甘・旨・苦・酸・塩味を呈する化合物は、それぞれ別々の味細胞によって受容されます。転写調節因子であるSkn-1a/Pou2f3を欠失させたマウスでは、甘・旨・苦味細胞が完全に消失し、これらの味を識別できなくなりました。一方、消失した味細胞に代わり酸味細胞数が増えました。このことから、甘・旨・苦味細胞と酸味細胞は、1つの共通の前駆細胞から分化することが示唆されました。味の細胞系譜の新発見といえます。
脊椎動物は、主に口腔咽頭部の上皮層に分布している味受容細胞(味細胞)が食物中の化合物で活性化され、その情報が脳に伝達されることで様々な味を感じます。ヒトが感じる代表的な味、甘味、旨味、苦味、酸味、および塩味を5基本味と呼び、ヒト以外の動物でもヒトが甘味や旨味を感じる物質を嗜好し、ヒトが苦味や酸味を感じる物質を忌避することが知られています。これまでの研究で、甘味、旨味、苦味、および酸味は互いに異なる味細胞により受容されていることがわかっていますが、どのようにして多様な味細胞が出現するのかは不明でした。
本研究チームは味細胞の機能を解明する一つの手段として、味細胞とその周辺の上皮細胞の違いを生み出す遺伝子を網羅的に解析してきました。その過程で、甘味細胞、旨味細胞、および苦味細胞に限定的に発現するPOUホメオドメインタンパク質(注1)Skn-1a/Pou2f3を見出しました。このタンパク質の機能を破壊したマウス(Skn-1aノックアウトマウス)は甘味、旨味、および苦味が感知出来なくなっていました。また、これらの味細胞の活性化に必要な遺伝子群(味覚受容体、Gタンパク質、エフェクター、イオンチャンネルなど)の発現が消失していた一方、酸味細胞に発現する遺伝子の発現頻度が増大していました。これらのことから、甘味、旨味、苦味細胞と酸味細胞は共通の前駆細胞(注2)から分化し、甘味、旨味、苦味細胞の出現をSkn-1aが制御していることが示されました。
味の認知・識別は、生命を維持するために外界から食物を摂取せざるをえない生物にとって、生体に有害な物質を排除する最後の砦として機能しています。また、美味しい・まずいという味の情報は、好き・嫌い、快・不快といった感性や記憶の形成、発達などと密接に関連しています。味のない食事を続けることは非常に苦痛で、ストレスを感じます。味細胞の出現やその多様性を支える仕組みの一端を明らかにしたことは、生物の食と進化、食環境と生存の関連を考究するヒントを与えてくれるでしょう。また、病気やその治療の過程で起きる味覚障害の治療法の確立にも役立つと期待されます。
生物間で高い相同性を示す約180塩基対からなるDNA配列をホメオボックスといい、この配列がコードするタンパク質領域をホメオドメイン、ホメオドメインを持つタンパク質をホメオドメインタンパク質という。ホメオドメインとは別に、ホメオドメインとよく似たPOU特異的ドメインを持つタンパク質をPOUホメオドメインタンパク質という。POUは、Pit-1, Oct-1, 2, Unc-86という3つの転写因子の頭文字から名付けられた。POU特異的ドメインおよびホメオドメインはDNA結合活性を有する。Skn-1遺伝子からはN末端(POU特異的ドメインおよびホメオドメイン以外の領域)の配列が異なる2種類のタンパク質Skn-1a(DNA結合能を持つ)とSkn-1i(DNA結合能を持たない)が作られる。POUホメオドメインタンパク質を含め、ホメオドメインタンパク質の多くが生物の発生に深く関与していることが知られている。
注2 前駆細胞:特定の機能を発揮する成熟した細胞になる前の段階の細胞。成熟途上の細胞ではなく、成熟への分化を開始する前の細胞を指すことが多い。