東京大学 大学院 農学生命科学研究科・農学部 広報誌『弥生』Vol.80 (Spring 2025)
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□□□□□瀬祥□朗5詳しくはこちら、アゴハゼ :https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20201112-1.htmlシロウオ :https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20241217-1.htmlアワビ :https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20210727-1.htmlFrontiers 2日本列島沿岸はさまざまな地史的イベントを経験し、南北に長いため幅広い気候帯にまたがっています。このような沿岸環境における時間的・空間的変動は、日本の沿岸生物の多様性に大きな影響を与えてきたと予想されます。ゲノム情報はそのような歴史を解明するためのヒントを与えてくれます。 もし海辺に行く機会があったら、ぜひそこで目を凝らしてみてください。そこには多様な生物がいて、それらの中には広い分布域を持つものもいれば、その地域固有のものもいるでしょう。互いに形がよく似ているけれど、少しだけ違っている生物がいれば、それは最近になって分化した別種かもしれません。日本の多様な沿岸生物は、どのようにして生まれ、現在の分布域を形成するに至ったのでしょうか。私は、そのような沿岸生物の進化の歴史に惹かれ、ゲノム情報を用いてその解明に取り組んでいます。 研究例として、まずは私が大学生の時に出会ったアゴハゼを紹介します(図1)。磯場の潮溜まりで見られる身近なハゼ科の魚で、磯遊びでは良い遊び相手になってくれます。私は、日本沿岸各地でこの魚を採集してゲノムを解析しました。すると、遺伝的に分化した太平洋系統と日本海系統が存在することがわかり、過去に起きた日本海の隔離が関与していると考えられました。また、これらの系統が接触する地域では、系統間で交雑が生じ、個体の中で両系統のゲノムが混ざっていました。まさに、分布域形成の歴史そのものをゲノムに刻み込んだ魚でした。踊り食いの食文化で有名なシロウオにも、アゴハゼと同様に2つの地理的系統がいます。そのうちの日本海系統では、沿岸環境の南北勾配(北は冷たく、南は暖かい)を背景とした適応的な遺伝的分化が緯度集団間で生じており、そのような進化が分布域形成において重要な役割を果たしていることがわかりました。高級食材として馴染み深い、日本の大型アワビ類の3種も進化的にとても面白い沿岸生物でした(図2)。これらは北アメリカ西岸あたりにいた祖先種が日本列島に進出することで比較的に最近になって誕生し、互いに交雑を繰り返しつつ種分化してきたと推測されました。これからもゲノム情報を用いて日本の沿岸生物における進化の歴史を解き明かし、その魅力を伝えていけたらと思っています。分子系統樹はアゴハゼにおける太平洋系統と日本海系統の存在を示した。外見から見分けるのは難しい。2系統は三陸海岸と瀬戸内海で交雑しており、これによって生じたゲノムの混合が新たな進化をもたらした可能性が示されている。エゾアワビとクロアワビは亜種の関係にある。これらの3種は北アメリカの大型アワビ類に遺伝的に近いが、互いに非常に近縁であることがわかっている。詳細なゲノム解析の結果、交雑を繰り返しながら種分化が進行してきたことが明らかになった。生物は共通の祖先から分岐を繰り返すことで多様化します。この“枝分かれ”のプロセスを樹木になぞらえて表現したものが系統樹です。現在では、個体から得られたDNA配列がどれくらい違うか(塩基置換率)に基づいて作られた分子系統樹が主流で、種の進化の歴史が推定されてきました。種内の系統(遺伝的なグループ)を分子系統樹で発見し、その地理的分布パターンや分岐年代から種の分布域形成の歴史を探ることもでき、そのような研究分野は分子系統地理学(Phylogeography)と呼ばれます。今から約260万年前から始まった更新世は寒い氷期と暖かい間氷期が交互にやってくる、まさに激動の時代でした。氷期には海水面が今より120メートル程度下がり、浅い海峡で外海とつながった閉鎖的な海は隔離されました。日本海も氷期には隔離され、海流の流入が止まった今とは異なる環境でした。日本の沿岸に広く分布する海の魚たち、特にハゼ科の魚たちは、このイベントを種内の遺伝的分化という形で反映しています。准教授ゲノムのデータからどうやって、生物進化の歴史がわかるの?日本海は隔離された?生圏システム学専攻水域保全学研究室□□□太平図1 アゴハゼの太平洋系統と日本海系統の存在図2 日本の大型アワビ類の3種教えて!Q&Aゲノムで分かった沿岸生物の歴史

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