発表者
神谷隆史 (東京大学大学院農学生命科学研究科水圏生物科学専攻修士課程;当時)
甲斐渉 (東京大学大学院農学生命科学研究科水圏生物科学専攻博士課程;当時)
田角聡志 (東京大学大学院農学生命科学研究科附属水産実験所 特任助教)
岡あゆみ (東京大学大学院農学生命科学研究科水圏生物科学専攻修士課程;当時)
松永貴芳 (東京大学大学院農学生命科学研究科水圏生物科学専攻修士課程;当時)
水野直樹 (東京大学大学院農学生命科学研究科附属水産実験所 技術官)
藤田真志 (東京大学大学院農学生命科学研究科附属水産実験所 技術官)
末武弘章 (福井県立大学海洋資源学部 准教授)
鈴木重則 (水産総合研究センター増養殖研究所)
細谷将 (東京大学大学院農学生命科学研究科附属水産実験所 特任研究員)
Sumanty Tohari (Institute of Molecular and Cellular Biology, Singapore)
Alice Tay (Institute of Molecular and Cellular Biology, Singapore)
Sydney Brenner (Institute of Molecular and Cellular Biology, Singapore)
宮台俊明 (福井県立大学海洋資源学部 教授)
Byrappa Venkatesh (Institute of Molecular and Cellular Biology, Singapore)
鈴木譲 (東京大学大学院農学生命科学研究科附属水産実験所 教授)
菊池潔 (東京大学大学院農学生命科学研究科附属水産実験所 助教)

発表のポイント

◆どのような成果を出したのか
トラフグの雌雄差を決めているY染色体とX染色体の差は、たった一つのDNA塩基である。
◆新規性(何が新しいのか)
ヒトの性染色体(XとY染色体)間では、DNA配列が著しく異なっていることが知られており、ヒト以外の脊椎動物においても、性染色体間の配列はかなり異なっていると考えられていた。ところが、一つのDNAしか差がない性染色体ペアを持つ脊椎動物が存在することを示した。
◆社会的意義/将来の展望
性決定機構の理解に新しい視点をもたらすとともに、高級食材であるフグ精巣の安定供給に結びつく。また、野生フグの保護や生態把握が促進される。

発表概要

ヒトの性を決定しているSRY遺伝子はY染色体にあって、X 染色体上には存在しない。これら二つの染色体のDNA配列は著しく異なっていることが知られており、ヒト以外の脊椎動物においても、性染色体間の配列はかなり異なっていると考えられていた。ところが、東京大学大学院農学生命科学研究科の菊池潔 助教らの研究により、トラフグのY染色体とX染色体の間に常に認められる差は、たった一つのDNA塩基であることが判明した。

基礎科学への大きな貢献に加えて、本研究からは、産業および文化上の波及効果も期待できる。フグの精巣は、我が国では食材として珍重されてきたが、トラフグの雌雄を外見から判別することは困難であった。本研究の成果は雌雄判別法の確立へと結びつき、食材としての「白子」の安定供給に寄与するだろう。また、フグを殺すことなく雌雄を見分けることが可能となるので、「野生集団の雌雄比」を知ることが容易となり、枯渇が懸念される野生フグの保護や生態把握が促進される。

発表内容

トラフグの雌雄間で異なるただ一つのDNA塩基 (拡大画像↗
(左図)トラフグのY染色体とX染色体の配列は、常に一カ所だけ異なっている。このDNA塩基は、抗ミュラー管ホルモンII型受容体遺伝子上にある。(右図)野生のトラフグ。本研究では、野生の魚がもつゲノムの多様性を解析に活用した。

ヒトを含む哺乳類の性決定遺伝子はY染色体上にあるSry遺伝子である。この遺伝子を受け継ぐ個体(XY)はオスとなり、受け継がない個体(XX)はメスとなる。Y染色体とX染色体のDNA配列は著しく異なっていることが知られており、哺乳類以外の脊椎動物においても、両染色体の配列は、その度合に幅はあるもののかなり異なっていると考えられていた(注1)。ところが、東京大学大学院農学生命科学研究科の菊池潔 助教らが、重要水産魚であるトラフグの性染色体を遺伝学的な手法で解析した結果(ちなみにトラフグはゲノム科学のモデルとしても知られている(注2))、これまでの常識に反して、Y染色体とX染色体の差は、「抗ミュラー管ホルモンII型受容体(Amhr2)」(注3)という遺伝子内のたった一個のDNA塩基であることが明らかとなった(注4)。

