発表者
許 蓮花 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻 研究員)
伏信 進矢 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻 助教)
若木 高善 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻 教授)
高松 智 (北里大学 北里生命科学研究所 講師 現職:日本大学 薬学部 准教授)
池田 治生 (北里大学 北里生命科学研究所 教授)
祥雲 弘文 (東京大学 名誉教授)

発表概要

ニーマンピック病C型の診断に用いられる抗生物質「フィリピン」は土壌微生物である放線菌から生産される。放線菌Streptomyces avermitilisがフィリピンを合成する2つの酵素の立体構造を原子レベルで決定し、その反応機構の詳細を明らかにした。

発表内容

抗生物質フィリピンIIIの構造の模式図

図1: 抗生物質フィリピンIIIの構造の模式図。前駆体フィリピンIにはC1’とC26位の両方に水酸基が存在しない。CYP105P1がC26位のpro-S位を、CYP105D6がC1’位のpro-R位をそれぞれ水酸化することによりフィリピンIIIが作られる。

抗生物質「フィリピン(filipin)」(注1)は蛍光物質でありコレステロールに特異的に結合する性質を持つために、コレステロール代謝異常であるニーマンピック病C型の臨床的な診断や、細胞生物学研究において動物細胞のカベオラ介在性エンドサイトーシスの阻害剤として用いられます。北里大学北里生命科学研究所の池田治生教授らのグループは、放線菌Streptomyces avermitilis(注2)が持つフィリピンの合成遺伝子群のうち、2種類のシトクロムP450(注3)酵素が重要な役割を担うことを明らかにしていました。この2つの酵素(CYP105P1とCYP105D6)はよく似ているにも関わらず、フィリピンの全く異なる2カ所(C26およびC1’位)に別々に水酸基を付加します(図1)。しかし、なぜこのような機能の違いが出るのかは、これまで全く分かっていませんでした。

本研究では、CYP105P1とフィリピンI(水酸基が付加される前の基質)の複合体(図2)と、CYP105D6の立体構造(図3)を、X線結晶構造解析(注4)の技術を用いて明らかにしました。その結果、CYP105P1がフィリピンのC26位のpro-S側に位置特異的かつ立体特異的な水酸化を行う詳細な分子機構が解明されました。さらに、CYP105D6にはフィリピンが同様な向きには結合できないことも分かり、両酵素が持つ厳密な位置特異性の理由が明らかになりました。

本研究で明らかにされたフィリピンIとCYP105P1との複合体構造は、これまでに決定されたマクロライド系抗生物質とシトクロムP450の複合体構造の中では最大級の基質が結合した状態です。複雑な抗生物質の生合成の分子機構を明らかにすることにより、新たな診断薬や抗生物質の開発などへの応用が期待されます。

本研究は、北里大学北里生命科学研究所と共同で行われました。X線回折データ測定には大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(茨城県つくば市)の物質構造科学研究所 放射光科学研究施設(フォトンファクトリー)を用いました。

CYP105P1とフィリピンIの複合体の立体構造 CYP105D6の立体構造
図2: CYP105P1(灰色)とフィリピンI(緑色)の複合体の立体構造。フィリピンIのC26位はヘム(黒)の中の鉄原子(オレンジ)に近く、水酸化されるのに適切な位置にある。両者の間を赤い点線で表した。 図3: CYP105D6の立体構造。ピンク色の部分がCYP105P1と異なる。この部分にぶつかるために、フィリピンはCYP105P1と同じ向きでは結合できない。

発表雑誌

Journal of Biological Chemistry, 285巻 (22号), 16844ページ-16853ページ
(2010年4月7日電子版掲載、2010年5月28日刊行。)
Regio- and Stereospecificity of Filipin Hydroxylation Sites Revealed by Crystal Structures of Cytochrome P450 105P1 and 105D6 from Streptomyces avermitilis.
Lian-Hua Xu, Shinya Fushinobu, Takayoshi Wakagi, Satoshi Takamatsu, Haruo Ikeda, and Hirofumi Shoun

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科
応用生命工学専攻 酵素学研究室

東京大学 名誉教授 祥雲 弘文
Tel: 03-5841-5148
FAX: 03-5841-5151
E-mail: ahshoun@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

助教 伏信 進矢
Tel: 03-5841-5151 or 03-5841-8227
FAX: 03-5841-5151
E-mail: asfushi@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
URL: http://enzyme13.bt.a.u-tokyo.ac.jp/

用語解説

注1 フィリピン(filipin)

1955年に、フィリピン諸島の土壌から単離された放線菌Streptomyces filipinensisが産生する、ポリエンマクロライド系の抗生物質として発見された。水酸基が1つないしは2つ少ない物質との混合物として存在する。

注2 Streptomyces avermitilis

1978年に北里研究所の大村智らにより静岡県川奈町の土壌から分離された放線菌。犬のフィラリアなどに有効な医薬品として有名なポリケチド抗生物質エバーメクチンを生産する微生物として知られている。その他にも抗生物質や生物活性物質を含む多種多様な2次代謝産物を生産する能力を持つ。2003年に北里大学の池田教授らにより全ゲノムが解析された。

注3 シトクロムP450

微生物から植物、動物まで生物界に広く分布する一群のヘムタンパク質。その多くが様々な基質を水酸化する酵素である。1962年に大村恒雄と佐藤了により発見された。CYPとも略称される。

注4 X線結晶構造解析

酵素(タンパク質)の立体構造を得るための最も一般的な方法の一つ。目的物質の結晶にX線を照射し、回折データを測定することにより、微細な三次元構造を知ることが出来る。