東京大学 大学院 農学生命科学研究科・農学部 広報誌『弥生』Vol.77 (Fall 2023)
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7祖父で河内菌黒麹の発見者河内源一郎PROFILE山元正博 Masahiro Yamamoto1950年、鹿児島県生まれ。1970年、東京大学入学。1977年、同大学院修士課程修了後、㈱河内源一郎商店に入社。1990年、観光工場焼酎公園「GEN」を開設。チェコのビールを学び、1995年に誕生させた「霧島高原ビール」はクラフトビールブームの先駆けとなる。1999年「源麹研究所」設立。麹を利用した食品残渣の飼料化や畜産に及ぼす効果などの研究を続け、環境大臣賞を受賞。著書に『麹のちから!』、『麹親子の発酵はすごい!』他。 焼酎廃液発酵乾燥プラント、出ている水蒸気は発酵熱によるものです長男と各種麹菌の形態の違いについて観察卒業生人名録 13代々、麹の研究に携わってきたそうですね。私が3代目、息子が4代目です。初代の祖父・河内源一郎は明治期に国税庁の酒類鑑定官として鹿児島に赴任し、薩摩の芋焼酎の基礎を築いた人物です。祖父は暑い九州でも腐敗しない「もろみ」を求め、沖縄の泡盛に着目しました。泡盛の製造法を研究し、やがて「kawachi」の名がつくことになる黒麹菌の純粋分離に成功。これを使って焼酎を作る方法を南九州に広め、今も日本の焼酎メーカーのほとんどがその種麹で焼酎を製造しています。なお、当時、純粋分離合戦を繰り広げた相手が東京大学です。そんな縁もあって、私は東京大学の農学部に進みました。家業を継ぐことは既定路線だったのですか。問われるのは祖父を尊敬していたし、麹で勝負するのだという気持ちはずっとありました。だから、卒業後は鹿児島に戻り、2代目社長である父の手法より目的下で働きました。ところが、父が始めた焼酎工場の経営が悪化し、これを押し付けられたわけです。私が考えたアイデアは焼酎工場を観光工場として再生すること。銀行から融資を受け、1990年に焼酎のテーマパーク「GEN」をオープンしました。5年後には地ビールの製造免許を取得し、チェコビール「霧島高原ビール」を製造・販売。さらにチェコビールのレストランも増設。こうして「GEN」は年間40万人以上が来場する施設に成長し、借金も完済しました。山元さんはこれで満足せず、新たな事業を始めます。とにかくやりたかったのは麹の研究。その可能性を追求することですから。観光工場は妻に任せ、麹の研究に戻りました。最初に取り組んだのは、焼酎の蒸留後に残る廃液の処理。6年かけて化石燃料を使うことなく麹菌の発酵熱だけで安価に廃液を乾燥させて優良な乾燥飼料を生産する技術を完成し実用化しました。一方鹿児島空港から連日排出される大量の食品残渣に着目、食品残渣を黒麹で発酵させ有効なリキッドフィードを生産する技術を開発、今では各地でこの技術を使い食品残渣を飼料化して養豚場に販売する事業所も出来ています。(こちらの技術は液体発酵であり麹の発酵熱で乾燥させるものではありません)麹を使った技術は他にもあるそうですね。例えば、し尿を麹で発酵させ24時間で無臭液肥を生産する技術は農水省の「みどりの食料システム戦略技術81選」に採用されました。(これは液体発酵でして麹の発酵熱で乾燥させる技術ではありません)あるいは北里大学との共同研究で、麹には男性不妊症改善の効果があることも分かってきました。他にも、現段階ではまだ公表できない研究の成果がたくさんあります。私は常々「麹は世界を救う」と言っているのですが、今後、麹は環境や農業や医療などさまざまな分野で活用できるはずです。今後の夢を教えてください。私も今年で73歳。次の人生を考えるようになりました。まず麹を使ったオリジナルの酒や料理を提供する麹ホテルを始めます。そして大学と一緒に黒麹の研究を進めたい。実は、私の研究に興味を示すのは穀物メジャーなど海外の企業や研究機関ばかり。しかし麹は日本の国菌(2006年に認定)であり、世界でも稀な「人間にとって有益な菌」。母校・東京大学農学部の研究者と一緒に研究できれば、こんなに喜ばしいことはありません。興味のある方は是非名乗りを上げてください。麹は世界を救うその可能性は環境、農業、医療へ株式会社源麹研究所会長 山元正博

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