ESP1(注1)は、オスマウスの涙に分泌され、メスの性行動を促進させる、分子量約7kDaのペプチド性のフェロモンです。本論文では、核磁気共鳴分光法(注2)を用いてESP1の立体構造を明らかにし、さらに、ESP1の受容体であるGタンパク質共役型受容体(注3)V2Rp5と相互作用する部位を明らかにしました。哺乳類のペプチド性フェロモンと受容体の構造的知見を提供するのは本研究が初めてです。
図1 ペプチド性フェロモンESP1の立体構造と活性部位 (拡大画像↗)
(左)ESP1のリボンモデル。三つのヘリックス(緑)とジスルフィド結合(黄色)から成る。(右)部位特異的変異導入実験によって同定した活性部位を示したESP1の電子雲モデル。重要な活性部位(E67, 紫)、活性に関わっているアミノ酸(オレンジ)、活性に関わらないアミノ酸(灰色)が色分けしてある。
図2 ペプチド性フェロモンESP1とその受容体であるV2Rp5の結合モデル (拡大画像↗)
グルタミン酸受容体の立体構造を元に、ESP1の受容体であるV2Rp5のN末端側の細胞外領域をモデル構築し、ESP1の結合部位を予測した。ESP1(緑)はV2Rp5のグローブの形の隙間に結合すると予測される。電荷を色分けしてあるが(青:+、赤:−)、ESP1とV2Rp5の結合表面では電荷の相補的相互作用が見られた。
オスマウスの涙には、ESP1と名付けられた分子量約7kDaのペプチドが分泌されています。メスがオスと直接接触すると、オスの顔や手についたESP1が、メスマウスの鋤鼻器官(じょびきかん;注4)に取り込まれます。そして、ESP1によって鋤鼻神経が活性化すると、その情報は脳の扁桃体や視床下部に伝わって、メスは交尾受け入れ態勢であるロードシス(注5)という性行動をとります。ESP1があると、交尾の確率が3−4倍上昇することから、ESP1はマウスの繁殖に重要な性フェロモンと考えられています。
ESP1は、鋤鼻器官に発現する約300種類ほどの鋤鼻受容体のうち、V2Rp5という受容体一つによって感知されます。V2Rp5はN末端が長いグルタミン酸受容体と同じクラスCファミリーに属するGタンパク質共役型受容体であり、V2Rp5のノックアウトマウスではESP1によるロードシス行動が消失することから、ESP1とV2Rp5の相互作用は、ESP1が引き起こすロードシス行動に必要十分と考えられます。
本研究では、ESP1とV2Rp5の構造的知見を得るために、核磁気共鳴分光法(NMR)を用いて、ESP1の立体構造を明らかにし、さらに部位特異的変異解析によって、ESP1の配列のなかで、V2Rp5を活性化するのに重要なアミノ酸残基を同定しました。ESP1は、ひとつのジスルフィド結合と三つのヘリックスとからなる比較的コンパクトな構造をもち、マウス尿主要タンパク質MUPなどいままで知られていたフェロモン候補タンパク質の構造とは異なり、アメフラシや単細胞繊毛虫のフェロモンに似た構造をもつことがわかりました。さらに、表面が電荷に富んでおり、そのうち67番目のグルタミン酸に変異を導入すると、鋤鼻神経活性が顕著に減少したことから、E67がV2Rp5との相互作用に関わるアミノ酸であることが示唆されました。そこで、グルタミン酸受容体の立体構造をもとにV2Rp5のN末端領域のモデル構造を構築し、グローブの様な隙間にESP1を配置してドッキングシミュレーションしたところ、サイズと電荷の相互作用的に、結合部位として整合性のある結果が得られました。
本結果は、哺乳類におけるペプチド性フェロモンとその受容体の構造的知見としては初めてものであり、グルタミン酸受容体を含むクラスCのGタンパク質共役型受容体とペプチド性のリガンドとの相互作用に関して新たな情報を提供するものでもあります。また、ESP1の相同ペプチドがマウスゲノム上に38種類、ラットゲノム上に10種類存在します。このESPペプチドファミリーは、性行動や社会行動など様々な齧歯類の行動に関わっていることが推測されているので、本研究で明らかになったフェロモン‐受容体相互作用の構造的知見は、ネズミの行動を制御する物質のスクリーニングや開発のきっかけになると期待されます。
本研究は、熊本大学が構造解析、東京大学が機能解析を分担して共同でおこなわれたものであり、文科省ターゲットタンパク研究プログラム、文科省特定領域研究、JST ERATOの研究費サポートを受けて行われました。
東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 生物化学研究室
教授 東原 和成
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E-mail: ktouhara@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
熊本大学大学院生命科学研究部 創薬化学講座 構造生命イメージング分野
教授 寺沢 宏明
Tel&Fax: 096-371-4310
E-mail: terasawa@gpo.kumamoto-u.ac.jp