◆真核生物の鞭毛(注1)が運動するために必要な鞭毛ダイニン(注2)と微小管(注3)とが結合する部位の構造とその動的な変化の様子を明らかにした。
◆鞭毛ダイニンに特徴的な突起構造を見いだし、鞭毛ダイニンの微小管への結合は細胞質に存在するダイニンに比べてかなり弱いことが分かった。
◆真核生物の鞭毛運動を駆動させるタンパク質として世界で初めての原子レベル構造の解明であり真核生物が鞭毛を駆動する機構の一端が明らかになった。
東京大学大学院農学生命科学研究科の加藤有介特任研究員、田之倉優教授、英国リーズ大学アスブリー構造分子生物学センターのStan Burgess(スタン•バージェス)リーダーらの研究グループは、真核生物の鞭毛(注1)が運動するために必要な分子である鞭毛ダイニンの微小管(注3)との結合部位(MTBD)の立体構造を原子レベルで解明した。
鞭毛ダイニンは真核生物の鞭毛中に規則的に配置されダブレット微小管(注3)上を滑るように行き来することで鞭毛運動を駆動させる。ヒトの鞭毛ダイニンの異常は精子運動の異常を発生させ、男性不妊や細胞運動の異常による内蔵左右逆位の原因になる。
研究グループは今回、鞭毛ダイニンのMTBDは細胞内での物質の輸送に関わっている細胞質ダイニンMTBDには見られない柔軟に可動する突起構造(フラップ)を備えることを明らかにした。さらに驚くべき発見は鞭毛ダイニンMTBDの分子表面の電荷分布が細胞質ダイニンのそれとは大きく異なることであった。
これらの特徴や生化学的解析などにより鞭毛ダイニンの微小管との結合能力と結合機構が細胞質ダイニンと大きく異なることが示唆された。こうした特徴は鞭毛ダイニンが鞭毛中の限られた空間内で他のダイニン分子と協調的に機能する上で非常に重要であると示唆される。本成果は真核生物の鞭毛運動機構の全容解明のために重要な基盤的知見となる。
図1 鞭毛ダイニン微小管結合部位の構造とその構造変化では、フラップの構造が伸びた状態と折れ曲がった状態を示す。フラップは鞭毛ダイニンに特徴的な構造である。(拡大画像↗)
図2 鞭毛はさまざまな細胞から毛のように生えた細胞小器官であり細胞の遊泳に必要な推進力を生み出す。特に真核生物の鞭毛としてはクラミドモナスと呼ばれる単細胞生物や精子の鞭毛が代表的である。(拡大画像↗)
図3 ダイニンは 微小管と呼ばれるタンパク質で出来た管状の繊維の上を滑り運動するタンパク質である。そのうち微小管結合部位はダイニン本体 から細長い構造によって繋がれている。(拡大画像↗)
東京大学大学院農学生命科学研究科の加藤有介特任研究員、田之倉優教授、英国リーズ大学アスブリー構造分子生物学センターのStan Burgess(スタン•バージェス)リーダーらの研究グループは、真核生物の鞭毛が運動するために必要な分子(モーター分子)である鞭毛ダイニンの微小管との結合部位(MTBD)の立体構造を原子レベルで解明した。
ダイニンは微小管上をマイナス端方向へ移動する細胞骨格モーター(注4)であり、真核生物の鞭毛運動や細胞内の物質輸送などを駆動させる。鞭毛中では無数のダイニン分子が規則正しく配置されており、ダイニン分子によって鞭毛のしなやかな湾曲運動が生じる。クラミドモナス(注5)や精子はそうした鞭毛の運動によって水中を自由に運動することができる。鞭毛ダイニンに異常が生じると男性不妊や内蔵逆位等の原因となる。一方で細胞質に存在するダイニン(細胞質ダイニン)は微小管上の小胞輸送などの役割を担う。
ダイニンの分子構造では微小管結合部位とATP加水分解部位(注6)が別々の構造内に存在し、両者の間を細長いストーク構造(注7)がつないでいる。したがってこのストークを介した機能制御機構がダイニンの特筆すべき点である。その機構として提唱されている有力なモデルとしてはストークを形成する2本のα-ヘリックス(注8)同士が滑り合うことで情報が伝達されるというものである。また近年には細胞質ダイニンの微小管結合部位(MTBD)の原子レベルの構造も明らかになっていた。
