発表者
川西 剛史 (東京大学 大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻 博士課程)
難波 成任 (東京大学 大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻 教授)

発表概要

農業生産上、連作障害(注1)の原因となる土壌病害や、種子伝染性の病害を含む多くの病害が生産性向上や品質向上の障害となっているが、その効率的な診断法の統一的設計理論はこれまで無かった。我々は、これらの植物の病気を簡易・迅速・高感度・安価に診断する技術の設計システムを確立した。これにより開発された診断キットは、専門技術や特別な設備が無くとも使用でき、農家や家庭で一般の人が自ら診断できる。また、現場の専門家でもこれまで1週間以上要していた病害診断が、最短1日で判定できる。

本研究の成果は、どのような病原菌でも特異的に検出することの出来る選択培地(注2)の設計理論(SMART)を世界で初めて確立したことにある。この理論に基づいて設計(組成をデザイン)すれば、理論上あらゆる病原菌に対し培地(注3)(SMART培地)を開発することが可能で、選択性が極めて高く、雑菌の生育を完全に抑え、目的の病原菌しか生育できない。また、これをもとに、これまでにない簡易・迅速・高感度・安価な病気診断システムを新たに4種類開発した。この手法は、農業生産上最大の敵である「連作障害」などの原因となる土壌病害や種子伝染性病害のほか、空気伝染性病害などの解決につながる(図)。

これらの成果は、農業分野のみならず、医療診断・食品衛生・検疫検査などの分野において、特定の病原体をターゲットにした判定や計測が可能となる。また、無菌の設備や技術が不要であることも優れた点である。パンデミックな疾病の対策や食品の安全衛生検査、検疫対策などの現場でも役立つほか、環境中の有用微生物(ダイオキシン分解菌など)発見による環境浄化に貢献するとともに、新薬(医薬・農薬)開発のための効率的スクリーニングが可能となるなど、広範に応用可能な技術である。

発表内容

背景

連作障害は農業生産上最大の障害である。植物病原細菌や菌類が原因となることが多く、その解決法の確立は、農業生産性向上に最大の貢献となると考えられている。連作障害の原因は、種子伝染性の病気による場合があり、その被害は世界で年に4兆円に上る。土壌病原菌による被害は、世界で年に10兆円に上るとされる。連作障害を解決するためには、病原菌の判定と菌に汚染した圃場の菌が発病に達する密度かどうかを判断し、土壌消毒が必要かどうか判定し、適切に土壌消毒を行う必要がある。そのためには菌の種類の判定と菌の密度を測定する培地が必要となる。また、空気伝染性の病気も無視できない。ダイズだけで、世界で年に8,000億円に上るとされる。これらについても菌の種類の判定が必要である。菌の種類や密度を判定するには、簡易・迅速・高感度・安価な選択培地が必要である。

培養技術は「近代細菌学の開祖」とされるルイ・パスツール(Louis Pasteur)やロベルト・コッホ(Robert Koch)が1870年代に確立して以来、生物学において不可欠な技術となっている。培養に際しては「培地」と呼ばれるものが使用されるが、培地のひとつに特定の微生物を検出することを目的に、それのみを生育させる「選択培地」と呼ばれるものがある。

選択培地は環境中に存在する無数の微生物群から特定の微生物だけを生育させる技術である。医療、食品衛生、検疫、環境、新薬開発、農業などの諸分野において、選択培地は病原体をはじめとする標的微生物を検出する手法として用いられる。そのため、これまでにさまざまな微生物を標的とした選択培地が考案されている。しかしながら、環境中の雑菌を抑制することは容易ではなく(例えば1 gの土壌には約100億個の(約1,000種に相当する)微生物が存在すると言われており)、選択培地の開発は困難を極める。従って、すべての標的微生物に対して選択培地が開発されているわけではなく、また、開発されている選択培地は標的微生物以外の微生物(雑菌)も生育してしまう不完全な選択培地しか事実上存在しないため、専門家の「鑑識眼」でしか雑菌の巣の中に標的微生物のコロニー(注4)を見付けることが出来ないなどの問題点があった。それは特定の微生物が問題になるたびに、それぞれについて個々の専門家が時に永年にわたって専ら1人でたずさわり、経験と試行錯誤に基づいて培地に加える成分を吟味し組成を編み出し選択培地を設計しているからである。そのほとんどの場合に、偶然と幸運を伴っており、一つの選択培地が次の新たな標的微生物を対象とした選択培地の開発に参考になるわけではない。そこには法則がないからである。

