発表者
五十嵐 圭日子 (東京大学・大学院農学生命科学研究科・准教授)
Anu Koivula (フィンランド技術研究センター・主任研究員)
和田 昌久 (東京大学・大学院農学生命科学研究科・准教授)
木村 聡 (東京大学・大学院農学生命科学研究科・助教)
Merja Penttilä (フィンランド技術研究センター・研究教授)
鮫島 正浩 (東京大学・大学院農学生命科学研究科・教授)

発表概要

糸状菌が生産するセロビオヒドロラーゼは、セルロース系バイオマスを有効利用するための重要な酵素です。東京大学は、フィンランド技術研究センターとの共同研究によって、子嚢菌Trichoderma reeseiが生産する糖質加水分解酵素ファミリー7に属するセロビオヒドロラーゼ(TrCel7A)分子が、結晶性セルロース表面を動く様子を高速原子間力顕微鏡によって観察することに世界で初めて成功しました。さらに、部位特異的変異を導入した酵素の観察結果から、TrCel7Aがセルロースを連続的に加水分解しながら移動していることを明らかにしました。

発表内容

セルロース注1は地球上で最も豊富に存在する有機物ですが、自然界ではそのほとんどが微生物によって分解・代謝されているので、セルロース系バイオマスを有効利用するためには、セルロース資化性の微生物が生産するセルラーゼ注2の機能を詳細に解析することが重要となります。カビやキノコなどの糸状菌が、セルロースを含むバイオマスを炭素源として成長するとき、結晶性セルロースを効率よく分解することができるセロビオヒドロラーゼ注3を分泌します。セルロース分解性の子嚢菌Trichoderma reeseiが生産する糖質加水分解酵素ファミリー7に属するセロビオヒドロラーゼ(TrCel7A)は、最も研究が進んでいるセルラーゼの一つで、図1に示しましたようにセルロース鎖を加水分解する活性ドメインとセルロース結合性ドメインの2つのドメインからなることが知られています。さらに、それぞれのドメインに関しては3次元構造が解かれており、両ドメインにおける基質の認識機構が詳細に調べられています。しかしながら、本酵素によるセルロースの分解機構に関しては、未だに不明な点が多く残されています。

本研究において、われわれは高速原子間力顕微鏡注4によって、結晶性セルロースを分解するTrCel7A分子を可視化することに世界で初めて成功しました(図2)。また、得られた画像を連続的に再生することで、TrCel7A分子が結晶性セルロース表面を一方向に移動していく動画の取得にも成功し、この動画の解析からTrCel7Aが結晶性セルロースの表面を秒速3.5nmで進んでいることが明らかとなりました。しかしながら、部位特異的変位を導入して不活性化した酵素の場合、野生型の酵素で観察されたような動きは観察されなかったことから、TrCel7Aは基質であるセルロースを連続的に加水分解しながらセルロース表面を移動していると考えられました。

本研究手法および結果は、セルロースとセルラーゼの分子間相互作用の解析だけでなく、固体が酵素によって可溶化するという一般的な現象を解析するためにも有用であると考えられます。

子嚢菌Trichoderma reesei由来糖質加水分解酵素ファミリー7に属するセロビオヒドロラーゼ(TrCel7A)および結晶性セルロースの構造  高速原子間力顕微鏡を用いたTrCel7A分子の観察<
図1: 子嚢菌Trichoderma reesei由来糖質加水分解酵素ファミリー7に属するセロビオヒドロラーゼ(TrCel7A)および結晶性セルロースの構造 図2: 高速原子間力顕微鏡を用いたTrCel7A分子の観察
結晶性セルロース上を動くTrCelAの微速度イメージ(A);TrCel7A分子がある(B)または無い(C)場合の結晶性セルロースの高さ解析と、相当する結晶性セルロースおよびTrCel7Aの構造(D)

発表雑誌

Journal of Biological Chemistry 284巻52号 36186-36190頁
High speed atomic force microscopy visualizes processive movement of Trichoderma reesei cellobiohydrolase I on crystalline cellulose
Igarashi, K., Koivula, A., Wada, M., Kimura, S., Penttilä, M., and Samejima, M.

問い合わせ先

五十嵐 圭日子(いがらし きよひこ)
東京大学・大学院農学生命科学研究科・生物材料科学専攻・森林化学研究室
〒113-8657 東京都文京区弥生1-1-1
Tel:03-5841-5258
Fax:03-5841-5273
E-mail: aquarius@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
森林化学研究室ホームページ
URL: http://web2.fp.a.u-tokyo.ac.jp/lab-forechem.html

用語解説

注1 セルロース

グルコースがβ-1,4-グルコシド結合によってつながった多糖。植物細胞壁中の約半分を占める成分で、地球上で最も豊富に存在するバイオマス。植物細胞壁中では70パーセント程度の結晶化度を有することが知られている。

注2 セルラーゼ

セルロースのグルコシド結合を加水分解する酵素の総称。一般的には生成物としてセロビオース(β-1,4-結合したグルコース二量体)またはセロオリゴ糖を与える酵素を言う。

注3 セロビオヒドロラーゼ

セルラーゼの一種で、生成物としてセロビオースを生成物として与える。結晶性セルロースを分解できる唯一の酵素群。

注4 高速原子間力顕微鏡

非常に小さく(長さ10μm程度)、固有振動数が高く、バネ定数の小さいカンチレバーを用いることで、従来の原子間力顕微鏡の100倍以上の走査速度を実現した原子間力顕微鏡。