発表者
川上 晋平 (森永製菓株式会社 ヘルスケア事業部)
應本 真 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任助教(当時))
伊藤 俊輔 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 修士課程)
湯浅 令子 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻(当時))
稲垣 宏之 (森永製菓株式会社 ヘルスケア事業部)
西村 栄作 (森永製菓株式会社 ヘルスケア事業部)
伊藤 建比古 (森永製菓株式会社 ヘルスケア事業部)
三坂 巧 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 准教授)

発表のポイント

◆どのような成果を出したのか
離乳期マウスにおいて、固形餌摂取や味刺激受容によって、大脳皮質(注1)味覚領域に大きな変化が認められた。
◆新規性(何が新しいのか)
食事が脳にどのような影響を及ぼすかについて、実験的に示すことができた。
◆社会的意義/将来の展望
乳幼児期の食事が脳の発達にどのように影響するかという疑問を解決する上で、大きな手がかりとなりうる。

発表概要

食事の味や食感に関する情報は、大脳皮質の味覚野・体性感覚野に伝達されて処理されるが、その情報が脳にどのような影響を与えているかについてはよく知られていなかった。森永製菓株式会社ヘルスケア事業部および東京大学大学院農学生命科学研究科の共同研究グループは、離乳期マウスを研究対象にして、食事の摂取が脳にどのような影響を与えるかについて、検証を実施した。その結果、離乳期マウスの大脳皮質味覚野・体性感覚野において、固形餌摂取や味覚刺激が、神経伝達に重要なタンパク質の量に顕著な変化を与えることを明らかにした。すなわち、離乳期における様々な食経験が、味覚に関連する脳領域の活性化をもたらし、味覚感受性に大きな影響を及ぼす可能性が示されたといえる。今回得られた研究成果は、乳幼児期に摂取する食事が脳の発達にどのように影響するかという疑問を解決する上で、大きな手がかりになると考えられる。

発表内容

(図1)離乳期マウスにおける固形餌摂取の効果
 離乳期(生後21日)マウスにおいて、固形餌摂取(右)により、大脳皮質味覚領域にSNAP25タンパク質が多量に蓄積することが、組織染色により明らかになった。 (拡大画像↗

(図2)本研究成果のまとめ
 離乳期マウスでは、固形餌摂取や味刺激といった食経験により、大脳皮質味覚領域におけるSNAP25タンパク質の量が大きく変化する。これにより、味覚に関連する脳領域の活性化がもたらされ、味覚感受性に大きな影響を及ぼす可能性が示された。 (拡大画像↗

食事を摂取した際に生ずる甘い・苦いといった味覚情報や、硬い・やわらかいといった食感に関する情報は、口腔内において受け取られた後に、大脳皮質の味覚野・体性感覚野に伝えられ、味や食感が認識される。このような食関連情報が処理される脳の領域については、ある程度明らかにされているものの、食に関する情報が脳にどのような影響をもたらすかについて、これまでほとんど解析されてこなかった。

味覚以外の感覚、例えば視覚や聴覚においては、幼少期の特定の時期に刺激を受けることで脳の関連領域が発達し、特別な能力を獲得するに至ることが示唆されている。視覚系においては、眼が開いた直後における光の入力により大脳皮質視覚野の神経伝達経路が大きく変化することが知られているし、また聴覚においては、絶対音感や語学能力など、我々の生活に直接関わるような能力の獲得に、幼少期の感覚刺激が必須なものとして認識されている。一方、味覚に関連する現象について、幼少期の味覚刺激がどのように脳に影響を与え、またそれが脳の発達にどう影響するのか、という疑問に関する科学的エビデンスは、ほとんど実証されていないのが現状である。本研究においてはそのような背景のもと、哺乳類において生後の食環境が劇的に変化する離乳期に着目し、離乳期マウスの食経験が脳に及ぼす効果について、検証を実施した。

まず、離乳前後の時期において、大脳皮質味覚野・体性感覚野において発現量が大きく変動しているタンパク質を、ウエスタンブロッティング法および免疫組織染色法を用いて探索した。神経マーカーとして汎用されているいくつかのタンパク質について検討を行った結果、Synaptosomal associated protein (SNAP) 25(注2)という神経伝達物質の放出に関与するタンパク質が、離乳後に顕著に蓄積されていることを見出した。このSNAP25の発現上昇が、離乳期に固形餌を食べたことによって生じた結果であると推測し、固形餌を与えたマウスと、母乳のみで育てたマウスでの脳内SNAP25量を比較したところ、固形餌を与えたマウスにおいてSNAP25タンパク質が顕著に蓄積していることが明らかになった(図1)。

さらに、固形餌ではなく単純な味の刺激によってもSNAP25タンパク質が変動するかどうかについても検証するため、人工甘味料のひとつであるサッカリン、および唐辛子に含まれる辛味物質であるカプサイシンをそれぞれ摂取させたときの脳内SNAP25変動についても解析した。その結果、サッカリンやカプサイシンを与えた場合も、味覚野・体性感覚野においてSNAP25が蓄積する様子が観察され、その蓄積部位は味の種類によってわずかに異なることも示された。

以上の結果から、離乳期の食経験により、大脳皮質味覚領域において神経伝達に重要なタンパク質の量が大きく変化することが明らかとなった。この結果は、離乳期の食経験によって、味覚領域の神経回路が発達し、味覚の感受性が変化する可能性をも、同時に示唆している(図2)。乳幼児期における食経験が、どのようにして大脳の味覚関連領域に影響を及ぼし、それが大人になってからの食行動や味覚感度に影響するかどうかといった知見は、われわれが乳幼児期において、いつ、どのようなものを食べ始めるべきかという現実的な問題とも直結する。我が国においては、食育という教育学的な方面からも、広い関心を呼ぶに至っている。このような食に関する新たな研究の潮流は、脳の発達における味覚刺激の重要性を検証する上で、大きな手がかりとなることが期待される。

発表雑誌

雑誌名
「Neuroscience」(218巻 326-334ページ、2012年8月30日発行)
論文タイトル
Accumulation of SNAP25 in mouse gustatory and somatosensory cortices in response to food and chemical stimulation
著者
Shinpei Kawakami, Makoto Ohmoto, Shunsuke Ito, Reiko Yuasa, Hiroyuki Inagaki, Eisaku Nishimura, Tatsuhiko Ito, and Takumi Misaka
DOI番号
doi.:10.1016/j.neuroscience.2012.05.045
アブストラクト
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0306452212005337

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科
応用生命化学専攻 生物機能開発化学研究室
准教授 三坂 巧 (みさか たくみ)
Tel: 03-5841-8117
Fax: 03-5841-8100
E-mail: amisaka@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

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用語解説

(注1) 大脳皮質
大脳の表面を覆う組織であり、神経細胞が規則正しく層状に並んでいる。知覚、随意運動、思考、推理、記憶など、脳の高次機能に重要な機能を果たす。
(注2) SNAP25
神経細胞に発現しており、シナプス小胞からの神経伝達物質の放出に関与する重要なタンパク質である。