そこで研究グループはこれまで明らかになっていない真核生物の鞭毛モーターの動作機構の解明を目指し、クラミドモナスの鞭毛内腕に存在するダイニンの一種であるdynein-cのMTBDの溶液中での原子レベルの立体構造を核磁気共鳴(NMR)技術(注9)により明らかにした。その結果、鞭毛ダイニンMTBDの基本構造は細胞質ダイニンMTBDと同様、8本のα-ヘリックスからなることが分かった。ただし、細胞質ダイニンには見られない特徴としてフラップと命名されたβ-シート(注10)からなる突起構造が見られた。また、フラップが柔軟に可動する構造であることも分子動力学計算(注11)などにより明らかにした。
ストークの2本のα-ヘリックスを強制的に平行移動させた状態のdynein-c MTBDを作製し、その微小管との結合能力を調べた。その結果、dynein-c MTBDではストークのα-ヘリックスの平行移動状態を変化させても細胞質ダイニンMTBDで見られたような微小管との結合能力の強弱の変化は見られず、微小管と弱い相互作用しか示さなかった。
dynein-cはなぜ細胞質ダイニンと同様の結合能力を示さないのであろうか。その答えを得るために近年報告された細胞質ダイニンMTBDと微小管の結合状態モデルの細胞質ダイニンMTBDにdynein-c MTBDを置き換えて当てはめた。その結果dynein-cのフラップが微小管表面と接触する可能性があることが判明した。次いで研究グループはdynein-c MTBDの分子表面の電荷分布を細胞質ダイニンのそれと比較した。細胞質ダイニンが微小管と結合する面に相当するα-ヘリックスH1とH3の表面は正電荷が集中していたが、dynein-c MTBDのH1とH3の表面にはそうした電荷の集中は見られなかった。以上のことから、細胞質ダイニンとdynein-cでは微小管との結合能力に差があるだけではなく、微小管との結合機構も異なる可能性が示唆された。
さらにdynein-cが微小管と強い結合を示さなかったことは予想外であった。dynein-cが強い結合を示さなかった理由として、鞭毛ダイニンが存在する環境が鞭毛中という閉鎖された空間であることが関係しているかもしれない。鞭毛ダイニンは鞭毛上に固定されており、ダイニンが移動するレールを提供するダブレット微小管と解離しても離ればなれになることはない。それは、ダブレット微小管もまた鞭毛中で固定されているからである。したがって単一のダイニン分子が微小管に強く結合する必要はない。一方で細胞質ダイニンの場合には単一のダイニン分子が微小管上の長い距離を独立に移動する必要がある。したがって微小管との相互作用が弱いと一度微小管から解離してしまった場合に元の位置に戻って来られなくなる。また鞭毛中では多種かつ多数のダイニン分子が協調することで鞭毛全体としてまとまった運動を生じる必要があるので、個々のダイニン分子と微小管との結合能力が強すぎるとかえって協調性に支障が出る可能性がある。
研究グループの取り組みにより鞭毛ダイニンの部分的な構造と微小管との結合の性質が明らかになった。これにより、その駆動機構に不明点が多い真核生物の鞭毛の運動機構の解明に一歩近づくことができた。また、この成果は鞭毛の巨大分子機構の仕組みを利用した人工機械の構築や男性不妊などの医学的問題の解明に貢献することが予想される。
東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 食品生物構造学研究室
教授 田之倉 優
特任准教授 加藤 有介
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