発表者
森脇 由隆(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻 特任研究員)
寺田 透(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻 准教授)
津本 浩平(東京大学大学院工学系研究科 バイオエンジニアリング専攻 教授)
清水 謙多郎(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻 教授)

発表のポイント

◆黄色ブドウ球菌の細胞壁上に発現しているタンパク質IsdH, IsdA, IsdC上で行われるヘムの高速輸送機構を分子動力学シミュレーションと量子化学計算を用いて推察した。

◆各Isdタンパク質がヘムと結合していて一対一の複合体を形成しているとき、別のIsdタンパク質がその複合体に対してさらにドッキング可能であり、ヘムに対して擬2回対称な構造を取りうることを示した。

◆2つのタンパク質が1分子のヘムに対し対称的にドッキングすることで、一方のIsdタンパク質から他方への効率の良い新規なヘム輸送機構を提唱した。

発表概要

東京大学大学院農学生命科学研究科の森脇由隆 特任研究員は、同専攻の寺田透 准教授、清水謙多郎 教授、同大学のバイオエンジニアリング専攻の津本浩平 教授とともに、黄色ブドウ球菌の細胞壁上に発現しているIsdタンパク質間で行われるヘム(注1)獲得の分子機構を、分子動力学(MD)シミュレーション(注2)によるタンパク質のダイナミクス解析と分子力学・量子力学の複合手法(QM/MM法)(注3)を用いた構造最適化によって推察しました。これまで得られていたIsdH・ヘム複合体の結晶構造とIsdAの結晶構造を用いたMDシミュレーション・QM/MM法によって、擬2回対称なIsd・ヘム・Isdの三者複合体を形成しうることを示しました。この準安定な輸送中間複合体モデルを用いることで、一方のIsdタンパク質から他方のIsdタンパク質へとヘムが高速に輸送される現象をうまく説明でき、さらに20〜80 nmほどの厚さを持つ細胞壁内をヘムがIsdH→IsdA→IsdCによって中継されて細胞膜内へと輸送される現象を、物理化学的に考察しました。この輸送中間体のモデルは黄色ブドウ球菌の細胞外からのヘム獲得を阻害する薬剤の開発に貢献することが期待されます。

発表内容

図1 細胞壁上に存在するIsd system。細胞壁にアンカリングされたIsdH, IsdA, IsdCが細胞膜内へとヘムをリレー輸送します。IsdHは細胞壁の最外部、IsdCは最内部、IsdAはその中間に位置するよう、酵素sortase Aとsortase Bによって位置を調整されています。(拡大画像↗)

図2 IsdH-N3, IsdA, IsdCの結晶構造。それぞれのタンパク質に結合しているヘム分子は紫色で示しています。(拡大画像↗)

図3 (A) MDシミュレーション中で観測されたIsdH-N3/ヘム/IsdA複合体と、IsdA/ヘム/IsdC複合体の形成過程。左側は初期配置を、右側に複合体形成後のスナップ写真を、それぞれ示しています。(B) QM/MMによって構造最適化した後の、ヘムの鉄原子周辺の詳細構造。ヘム分子を紫色で、中心の緑球は鉄原子を表しています。(拡大画像↗)

黄色ブドウ球菌は健康なヒトにおいても20〜30%の割合で皮膚上や鼻腔内に存在しています。免疫の働く健康な状態では通常この菌が悪影響を及ぼすことは少ないのですが、免疫力の低下した状態では増殖し、日和見感染を引き起こすことがあります。黄色ブドウ球菌は、細菌の生育に必須である鉄イオンの獲得が不可能とされているヒト血管内においても鉄分を獲得し増殖することで重度の感染症を引き起こすことがあり、また地球上のあらゆる抗生物質に対し迅速に耐性を獲得する厄介な特性を持っていることから、院内感染の脅威とされています。

近年、黄色ブドウ球菌が血管内においてヘモグロビンからヘムを奪い、細胞膜内へと輸送するタンパク質群Isd systemが同定され、この働きによって血管内における生存が可能となっていることが判明しました。このIsd systemは黄色ブドウ球菌の最外部である細胞壁から細胞膜にかけて存在する9つのタンパク質群から成り(図1)、中でも厚さ20~80 nmと言われる細胞壁を構成するペプチドグリカン層に係留された3つのタンパク質IsdH, IsdA, IsdCが細胞膜内へのヘムの効率的な輸送に重要な役割を果たしていることがその後の調査で判明しました。IsdHはNEAr Transporter(NEAT)と呼ばれる機能ドメインを3つ有しています。IsdH-NEAT1(N1), IsdH-N2はヘモグロビンからのヘムの解離を促進し、IsdH-N3はヘムと強く結合し内部への輸送を開始します。IsdA, IsdCはIsdH-N3に続くそれぞれ第2, 第3の輸送担体タンパク質であり、細胞膜付近に存在する第4の担体IsdEまで非常に速やかに、一方向にヘムを輸送することが知られていました。