今回我々は、あらゆる微生物に対する選択培地の開発に応用可能な、培地設計理論「SMART」を開発した。実際に、その理論に基づいて選択培地を多数設計すると同時に、これまでにないスタイルの検出系を新たに4種類開発した。

SMART法とは

従来の選択培地は標的微生物のコロニーと共に雑菌が混在して生育するため、豊富な専門知識と経験を要するなどの問題点があった。そこで完璧な選択性を示す培地を開発するため、従来の培地の成分を要素成分に分類した。培地成分を5つの要素成分(天然由来物、炭素源、抗生物質、基礎塩類、コロニー指示薬)に分類し解析した結果、従来の選択培地の多くに含まれる天然由来物が、雑菌生育を助長することがわかった。また、基礎塩類に関しては5種類の塩が必要十分量であることも分かった。

そこで本研究では炭素源、抗生物質、基礎塩類のみを含む選択培地を作ることを目的に、炭素源および抗生物質の2つの制約(two constraints)によって標的微生物のみ選択的に培養できる培地の設計アルゴリズムを確立した。なお、このアルゴリズムを「SMART」(Selective Media-design Algorithm Restricted by Two constraints)と命名し、本法によって設計される一連の培地を「SMART培地」と称する。

炭素源と抗生物質の設計

本研究では、イネの重要病害の一つであるイネもみ枯細菌病(注5)の病原細菌(Burkholderia glumae,以下Bgl)をモデルにSMART培地を開発し、SMART法の有効性を示した。まず、添加すべき炭素源と抗生物質を、「基礎塩類に20種類の炭素源と10種類の抗生物質をあらゆる組合せで加えた培地上でBglのみが生育出来る炭素源と抗生物質の組合せを決定する」方法と、「Bglのゲノム情報を利用し、エネルギー源になる炭素源と使用できる抗生物質を選定する方法」の異なる2つの方法を用いて決定した。

その結果、2つの方法で決定した炭素源と抗生物質の組合せは一致し、SMART法による炭素源と抗生物質の設計にはゲノム情報による予測が可能であることが示された。

Bglの場合、「D-ソルビトール」を炭素源に、「アンピシリン、セトリモニウム、クロラムフェニコール」を抗生物質として選んだ。以上を基礎塩類に加え、Bgl選択培地とした。

SMART選択培地と従来の選択培地の性能比較

SMART法により、さらに4つの植物病原細菌(イネ褐条病菌、野菜類軟腐病菌、ナス科植物青枯病菌、アブラナ科植物黒腐病菌)についてSMART選択培地を設計した。従来の選択培地では雑菌も生育してしまい、標的細菌のコロニーを判別するのは困難である。しかし、SMART培地では極めて高い選択性を有し、標的細菌のみコロニーを形成し、雑菌は生育しない。このため、特別な隔離・無菌設備を必要としない。

新たな高性能診断系の開発

SMART選択培地の有する高度選択性と開放系で使用できる利便性により、培地としての利用スタイルの自由度が高まったことから、これまでにないスタイルの診断システムを開発し、全部で4種類の診断系を確立した。1.プレート型選択培地、2.カード型選択培地、3.色の変化する液体選択培地、4.その中の菌体数を瞬時に計測する装置である。

感度は、従来の選択培地に比べ、カード培地と液体培地は10倍、プレート培地と菌体数計測装置は100倍である。液体培地と菌体数計測装置の組合せは1日で結果が分かる点で最も簡易・迅速・高感度といえる。感度・コスト面に着目するとプレート培地が、簡便性・コストに着目するとカード培地が最も優れているといえる。意外にも最先端技術とされる遺伝子検査法は、従来の選択培地に比べ、むしろ感度が低く、1/10である。カーネーション萎凋細菌病の場合、1gの土壌に6,000個の病原細菌がいる場合に発病するとされているので、「従来の遺伝子検査法」や「従来の選択培地法」では検出感度が足りないため判定不可能であるが、今回開発した4種類の方法のどれでも判定可能である。プレート培地や菌体数計測装置により発病レベルにまで菌が増えている場合に土壌消毒すればよいので、減農薬につながる。

