俄には信じられなかった。 その女神のような女性こそ、東京大学農学部で教授を務める恒次祐子さんである。彼女は、自らの人生を「消去法の人生」と表現し笑う。というのも、現在は大学教授として教育を行いながら、研究室を構える彼女は、驚くべきことに、就職活動の時点でさえも研究者を希望してはいなかったのである。1浪2留の自分には、一般企業への就職は難しいと思い、面接ではなく試験で採用される公務員を目指す。そして、林産職に合格。その後、面接で配属先の希望について、内定欲しさに林野庁でも森林総合研究所でも構わないと答えたところ、本命ではない森林総合研究所に配属が決定した。すなわち、研究職に就いてしまったのである。研究所では、歓迎を受けて嬉しかったものの、自分にはアイデアや研究のスキルがないと感じ、研究職を辞めたいと思う日々を過ごした。自分が研究職の枠を一つ埋めてし

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