発表者
永田 晋治 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 助教)
諸岡 信克 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 博士課程3年)
朝岡 潔 (独立行政法人農業生物資源研究所 制御剤標的遺伝子研究ユニット 主任研究員;当時)
長澤 寛道 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 教授)

発表概要

昆虫の摂食行動の内分泌制御は、これまでほとんど明らかにされていない。私たちが作ったカイコ幼虫の行動観察による摂食行動評価系により、脂肪組織が産生する摂食モチベーションを調節する新規ペプチド性因子を見出した。

発表内容

カイコ幼虫におけるHemaPのターンオーバーと摂食モチベーション調節機構

図1 カイコ幼虫におけるHemaPのターンオーバーと摂食モチベーション調節機構(模式図)。

私たちのグループでは、昆虫の摂食行動を制御する内分泌メカニズムを明らかにしようとしている。昆虫の摂食行動のメカニズムは、あまり明らかにされていない領域であるため、昆虫の摂食行動を行動レベルで評価する系が必要とされていた。これまでに、私たちは、大型実験昆虫であるカイコの幼虫を用いた長時間の観察により、カイコ幼虫の概日リズムとは独立した約2時間毎の摂食周期を見出していた。つまり、カイコ幼虫の空腹か満腹かは、食餌後の経過時間により客観的に判断することができる。また、観察の際に、食餌の直前、つまり摂食モチベーション(注1)が上昇している時に、頭部を微動させる特徴的な行動を見出した。最終的に、この微動運動を指標とした行動観察による、摂食行動のモチベーションの評価系を作ることに成功した。

この評価系を基に、摂食モチベーションを上昇させる因子を、カイコ幼虫の体液(注2)中から生理活性物質を精製し、その構造を決定した。明らかにした構造は、62残基からなる新規ペプチド性因子であった。この因子は、弱酸性を呈し、体液中に非常に多く存在しているため、HemaP (Hemolymph major anionic peptide、ヒーマップ)と命名した。ちなみに、このHemaPは、脂肪体(注3)で主に産生される。また、このHemaPは、鱗翅目(チョウ目)の種内で保存されているものの、他の昆虫種や動物種などでは見出すことができない。鱗翅目のHemaP様ペプチドとカイコ由来のHemaPとのアミノ酸配列上の相同性も非常に低い。

大腸菌発現系で調製したHemaPをカイコ幼虫に投与すると、摂食モチベーションが上昇するだけでなく、徘徊行動や摂食量なども上昇した。また、体液中のHemaPレベルを各摂食状態で定量したところ、絶食により上昇した。摂食周期と同調したHemaPレベルの変動がみられることからも、HemaPがカイコ幼虫において摂食モチベーションを調節する本体であると強く示唆された。さらに、HemaPレベルが上昇することにより、昆虫の摂食中枢と考えられる食道下神経節(注4)の内生ドーパミンが消費され、顕著に減少することからも、HemaPレベルが摂食モチベーションを調節していることが分かる。

一方、このHemaPレベルは食餌後に顕著に低下するが、これは上昇分の体液中のHemaPが脂肪体に取り込まれるためであり、図1のようなHemaPのターンオーバーがカイコ幼虫体内で摂食モチベーションを調節していると考えられる。

この研究で明らかにしたHemaPは、体液中の主成分であり、それがダイナミックに変動することにより体内の摂食状態を調節している。このメカニズムは、これまでに知られている微量で有効な生理活性物質とは異なる。今後は、HemaPの作用機序などを追究していきたい。

発表雑誌

雑誌名: 「Journal of Biological Chemistry (2011) March 4, 286 (12): 6175-6183」(3月4日号)
論文タイトル: Identification of a novel hemolymph peptide that modulates silkworm feeding motivation
著者: Nagata, S., Morooka, N., Asaoka, K., and Nagasawa, H.

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科
応用生命化学専攻 生物有機化学研究室
助教 永田晋治
Tel: 03-5841-5135
Fax: 03-5841-8022
E-mail: anagashi@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

用語解説

(注1) 摂食モチベーション:
静止(休止)状態から摂食行動に移行するポテンシャル(可能性・確率)。

(注2)  体液:
昆虫の場合、血液のことを体液という。昆虫は開放血管系であるため、昆虫の摂食モチベーションは、栄養状態に依存する体液成分に反映しているといわれている。

(注3) 脂肪体:
昆虫の脂肪組織のこと。

(注4) 食道下神経節(しょくどうかしんけいせつ):
昆虫の神経系は、はしご状神経節である。摂食行動に特に関わっているのが、食道下神経節、脳、胸部第一神経節である。また、食道下神経節 は、顎や首、頭部など摂食行動に重要と考えられている運動神経が投射している。