東京大学 大学院 農学生命科学研究科・農学部 広報誌『弥生』Vol.76 (Spring 2023)
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7中学生時代は生物部で高山生物の観察合宿も東京湾のアサリをテーマに大学院修了修士研究は干潟でアサリ採取の日々PROFILE桝 太一 Taichi Masu1981年、千葉県生まれ。麻布中学校・高等学校を経て、2004年、東京大学農学部卒。2006年、同大学院農学生命科学研究科修士課程修了後、日本テレビ放送に入社。情報番組『ZIP!』、報道番組『真相報道バンキシャ!』などで長年にわたり総合司会を担当。2022年、「科学の伝え方(サイエンスコミュニケーション)」を研究・実践するために日本テレビを退社し、同志社大学へ。著書に『桝太一が聞く 科学の伝え方』他。現在も日曜夜6時〜「真相報道バンキシャ!」メインキャスターを担当中テレビ局時代は仕事で憧れのガラパゴスへ現在の研究テーマは社会科学の領域卒業生人名録 12西表島が人生の原点だそうですが。小学生の頃から昆虫が好きで、中学で生物部に入りました。初めて西表島に行ったのは中学1年のとき。生物部の観察旅行で行きました。西表島はひと言でいえば生態系の箱庭。珍しい動植物が生息しているだけでなく、あらゆる自然が揃っています。海、川、森、干潟、サンゴ礁…。それらのつながりが島を歩くとよく分かります。以来、何度も行きましたが、訪れるたびに自然との新鮮な出会いがあります。大学で「海洋研究会」というサークルに入ったのも、西表島でスキューバダイビングをすると知ったからです。実は人生の大きな決断をするときも西表島を訪ねました。どんな決断だったのですか。とにかく生物が好きだったので、東大の理科二類に入り、農学部に進むことは高校時代から決めていました。大学院に進んだのも生物博士になりたいという漠然とした夢があったから。でも、本格的な研究者を目の当たりにしてその自信は揺らぎ、一方で「科学を伝える」仕事、つまり、テレビや出版というメディアの仕事も面白いかなと考え始めました。踏ん切りをつけるために行ったのが西表島です。島で何度も自問しました。「研究者として大好きなこの島に来たとして、一生ここで暮らせるか」。答えは「ノー」。西表島で骨を埋める、つまり研究だけに全てを捧げる覚悟はなかったということです。研究者とキャスターの二足の草鞋ですね。研究に専念すべきだとも言われますが、僕の考え方は違います。社会的発信力を維持した状態で研究を進め、その成果を社会に伝えていく。その立場にいることが僕の存在意義だと思っています。だから、しんどいけど、二足の草鞋は履き続けます。もともと農学とは社会との接点を大事にする科学です。自然にたとえるなら、海水と淡水が混じり合う汽水域。僕が大好きな場所です。今後、科学と社会はどんどん混ざり合うべきだし、農学部には理系的才能の人だけでなく、文系的才能のある人もどんどん来てほしいですね。日本テレビにはアナウンサーとして就職されました。制作が志望でしたが、最初に内定をもらったのが日本テレビのアナウンサー職。無謀とは思いつつ、やれるだけやってみようと入社を決めました。そして、日本テレビは僕のような不器用な人間にもチャンスをくれました。科学系の企画を出して採用されたこともあったし、『ZIP!』の総合司会を務めることにより、生来の科学好きを広くアピールできたのも好運でした。昨年、日本テレビを退社し、研究者の道を歩まれ始めました。16年間、テレビ局にいてテレビの影響力の大きさを知る一方、テレビが科学について十分に伝えきれていないもどかしさも感じていました。例えば近年のコロナ禍がそうです。テレビ局に科学を学んだ人材が少ないから当然なんですが、結果的には、科学を研究する人、それを伝える人、科学を意識せずに生活している人の距離が離れてしまっている。だから、僕のようなテレビで伝える側にいた人間がアカデミアに行って「科学の伝え方(サイエンスコミュニケーション)」を研究すれば、その三者がもっとつながるんじゃないかと考えたわけです。今、調査しようとしているのは、ある科学用語を指標に、その用語がテレビを通してどれだけ理解されたか。2000人規模の調査を実施する予定です。同志社大学ハリス理化学研究所専任研究所員(助教) 問われるのは手法より目的農学は汽水域科学と社会が混ざる大切な場所 桝 太一 

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