発表者
山本 くるみ (東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻・修士課程学生(当時))
石丸 喜朗 (東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻・特任助教)
應本 真  (モネル化学感覚研究所・研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻・特任助教(当時))
松本 一朗 (モネル化学感覚研究所・研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻・特任准教授(当時))
朝倉 富子 (東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻・特任准教授)
阿部 啓子 (東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻・特任教授)

発表概要

ヒトを含む哺乳類が感じる味は、5種類の基本味(甘味・苦味・酸味・塩味・うま味)に分けられます。食物の味を最初に感知する生体組織である味蕾では、基本味の種類ごとに受け取る味細胞が異なることが明らかになっています。ところが、味細胞で感知された味情報が、どのように最終的に大脳味覚野まで伝えられて、それぞれの味として認識されるかは分かっていません。本研究では、連絡する神経細胞間を移動するコムギ胚芽レクチン(WGA)(注1)タンパク質を、酸味を感じる細胞に発現させる遺伝子改変マウス(注2)を作出し、酸味情報を伝える神経経路を可視化しました。酸味を感じる細胞で発現させたWGAタンパク質は、酸味受容細胞とシナプス連絡している味神経の神経節(NPG、GG)と、さらに高次の神経の神経核(NST)の細胞に輸送されていました。このマウスを利用することで、味覚コーディング機構(注3)の解明に繋がることが期待されます。

発表内容

図1:味情報を伝達する神経の走行

図1:味情報を伝達する神経の走行拡大画像↗
 舌には、味蕾の多く集まる乳頭が3種類あり、舌の前部の茸状乳頭には鼓索神経、舌の後部の有郭乳頭と葉状乳頭には主に舌咽神経が投射している。鼓索神経の細胞体はGG、舌咽神経の細胞体はNPGに存在し、さらに高次のNSTに投射している。
NPG(迷走神経節状神経節・舌咽神経下神経節)、GG(顔面神経膝神経節)、NST(延髄孤束核)

図2:本研究のまとめ

図2:本研究のまとめ拡大画像↗
 NPGでは舌咽神経束の近くにWGA陽性細胞が集まっていた。また、GGでもWGA陽性細胞が確認された。NSTでもWGAタンパク質が検出され、酸味情報を伝達する神経を2次神経細胞まで可視化することができた。

食物は口腔にある味蕾で受容され、その刺激が味蕾に投射する神経を経由して、最終的に大脳の味覚野で認識されます。この味覚の伝達・認識機構(味覚コーディング機構)は味覚研究における重要な研究課題の一つです。現在、labeled-lineモデルとacross-fiber patternモデルという二つの仮説が提唱されており、前者のモデルが有力とされていますが、どちらが正しいかは依然として議論されています。この問題の答えを得る手がかりとして、酸味情報伝達神経回路の解明を目指し、神経間を輸送される経シナプストレーサー分子WGAを酸味を感じる細胞に発現させるマウスを作出し、解析を行いました。

まず、酸味を感じる細胞特異的に発現するPkd1l3遺伝子のプロモーター領域の下流に、WGA遺伝子を連結したトランスジーンを作製し、これを遺伝子導入した遺伝子改変マウスを作出しました。このマウスの味細胞でin situ hybridization法と免疫組織学的解析(注4)を行い、WGAが酸味を感じる細胞特異的に発現していることを確認しました。

舌の後部の味細胞には主に舌咽神経、前部には鼓索神経が投射することがわかっています。そこで次に、これらの神経の細胞体が集まる感覚性脳神経節(NPG、GG)に輸送されたWGAタンパク質の検出を試みました。その結果、NPGとGGの一部の神経細胞でWGAタンパク質が検出されました。NPGでは、舌咽神経束の近くにWGA陽性細胞が集まっているという特徴が見られました。また、GGでもWGAが検出されたことから、葉状乳頭の酸味受容細胞に鼓索神経が投射していることがわかりました。

これらの神経のさらに高次の神経の細胞体は、NSTと呼ばれる脳の神経核にあります。ここでもWGAタンパク質が検出され、作出したマウスを用いて、味細胞から、NPG、GGを経てNSTに至る酸味情報伝達神経回路の可視化に成功しました。

今回作出したマウスと、これまでに我々のグループが作出した甘味や苦味の情報伝達神経回路を可視化したマウスを比較することで、味覚コーディング機構の解明につながることが期待されます。

発表雑誌

The Journal of Neurochemistry, 119(3), 497-506 (2011年10月12日号)
*Yamamoto, K., *Ishimaru, Y., Ohmoto, M., Matsumoto, I.,, Asakura, T., and Abe, K. (*equal contribution)
Genetic tracing of the gustatory neural pathway originating from Pkd1l3-expressing type III taste cells in circumvallate and foliate papillae.

問い合わせ先

東京大学 大学院農学生命科学研究科
応用生命化学専攻 味覚サイエンス(日清食品)寄付講座

特任教授 阿部 啓子
Tel: 03-5841-5129
FAX: 03-5841-8897
E-mail: aka7308@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

特任助教 石丸 喜朗
Tel: 03-5841-1878
FAX: 03-5841-1879
E-mail: ayishi@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
URL: http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/tastescience/index.html

用語解説

注1 WGA:

Wheat Germ Agglutinin(コムギ胚芽レクチン)のことで、神経細胞間をシナプスを介して輸送される特徴を利用して、神経細胞のトレーサーとして用いられる。ある細胞特異的に遺伝学的にWGAを発現させることで、特定の細胞種からの神経回路の可視化が可能となった。

注2 遺伝子改変マウス:

人為的に個体の遺伝情報を変化させたマウスのこと。今回作出したようなトランスジーン(外来遺伝子)を導入するトランスジェニックマウスや、胚性幹細胞(ES細胞)を用いて目的の遺伝子を破壊する遺伝子破壊マウスなどの種類がある。

注3 味覚コーディング機構:

複数の基本味が別々の味として認識される機構。現在、以下の二つの仮説が提唱されているが、議論は決着していない。
・labeled-lineモデル・・・一つの味神経細胞は一種類の基本味情報だけを伝達するという仮説。
・across-fiber patternモデル・・・一つの味神経細胞が複数種の味刺激によって発火し、その発火パターンで味を認識するという仮説。

注4  in situ hybridization法と免疫組織学的解析:

in situ hybridization法と免疫組織学的解析はそれぞれ、目的の組織切片を用いて、ある遺伝子のmRNAとタンパク質が発現しているかを調べる方法。