東京大学 大学院 農学生命科学研究科・農学部 広報誌『弥生』Vol.80 (Spring 2025)
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9ミヤマハンノキの根に寄生するオニク(別名キムラタケ)(当時の学名はBoschniakia glabra C.A. Mey.)のさく葉標本。ソテツの精子を発見した東京帝国大学農科大学植物学教室の池野成一郎教授が、1892(明治25)年9月2日に富士山で採集した標本。オニクは葉緑素がない寄生植物で、多肉質で円柱形の茎(左側の標本)を地上部に伸ばし、上部に多数の花をつける。ラベルの左側にある楕円形の塊は、地中にある根茎で、寄生された樹木の根が根茎の中に取り込まれている様子がわかる。オオヤマザクラのさび病(サクラの枝の異常肥大を起こす病気)の標本。病原菌はCaeoma radiatus Shirai(現在の学名はBlastospora radiata)で、白井光太郎教授が1895(明治28)年に新種として報告した。新種報告をした論文には、「日光久次良原ノ極端なる茶店ノ側より裏見瀑布ニ通スル山蹊ノ櫻樹上」で、この病気を見つけたと書かれている。https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/9/101/9_101_241/_article/-char/ja東京帝国大学農科大学植物病理学講座初代教授の白井光太郎が日光で採集した、コハウチワカエデの小黒紋病(しょうこくもんびょう)の標本。1894年に出版された「植物病理学下編」に記載されている。葉の表面に見られる黒色の斑点は、病原菌Rhytisma punctatum Fr.の子座(菌糸の塊)で、病原菌が越冬するために紅葉前の時期に形成され、落葉上で翌春に胞子を形成する。駒場で採集されたナラ類毛さび病の標本。1899年に、白井が宮部金吾(札幌農学校教授)による未発表の命名にもとづき病原菌名をCronartium quercuum Miyabeとして新種記載した。この菌は生きた植物に寄生しないと生きることができず、コナラ属樹木とマツ属樹木の2種類の樹木の間を行ったり来たりしながら、両種に寄生して生活している(異種寄生性とよぶ)。1899年の論文では、白井が駒場でこの菌の異種寄生性を証明した研究を行ったことが書かれており、この標本はその実験により得られたものかもしれない。https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/13/148/13_148_74/_article/-char/jaキツネノチャブクロ(当時の学名はLycoperdon gemmatum Batsch)の乾燥標本。1933年に、東京帝国大学農学部助手の小川隆夫が駒場で採集した標本。この標本の現在の和名はホコリタケで、この標本は、今でも丸い袋状の部分を軽くたたくと上部に見える穴から胞子が出てくる。全国各地に見られるきのこで若いものは食べられる。子どもの頃に足で潰したりして、埃のような胞子が出てくるのを観察したことがあるかもしれません。1899年6月に日光で採集したクマザサの黒穂病の標本。左側に伸びた枝に花がついており、その花が病原菌に侵されて黒色になっている。1900年に、ドイツのベルリン大学教授Paul C. Hennings(パウル・ヘニングス)により、この標本を基準として病原菌Ustilago shiraiana Henningsとして新種報告がなされた。学名のshiraianaは、この菌を採集した白井への献名である。白井は、1899年から1901年にドイツのベルリン大学に留学して植物病理学と菌類の研究を行った。Henningsの論文“Fungi Japonici”(日本産菌類)は以下。https://www.biodiversitylibrary.org/item/689#page/269/mode/1upこれらの3枚は、白井光太郎教授が採集した葉の病気の標本。白井は、全国各地から植物の病害標本を集め、海外の資料と対比して病原を確定する作業を繰り返していた。これらの標本は、その時に集められた標本の一部だと推測される。https://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DShokubu/Forest_ver2/index.php※その他の写真など、詳細はこちらでご覧いただけます。34

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