今回開発された診断キットは、専門技術や特別な設備が無くとも使用でき、農家や家庭で一般の人が自ら診断できる。植物病院開発の、診断をサポートする分かりやすい「診断カード」とセットで使えば、これまで1週間以上要していた診断が、最短1日で判定できる。この診断結果をもとに専門家に相談すれば、人手が減り、手が回らず対応に困っている現場の専門家も、対処法を的確に助言できる。

本研究の意義・考えられる波及効果

本成果は、基礎および応用の両面に大きな波及効果が期待される。

基礎的波及効果としては、今日の分子生物学の急速な発展の中で取り残されていた農学・医学・工学・薬学・理学に共通した「培養」という伝統的手法に新たな展開の可能性をもたらした点にある。特に、バイオインフォマティクス(注6)という分子生物学的情報と結びつけ、培養のあらゆる分野に基盤的展開をもたらした意義は大きい。

応用的波及効果としては、SMART法の確立によって、現場で簡易・迅速・高感度・安価に病気を診断できるようになった点が挙げられる。特にクリーンベンチや無菌室、無菌操作のような面倒な作業や高価な設備が不要となり、従来の診断法(PCRや血清試験)に替わるものとなる。

また、種子検査の場合には非破壊的であり、全粒検査が歴史上初めて可能となった。健全と確認された種子だけを播けば理論上病気は発生しない。

本成果は、医療現場における診断や検疫現場における迅速な検査、食品の安全衛生検査のみならず、環境中から有用微生物(ダイオキシン分解菌など)の効率的な発見も容易となり、医薬・植物薬などの新薬開発(スクリーニング)にも役立つなど、広範な応用が期待される。

発表雑誌

米国科学誌「プロスワン」オンライン版(1月27日号)
タイトル:New detection systems of bacteria using highly selective media designed by SMART: Selective Medium-design Algorithm Restricted by Two Constraints.
(http://dx.plos.org/10.1371/journal.pone.0016512)
(DOI: 10.1371/journal.pone.0016512)
著 者 名:川西剛史・難波成任 ほか

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科
生産・環境生物学専攻 植物病理学研究室
教授 難波 成任
Tel: 03-5841-5053
E-mail: anamba@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
HP: http://papilio.ab.a.u-tokyo.ac.jp/planpath/

用語解説

注1 連作障害:
同一の圃場で、同一の作物を繰り返し栽培することに起因するにより、次第に生育不良となっていく現象を、連作障害という。原因は、土壌中の微量元素のアンバランスや、土壌中の病原性の細菌や菌類が次第に増加することによる。

注2 選択培地:
環境中に存在する無数の微生物群から標的微生物(例:病原体)だけを検出する技術であり、これまでさまざまな微生物を標的とした選択培地が考案されてきた。しかし、すべての微生物に対して選択培地が開発されているわけではない。しかも、標的微生物以外の微生物(雑菌)も生育してしまう問題があったため、雑菌との判別には、専門的知識と経験(熟練)を要する。このため、誰でも利用できるわけではなく、専門家でないと扱うことは難しい。ただ、使用に当たっては、遺伝子レベルの高度な技術を要しないため、農業分野のみならず、医療診断、食品衛生、検疫検査、環境浄化、新規医農薬開発などの諸分野において、標的微生物を迅速に検出するために不可欠な技術である。

注3 培地:
微生物や生物組織の培養を目的に生育環境を提供するもの。炭素源やビタミン、無機塩類など、栄養素の供給源となるほか、細胞の増殖に必要な足場(寒天など)や液相を与える物理的な要素もある。培養に当たっては、これらの培地をシャーレやビン(ボトル)に入れ、無菌的環境下で維持し、培養対象の生育を促す。

注4 コロニー:
培地表面や培地中に形成する単一細胞由来の微生物の集塊。

注5 イネもみ枯細菌病:
種子伝染する細菌病で、病原細菌はBurkholderia glumae。育苗期には苗腐敗、水田では葉から「もみ」に感染し、凋萎した後に乾燥枯死するイネの重要病害である。防除対策上健全種子の確保は重要である。

注6 バイオインフォマティクス:
遺伝子の配列の中に蓄えられる遺伝情報を明らかにし、その情報をもとにコンピュータで各遺伝子の機能予測を行うなど、遺伝子に関する情報をコンピュータにより分析すること。