東京大学 大学院 農学生命科学研究科・農学部 広報誌『弥生』Vol.79(Fall 2024)
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当研究室は1934年に帝国競馬協会(日本中央競馬会(JRA)の前身)の寄附講座として誕生して今年で90年になります。当時の研究室の名称は馬学、その後、畜産学第二、家畜労役生理学、家畜環境生理学、獣医環境生理学、比較病態生理学と変遷し、現在は私が教授となって約1年後の今から十数年前に改称した獣医衛生学になっています。研究室の名称は時代や社会の要請と共に変遷してきましたが、「動物から学ぶ」つまり健康でも病気に晒されていても動物が発する生体情報を見逃さずに観察するという当研究室のモットーに変わりはありません。 私の研究者としての転機は、大学院生から助手になってまもなく訪れました。アメリカのジョージタウン大学医学部に客員研究員として2年間留学することが決まったのです。その頃、動物の心臓を含めた循環器系機能に興味を持って研究をしていましたが、心臓移植に関連した急性拒絶反応の機構をウサギの異所性心臓移植モデルを用いて明らかにするプロジェクトに参加できるということでした。当時、家畜微生物学研究室の教授をされていた見上彪先生とはよく飲む機会があったのですが、「留学できるなら早ければ早い方が良い」と研究室(家畜環境生理学)を主宰していた菅野茂先生を何かの席で説得して下さったおかげか菅野先生も快く勧めてくれました。 こうしてインターネットもまだない時代に未知の世界に飛び出しましたが、今振り返るとすべてが新鮮でした。頻繁に開催されるセミナーではベーグルを食べながら国内外の著名な研究者から最先端の講演を聞くことができ刺激的でした。ボスからは「We need results.」と繰り返し言われましたが、日本のように朝から晩まで働けということではありませんでした。同僚たちは夕方になればコンサートに出かけたりスポーツクラブに行ったりと日々の生活を有意義に営んでいるように見えました。郊外には舞台芸術国立公園として知られるウルフトラップもあり、私も夏にはピクニック気分で野外コンサートを楽しみに訪れたものでした。 アメリカでの留学経験をひと言で表せば「豊かさ」でしょうか。心が豊かになるような環境に身を置きながら視野を広げ、研究に打ち込むだけではなく時間を有効に使うことができました。もうしばらく居たかったというのが本音です。Masayoshi Kuwahara獣医衛生学研究室No.19Epiphaniesその瞬間視野を広げてくれたアメリカ留学 桑原 正貴教授

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