この一塩基のDNA配列の差はアミノ酸配列の差をつくりだすので、オスはメスが持たない「Y型の抗ミュラー管ホルモンII型受容体」を常に持つことになる。すなわち、この受容体タンパク質のY型とX型の機能差がトラフグの雌雄を決定していると考えられる。興味深いことに、ヒトの場合、このタンパク質に変異を持つ男性は女性の生殖器官の一部も持ってしまうことがある。つまり、ヒトでは疾患をもたらすようなDNA変異が、フグの仲間では性決定遺伝子(変異)の役割をはたしているのである。

近年、脊椎動物の過半数を占める変温動物において、性染色体が頻繁に移り変わる現象が次々と報告されており、これまでのヒトやネズミの事例を規範とした性決定システムの理解が、自然界の動物たちにはかならずしも当てはまらないことが分かってきた。トラフグが持つような性染色体は決して特殊な例ではないかもしれない。

本研究からは、産業および文化上の波及効果も期待できる。フグの精巣は、我が国では食材として珍重されてきたが、トラフグの雌雄を外見から判別することは困難であった。本研究の成果は雌雄判別法の確立へと結びつき、食材としての「白子」の安定供給に寄与するだろう。また、フグを殺すことなく雌雄を見分けることが可能となるので、「野生集団の雌雄比」を知ることが容易となり、枯渇が懸念される野生フグの保護や生態把握が促進される。

発表雑誌

雑誌名
「PLoS Genetics (2012) Vol. 8, Issue 7, e1002798」(無料公開)
論文タイトル
A Trans-species missense SNP in Amhr2 is associated with sex determination in the tiger pufferfish, Takifugu rubripes (fugu)
著者
神谷隆史, 甲斐渉, 田角聡志, 岡あゆみ, 松永貴芳, 水野直樹, 藤田真志, 末武弘章, 鈴木重則, 細谷将, Sumanty Tohari, Alice Tay, Sydney Brenner, 宮台俊明, Byrappa Venkatesh, 鈴木譲, 菊池潔(菊池は責任著者, 神谷・甲斐・田角は同等寄与者)
DOI番号
10.1371/journal.pgen.1002798
アブストラクト
http://www.plosgenetics.org/doi/pgen.1002798

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科附属水産実験所
助教 菊池 潔
Tel: 053-592-2821
Fax: 053-592-2822
E-mail: akikuchi@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

用語解説

注1) ヒトのY染色体はX染色体の1/3程度の長さで、その約95%の配列はY特異的な領域である。YとX染色体は、元々は同じ長さで、その全領域にわたって配列の交換を行う相同染色体に由来すると考えられている。ニホンメダカのY染色体とX染色体は、これまでに知られている脊椎動物の性染色体の中で最も類似性の高い染色体ペアで、Y特異領域は約30万塩基である(Kondo et al., 2006)。一方で本論文の審査中に、ルソンメダカの性決定遺伝子Gsdf1が報告された(Myoshyo et al. 2012)。この性決定遺伝子はフグの性決定遺伝子Amhr2と同様に、XとY染色体の両方に存在し、性決定に関わる対立遺伝子間の差は6−8塩基である。つまり、この種においても、XとY染色体の差は数個の塩基でしかないと考えられる。(Kondo et al., Genome Res 2006.16:815-826. Myosyo et al., Genetics 2012. 191:163-70.)

注2) トラフグのゲノムサイズはヒトの1/8しかないが、フグのゲノムに存在する遺伝子のレパートリーはヒトと似ている。この特徴を利用すれば、少ない手間で、脊椎動物に普遍的なゲノムの性質を調べることが可能である。このような背景からトラフグのゲノム解読計画が進められ、その概要配列がヒトゲノムに次ぐ2002年に公開された。

注3) 抗ミュラー管ホルモンII型受容体(Amhr2)
Amhr2(anti-Müllerian hormone receptor, type II)は、抗ミュラー管ホルモンの受容体のひとつ。ほ乳類のオスでAmhr2の機能が失われると、卵管や子宮の一部が残ってしまう(ミュラー管遺残症)。

注4) XとY染色体間には数百塩基に1塩基の割合でDNA配列の個体差が見られた。今回、約100尾の野生トラフグの性染色体を比較して、雌雄間(XとY染色体間)に常に認められる塩基差と、雌雄とは関係のない塩基差を区別した。