東京大学 大学院 農学生命科学研究科・農学部 広報誌『弥生』Vol.77 (Fall 2023)
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 動物と人の医学を一体と捉える「ワンメディシン」という考え方があります。近代病理学の父、ウィルヒョウは、既に19世紀「対象は異なっても、そこから得られる経験は、あらゆる医学の基本をなす」と言っています。これを感染症にあてはめてみましょう。 ガンの一部は、感染症によることが知られています。人では子宮頸ガンの原因が特定の型のパピローマウイルス(PV)であると判明し、予防ワクチンが実用化されていますが、それ以前に、様々な動物のPV研究がありました。ワタオノウサギという動物のイボから発見されたPVが、動物で実験的にガンをつくることは90年も前に報告されています。動物のガンにも多様なPVが関与すると考えられますが、詳細は未だに不明です。近年、犬猫等でも長寿化に伴いガンが増えていますが、我々は動物PVの多様性解析や病態解明、さらに制御の研究を行っています。 一方で、20世紀末、新たな動物由来(人獣共通)感染症が相次ぎました。背景に環境破壊とグローバル化が指摘され、人類への警鐘と言われました。奥地の開発で、未知の野生動物の病原体に遭遇し、地域の感染症が■パピローマウイルス (Papillomavirus)皮膚や粘膜に感染して乳頭種(papilla乳頭+oma腫瘍)と呼ばれる良性腫瘍(イボ)や悪性腫瘍(ガン)を引き起こすウイルス。人では高リスク型と呼ばれる一部の型のヒトパピローマウイルスが子宮頸ガンの原因として知られます。犬や猫、牛や馬など、それぞれの動物種に特異的なウイルスがあり、例えばイヌパピローマウイルスは犬にしか感染せず、現在1型から24型まで多様な型が知られていますが、未知の型も多く存在すると考えられ、その病態への関与等、詳細は不明です。■レギュラトリーサイエンス (Regulatory Science)科学技術の成果を人と社会に役立てることを目的に、根拠に基づく的確な予測、評価、判断を行い、科学技術の成果を人と社会との調和の上で最も望ましい姿に調整するための科学。別の言い方をすれば、科学的知見と、行政措置などの規制との間の橋渡しとなる科学です。獣医領域の感染症制御には、レギュラトリーサイエンスを念頭に、技術開発のみならず、人文社会学や政治経済学的なアプローチから、効果的な制御法の提言を行ったり、啓発活動を行うことも重要です。グローバルに広まってしまう。ここには人間活動が大きく関わっています。こうしたことから、動物や生態系、環境の健康が人間の健康に繋がることが強調され、21世紀には「ワンヘルス」の概念が提唱されました。 動物の感染症は、家畜の損失が食料の安定供給を脅かしたり、畜産物に残存する病原体が感染源となることから、発生地域の畜産物の移動・輸出ができなくなる等、経済にも打撃を与えます。人は他の命をいただいて生かされる存在です。増加する人口を支える食料、グローバル化で蔓延する感染症、これらの課題解決には、地球規模で専門分野横断的なアプローチが求められます。「ワンヘルス」を念頭に、獣医学の視点から、レギュラトリーサイエンス(解説欄参照)に繋がる研究を推進し、多様な動物の感染症対策に取り組んでいきます。図3 イヌパピローマウイルスによる犬の悪性腫瘍(ガン)[獣医病理学研究室 チェンバーズ助教 提供]■越境性動物疾病 (Transboundary Animal Disease: TAD)国境を越えて蔓延し、発生国の経済、貿易、および食料の安全保障に関わる重要性を持ち、かつ、その防疫には多国間の協力が必要となる動物の感染症を指します。豚熱(豚コレラ)や、豚熱と症状は類似するものの全く別のウイルスで起こるアフリカ豚熱(アフリカ豚コレラ)といったブタやイノシシの病気は、人には感染しませんが、甚大な被害をもたらす越境性動物疾病です。また口蹄疫や高病原性鳥インフルエンザも代表的な越境性動物疾病です。 図1ワンメディシンからワンヘルスへ環境破壊やグローバル化で新たな動物由来感染症が注目され、19世紀に提唱された「ワンメディシン」から、さらに生態系や環境の健全な状態が重要との認識が広がり、「ワンヘルス」が提唱されました。図4 越境性動物疾病の対策図2 パピローマウイルス(PV)の多様性ヒトや各種動物には、それぞれ特異的なPVが存在し、腫瘍に関与していると思われます。我々は、分子疫学的研究から、これまで新型の動物PVをいくつも発見し、PV関連疾病の病態解明と予防を目指します。詳しくはこちら、http://www.vm.a.u-tokyo.ac.jp/kansen/index.htmlBPV1-44(BPV1など、例外的に馬に感染)CPV1-24HPV1-229EcPV1-10HPV16,18などFcaPV1-73■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■扁平上皮ガン乳頭腫伴侶動物では、寿命の伸びに伴い、悪性腫瘍が増加PAVE(https://pave.niaid.nih.gov/index)による(2023.6現在) ウシイヌヒト馬のサルコイド子宮頸ガン高リスク型扁平上皮ガンウマネコhttp://www.academy-nougaku.jp/pdf/bullettin036/bullettin036_07_haga.pdf教えて!Q&A染症に挑む

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