IsdH-N3, IsdA, IsdCはそれぞれ互いに構造的に極めて類似しており、ヘムと1:1比で結合する一方で(図2)、Isdタンパク質間のヘム輸送速度はヘムの自然解離速度よりも7万倍速いことが測定されていたことから、2分子のIsdタンパク質と1分子のヘムで何らかの複合中間体を形成することが示唆されていました。しかし、その構造を実験的に捉えることは極めて困難であり、NMRを用いた以前の手法でも明確に解明することはできませんでした。

そこで本研究では、分子動力学シミュレーションを用いた中間体構造の推察を行いました。1,000 ns間の全原子シミュレーションの結果、図3Aに示すようなヘムを中心とした擬2回対称構造をとる中間複合体がそれぞれ得られ、この時間内では複合体が維持されたことを示しました。さらに、この複合体についてQM/MMを用いた構造最適化により、各タンパク質から1つずつのチロシン残基がヘムの平面を挟むように同時にヘム鉄に配位結合できることを示しました(図3B)。

この複合体モデルは、Isdタンパク質間におけるヘムの細胞膜内への輸送を合理的に説明できます。発表者は以前の論文で、Isdタンパク質とヘムとの相互作用のうち、チロシン-鉄間の配位結合を除いた結合親和性が、IsdH-N3 < IsdA < IsdCの順になっていることを理論的・実験的に示していました。本研究で示した構造対称的な複合体モデルでは、輸送が行われる上で必須となるドナー側Isdタンパク質におけるチロシン-鉄間配位結合の解離を促進し、同時にアクセプター側Isdタンパク質と新たに配位結合を形成します。ここで、チロシンとヘムの配位結合形式は本来1:1となる5配位型が最安定であり、複合体中で見られる6配位形式から移行しようとします。このとき、その構造対称性のために、より結合親和性の強いIsdタンパク質へと優先的に(平衡論的に)ヘムは分配されます。結果として、ヘムは短時間で優先的に親和性の強い細胞膜側に位置するIsdタンパク質へと輸送されることになります。

以上の結果は黄色ブドウ球菌におけるヘム獲得機構の原子レベルでの理解に貢献し、同時に黄色ブドウ球菌封じ込めに向けたヘム獲得阻害剤の開発に貢献するものであると考えられます。また近年、炭疽菌や他のグラム陽性菌においても同様の構造を持つタンパク質ホモログが相次いで発見されていることから、今回の知見はこれらの菌体におけるヘム獲得機構の解明や薬剤開発にも貢献できると考えています。

発表雑誌

雑誌名
「PLOS ONE」
論文タイトル
Rapid heme transfer reactions between NEAr transporter domains of Staphylococcus aureus: a theoretical study using QM/MM and MD simulations
著者
Moriwaki, Y., Terada, T., Tsumoto, K., Shimizu, K.
DOI番号
10.1371/journal.pone.0145125
論文URL
http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0145125
上記論文の
補助動画
https://www.youtube.com/watch?v=UlOG1tGVKDQ

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻 生物情報工学研究室
教授 清水 謙多郎
Tel:03-5841-5455
Fax:03-5841-8002
研究室URL:http://www.bi.a.u-tokyo.ac.jp

用語解説

注1 ヘム
ポルフィリンと鉄原子からなる錯体です。ヒト血中の1分子のヘモグロビンには4分子のヘムが含まれ、空気中の酸素分子と結合・解離を行うことで全身に酸素を供給するための重要な補因子です。
注2 分子動力学シミュレーション
原子または分子の物理的な動きを計算機上でシミュレーションする研究手法です。タンパク質のシミュレーションの場合には、各構成原子を剛体球、原子間結合を仮想的なバネとみなし、古典力学の運動方程式と様々な計算上の統計力学的な手法を用いて、ナノ秒〜マイクロ秒スケールの動きを解析する手法です。
注3 QM/MM法
上記の古典力学に基づく分子動力学シミュレーションでは、原子に備わる波の性質や原子間の結合の解離・生成を表現することは原理的に不可能です。そこで、この問題を克服する手法の一つとしてタンパク質の一部を量子力学的に取り扱うQM/MM法があります。本研究では鉄原子周辺の配位結合を表現するためにこの手法を用いました。