発表者
西澤 直子 (東京大学大学院農学生命科学研究科 農学国際専攻 特任教授、 
石川県立大学生物資源工学研究所 教授)
野副 朋子 (東京大学大学院農学生命科学研究科 農学国際専攻 研究員)
長坂 征治 (東洋大学生命科学部生命科学科 准教授、 
東京大学大学院農学生命科学研究科 農学国際専攻 研究員;当時)

発表概要

鉄は呼吸など生命活動に不可欠なミネラルです。イネ科植物は「ムギネ酸類」を根から分泌し土壌中の鉄を溶かして吸収します。私達は長年の謎であった「ムギネ酸類」を分泌するためのタンパク質をイネとオオムギから発見しました。

発表内容

イネ科植物の鉄獲得機構モデル図
イネ科植物の鉄獲得機構モデル図

鉄はほぼ全ての生物に必須の元素ですが、人間をはじめとする動物は植物が土壌から取り込んだ鉄を栄養源としています。土壌中に鉄は大量に存在しますが、水に溶けにくくなっています。特に土壌がアルカリ性である場合、鉄がほとんど溶けていないため、植物は鉄を吸収できずに鉄欠乏になります。土壌中の溶けにくい鉄を吸収するために、イネ、ムギ、トウモロコシなど主要な穀物が属するイネ科の植物は、キレート物質の「ムギネ酸類(注1)」を根から分泌し、土壌中の鉄を溶かして「ムギネ酸類・鉄」として吸収しますが、これはキレート戦略と呼ばれます。「ムギネ酸類」は、日本人研究者の高城成一博士(1925~2008)によって発見されました。1959年の最初の報告の後、高城先生は長い年月をかけて分泌量の多いオオムギからこの物質を精製し、1978年に化学構造の決定がなされました。

私達は、長らくイネ科植物の鉄栄養について研究を進め、ムギネ酸類生合成経路の各ステップを担う酵素の遺伝子の単離を始めとして、これらの酵素群の遺伝子発現(注2)を制御するシス配列や転写因子など、イネ科植物の鉄獲得に関わる分子機構の全容を解明してきました。この中で最後まで未解明であったのが、ムギネ酸類を土壌中に分泌するために働くトランスポーター(注3)の同定でした。残された最大のターゲットとして、国内外の多くの鉄栄養研究者がこのトランスポーターの発見に向けてしのぎを削っていました。私達は、今回世界中の他のグループに先駆けて、このムギネ酸類分泌トランスポーター、「TOM1」をイネとオオムギから発見することに成功しました。この発見により、高等植物の鉄獲得の分子機構において唯一欠けていた最後のピースが解明され、ムギネ酸分泌と鉄吸収の全貌が明らかになりました。

私達はこれまでに、植物の鉄栄養に関わる遺伝子を利用して、アルカリ土壌における鉄欠乏耐性の作物を作出することに成功しています。TOM1遺伝子を利用することにより、さらに望ましい形質を持ったアルカリ土壌耐性の作物を作り出すことができると考えています。また、WHO (世界保健機関) の報告によると世界で最も多い人間の栄養障害は鉄欠乏で、世界人口の半分、約30億人以上が鉄欠乏性貧血症に悩まされています。土壌からの鉄の吸収は、農業生産を支える植物の生育にとって重要であるばかりでなく、これを食糧とする人間の健康にとっても食品としての栄養価を左右する重要な事項です。TOM1遺伝子や、これまでに私達が発見してきた植物の鉄代謝に関わる他の遺伝子を組み合わせることにより、鉄分が豊富な高い栄養価の食品を作ることにも大きく貢献できると考えています。

発表雑誌

雑誌名: The Journal of Biological Chemistry, issue February 18, 2011(オンライン版)
論文タイトル: Phytosiderophore Efflux Transporters Are Crucial for Iron Acquisition in Graminaceous Plants.
著者: Tomoko Nozoye, Seiji Nagasaka, Takanori Kobayashi, Michiko Takahashi, Yuki Sato, Yoko Sato, Nobuyuki Uozumi, Hiromi Nakanishi, and Naoko K. Nishizawa

なお、この研究は東北大学との共同によるものです。

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科
農学国際専攻 新機能植物開発学研究室
特任教授 西澤 直子
Tel: 03-5841-7514
Fax: 03-5841-7514
E-mail: annaoko@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

用語解説

注1 ムギネ酸類:
「ムギの根から分泌される酸」に由来する。イネ科植物が土壌中の難溶性の鉄を溶かして吸収するために根から分泌するキレート物質のことで、ファイトシデロフォアとも呼ばれる。近年土壌からの鉄吸収だけではなく、植物体内の金属元素輸送にも関わることが明らかにされている。

注2 遺伝子発現(発現):
遺伝子の情報が細胞における構造および機能に変換される過程のこと。一般的にはDNAの遺伝子情報がRNAに転写され、さらにタンパク質に翻訳される過程が含まれる。

注3 トランスポーター(膜輸送体):
生体膜を横切って有機物や無機物イオンなどの物質輸送を行うために存在する膜タンパク質。生物の細胞は脂質の膜で覆われているため、生体の養分摂取や、生体細胞間の物質分配等に重要である。