◆電気化学測定を行いながら電極表面の生体分子の動的挙動を同時に観察できる「電気化学高速原子間力顕微鏡」装置の開発に成功しました。
◆タンパク質分子をはじめとする生体分子が、電極表面でどのように振る舞っているのかをリアルタイムに観察することができるようになりました。
◆酸化還元酵素の分子レベルの動的な挙動を、バイオ燃料電池などのバイオエレクトロニクスの分野に活かすことができるようになります。
大学院農学生命科学研究科生物材料科学専攻の五十嵐圭日子(きよひこ)准教授らのグループは、東京農工大学大学院工学研究院生命機能科学部門の大野弘幸教授、中村暢文教授および金沢大学理工研究域数物科学系の内橋貴之准教授との共同研究により、電気化学測定を行いながら電極表面の生体分子の動的挙動を同時に観察できる電気化学高速原子間力顕微鏡(HS-AFM)注1を開発しました。本顕微鏡を用いて、電子伝達タンパク質であるシトクロムc注2が金電極に修飾した自己組織化単分子層(SAM)注3に吸着していく過程を世界で初めて観察しました。シトクロムcの吸着に伴って電気化学応答が観測され、電極が単分子層で覆われたところで吸着が終了し、それと同時に電気量も定常値に達することが分かりました。電気化学HS-AFMを用いることで電極基盤上での分子の電極応答に関する直接的な動態観察が可能となり、バイオエレクトニクス研究注4において非常に有用な解析ツールとして今後期待されます。また、この装置は、電気刺激に応答して比較的速く動くものを直接観ることができるため、生体分子に限らず、様々な分野で利用できます。
図1 (A)電気化学HS-AFMのヘッド部(拡大画像↗)、(B)セル構成の模式図(拡大画像↗)
図2 SAM修飾金電極にシトクロムcが吸着していく一連のHS-AFM画像(左上)と、左下は対応するシトクロムcの吸着過程の模式図。HS-AFM画像で白くなっているところが相対的に高く、シトクロムcが吸着している。右図は、同時に測定したサイクリックボルタモグラムで、-0.11 V付近にシトクロムcの酸化還元由来した電気化学応答が増加していく様子が観察される。(拡大画像↗)
バイオエレクトロニクスの分野において、タンパク質分子をはじめとする生体分子が電極界面でどのように存在し、振る舞っているのかという情報は極めて重要です。従来の解析手法では溶液中のタンパク質の動的挙動を原子間力顕微鏡(AFM)で観察することは困難でしたが、金沢大学の安藤敏夫教授と内橋貴之准教授らは、生体分子の画像をリアルタイムで撮影できるHS-AFMを開発しました。一方で、五十嵐准教授らのグループはこれまで長年にわたって東京農工大学の大野教授・中村教授らのグループと共同でタンパク質を電極上に固定したセンサーや電池の開発を行ってきました。このバイオエレクトロニクス研究において、電極上のタンパク質の吸着状態や向き、吸着量、電場をかけた際の生体分子の動的挙動を知ることは、より高性能なデバイスを作製するために非常に重要です。しかしながら、これまでこれらの情報を直接観察するためのツールがありませんでした。そこで、3グループ共同で、HS-AFMの構成を基本とし、電気化学測定装置を組み合わせた電気化学HS-AFM装置の開発に取り組みました。そこで本共同研究グループは、一分子の画像を撮影できるHS-AFMを改良し、電場をかけた状態の生体分子の動的挙動を直接観察するために、電気化学測定装置を組み合わせた電気化学HS-AFM装置の開発に取り組みました。
電気化学HS-AFMは、HS-AFMの構成を基本に試料ステージを作用電極とし、対極、参照極を設けた三電極系で構成し、電位を正確に制御できるようにしました(図1)。そこで、タンパク質の電子移動の研究で盛んに行われてきたシトクロムcを対象とし、修飾したSAM(自己組織化単分子層)(注4)をコーティングした金電極へのシトクロムc吸着挙動とその電気化学応答について検討しました。HS-AFM像から、シトクロムc分子が電極表面に吸着していく様子がリアルタイムで観察され、それと同調してシトクロムcの酸化還元に由来するピーク電流値の増加がみられました(図2)。470秒付近でHS-AFM像では、急激にシトクロムcが吸着して層となる様子が観察されました。500秒以後はHS-AFM像に大きな変化が見られなくなり、同時に電流値も定常となることから、電極表面にシトクロムcが単分子層を形成したことがわかりました。この一連のHS-AFM像から吸着量を解析した結果、シトクロムcの吸着過程において正の協同性(分子が一旦吸着すると次の分子はより吸着し易くなること)が働いていることが示唆されました。本現象は、電気化学HS-AFMを用いることで初めて見出されたものです。
本手法の開発によって電位をかけたときに電極上の生体高分子がどのように動くのかを直接観測でき、また、酸化還元反応が起こった後に誘起されるタンパク質ドメイン間の動きやタンパク質―タンパク質間の動きを観測できます。分子間の電子移動と構造変化に関する詳細な情報が得られ、分子間の電子やシグナルの伝達に関する研究の新しい展開が期待できます。これらの情報を集積することが、より高感度なバイオセンサーや、より高出力のバイオ燃料電池の開発といったバイオエレクトロニクス研究につながります。また、電位をかけた後で膨張や収縮するなど構造が変化する材料について、どのようにどのくらいのスピードで動くのかをリアルタイムに観測するのにも用いることが出来ます。新規材料の評価にも用いることができ、材料開発のための指針を与えられるものと期待されます。
本研究の一部は、科学技術振興機構 先端的低炭素化技術開発(ALCA)(研究代表者:五十嵐圭日子、研究分担者:中村暢文、内橋貴之)、日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(C)(研究代表者:中村暢文)の補助を受けたものです。
東京農工大学のホームページもご覧ください。
東京大学大学院農学生命科学研究科 生物材料科学専攻 森林化学研究室
准教授 五十嵐 圭日子(いがらし きよひこ)
Tel:03-5841-5258
Fax:03-5841-5273
E-mail:aquarius@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp