発表者
五十嵐圭日子 (東京大学大学院農学生命科学研究科 生物材料科学専攻 准教授)
内橋貴之 (金沢大学 数物科学系 准教授)
Anu Koivula (フィンランド技術研究センター 主任研究員)
和田昌久 (東京大学大学院農学生命科学研究科 生物材料科学専攻 准教授)
木村 聡 (東京大学大学院農学生命科学研究科 生物材料科学専攻 助教)
岡本哲明 (金沢大学 数物科学系 研究員)
Merja Penttilä (フィンランド技術研究センター 研究教授)
安藤敏夫 (金沢大学 数物科学系 教授)
鮫島正浩 (東京大学大学院農学生命科学研究科 生物材料科学専攻 教授)

発表概要

セルロースを分解する酵素(セルラーゼ)分子が、セルロース表面で「渋滞」を起こすことで、セルロースの分解効率を下げている様子を、高速原子間力顕微鏡によって直接観察することに成功しました。本結果は、「分子が渋滞する」という基礎科学的に新規な知見であるだけでなく、セルロース系バイオマスから液体燃料やプラスチック原料を高効率に生産するシステム構築にも重要な指針を与えます。

発表内容

セルラーゼがセルロース結晶表面を一方向に進みながら分解していく様子

(図1)セルラーゼがセルロース結晶表面を一方向に進みながら分解していく様子。(拡大画像↗

高速原子間力により捉えられた画像

(図2)高速原子間力により捉えられた画像。セルラーゼがセルロース結晶上を右から左へ移動している。時間経過とともにセルラーゼが“渋滞”を起こしている。(拡大画像↗

セルロースは、グルコース(ブドウ糖)が直鎖状につながった多糖で、植物細胞壁の約半分を占める物質です。地球上で、最も豊富に存在する有機物であり、植物によって二酸化炭素と水から光合成によって作り出されるので、再生可能な生物資源(バイオマス)としての利用が望まれています。セルロースを分解して得られるグルコースからは、バイオ液体燃料やプラスチック原料を生産することができるため、セルロースをいかに低エネルギーかつ低コストでグルコースにまで分解(このプロセスは「糖化」と呼ばれます)できるかが、セルロース系バイオマスを有効利用するための鍵であると考えられています。しかし、セルロースは極めて安定した化合物であるため、その分解には強酸や高温、高圧といった過酷な条件下で膨大なエネルギーが必要となります。一方で、自然界においてセルロースは、セルロース分解性の微生物によって常温、常圧下で分解されています。この反応を行っているのがセルロース分解酵素(一般的にセルラーゼと総称されています)であり、将来的にセルロース系バイオマスを資源として利用するためには、セルラーゼをいかに上手に利用していくかが重要となります。

現在、セルラーゼを利用する上で最も問題とされているのが、その分解反応の遅さです。自然界では長い年月をかけて分解されるセルロースを工業的に利用するためには、短時間(長くとも数日程度)でグルコースにまで分解しなければなりません。そのために大量の酵素を使用すればよいのではないかということは、誰もが考えることです。しかしながら、昨今のバイオテクノロジーの発展によって価格が安くなったとはいえ、依然として酵素を生産するためのコストは高いため、酵素の使用量を多くすることは経済的に無理があります。さらに、セルラーゼを大量に使用すると、セルロースの分解効率が逆に下がってしまうという現象が起こることも知られています。このようなセルラーゼの問題点の多くは、セルラーゼが一般的に研究されている酵素とは違う「固体表面で働く酵素」であることに深く関わっています。

そこで私たちは、金沢大学の安藤敏夫教授、内橋貴之准教授、古寺哲幸准教授らが開発した高速原子間力顕微鏡(注1)を用いて、フィンランド技術研究センターのKoivula主任研究員とPenttilä研究教授の協力を得て、セルラーゼ(TrCel7A)が結晶性セルロース繊維を滑走しながら分解する様子を、ナノメートルスケールの空間分解能、1秒以下の時間分解能で経時的に観察することに成功しました。その結果、天然セルロースではセルラーゼがモノレールのように一列に並んで進み渋滞しているのに対して、アンモニアによる化学処理をして活性化したセルロースでは、表面に多くの「車線」ができているために、酵素分子が動くことができる面積が広くなっていることが明らかとなりました。さらに、別の酵素(TrCel6A)を添加することで、結晶性セルロースの表面に「入口」と「出口」が作られて、TrCel7Aが渋滞せずに効率良く動けるようになっている様子も観察されました。アンモニア処理が結晶性セルロースの分解速度を向上すること、TrCel6AとTrCel7Aの二つの酵素を使用することで効率良くセルロースが分解されることは、これまでにも報告されていましたが、これらの現象が「セルラーゼの渋滞解消」によって説明できるということは、今回の高速原子間力顕微鏡を用いた観察によって初めて明らかにされました。

これらの発見は、分子というミクロなスケールで、私たちが日常で体験するような「渋滞」という現象が起こっていることを示しており、基礎科学的に重要な知見となります。さらに、私たちが今後セルロース系バイオマスからバイオ液体燃料やプラスチック原料などを生産しようとするときに、バイオマスを分解する酵素がいかに「渋滞」しないような糖化プロセスを構築できるかを考えることが、重要であることを示しています。本研究成果は、セルロース系バイオマスが再生可能なエネルギーやマテリアルに変換される循環型社会の構築に役立つと私たちは考えています。

なお本研究は、以下の資金による研究成果です。

発表雑誌

雑誌名: Science (9月2日号)
論文タイトル: Traffic Jams Reduce Hydrolytic Efficiency of Cellulase on Cellulose Surface
(セルロース表面におけるセルラーゼの交通渋滞が加水分解効率を低下させる)
著者: *†Kiyohiko Igarashi(五十嵐圭日子), *Takayuki Uchihashi(内橋貴之), Anu Koivula, Masahisa Wada(和田昌久), Satoshi Kimura(木村 聡), Tetsuaki Okamoto(岡本哲明), Merja Penttilä, Toshio Ando(安藤敏夫), Masahiro Samejima(鮫島正浩)
*共同筆頭著者,責任著者

問い合わせ先

東京大学 大学院農学生命科学研究科
生物材料科学専攻 森林化学研究室
准教授 五十嵐 圭日子(いがらし きよひこ)
Tel: 03-5841-5258 Fax: 03-5841-5273
E-mail: aquarius@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

用語解説

(注1) 原子間力顕微鏡は、探針(プローブ)を観察対象の表面に沿って走査することで観察対象の形の情報(画像)を得ます。しかしながら従来の原子間力顕微鏡は1画像取得するのに数分を要していたため、対象物の変化をリアルタイムで追うことは困難でした。金沢大学の安藤敏夫教授らのグループは、様々な改良を行うことで走査の高速化に成功し、リアルタイムで画像が撮れる高速原子間力顕微鏡を世界で初めて開発しました。