◆ブタの心内膜炎病変部では、2つの表現型の豚レンサ球菌が共存していたことを明らかにしました。
◆ブタの体内もしくは養豚場の環境中で、菌の表現型の分岐が起きていたことを見出しました。
◆豚レンサ球菌性心内膜炎の発症メカニズム解明や養豚場の衛生対策を考える上で、重要なデータとなりました。
豚レンサ球菌はヒトやブタに髄膜炎や敗血症、心内膜炎(注1)を起こす病原菌です。本研究では、ブタの心内膜炎病変部の約半数には有莢膜菌(ゆうきょうまくきん)と無莢膜菌(むきょうまくきん)という2つの表現型の豚レンサ球菌が共存していることを明らかにしました。また、分離した菌同士の近縁性を解析したところ、菌は豚の体内で有莢膜から無莢膜化しており、菌を分離した養豚場ごとに異なるグループの菌が存在していました。さらに、分離した有莢膜菌と無莢膜菌のゲノム情報を比較解析したところ、豚レンサ球菌の無莢膜化に関わるメカニズムが明らかになりました。本研究成果は、養豚場に侵入した豚レンサ球菌が養豚場内で感染を繰り返していることを示していました。今後は、養豚場ごとに異なるグループの菌が潜む場所に焦点を絞った研究を続けることで、養豚場の衛生環境を向上するための効果的なポイントが見つかることが期待されます。
図1 ブタの心内膜炎病変部から分離した豚レンサ球菌の有莢膜菌と無莢膜菌の近縁関係
白丸は有莢膜菌、黒丸が無莢膜菌を表しており、丸の中に書かれた数字は豚の個体番号を示しています。また菌株は養豚場ごとに色分けをされた四角枠で囲まれています。この図から、菌は養豚場ごとに大きく分岐し、最終的にはブタ個体ごとの有莢膜菌と無莢膜菌に分かれていくことが明らかとなりました。(拡大画像↗)
図2 本研究成果から予測される豚レンサ球菌感染の概要
養豚場に侵入した有莢膜菌は、その環境中もしくはブタの体内でcps領域に非同義変異が入ることで無莢膜菌となります。その後、2つの表現型による感染、もしくは感染後にブタの体内で有莢膜菌が無莢膜菌への変異を起こし、2つの表現型の豚レンサ球菌による心内膜炎が起こると予想されます。(拡大画像↗)
ブタが食肉処理場に出荷された後、日本では1頭ずつ臓器検査が行われます。この検査時に心内膜炎が見つかることがあります。ブタの心内膜炎の原因の第1位は豚レンサ球菌です。豚レンサ球菌はブタやヒトにも感染し、髄膜炎や敗血症、心内膜炎を起こす病原菌です。豚レンサ球菌の病原因子は様々なものが候補として挙げられていますが、どの因子が真の病原因子であるかは分かっていません。しかし、莢膜と呼ばれる細菌の外側を覆う膜は、有力な病原因子と考えられています。細菌が感染すると、体の中では菌に対抗するために様々な防御反応が起こります。好中球やマクロファージによる殺菌作用は、その初期の重要な反応です。莢膜を持つ有莢膜菌は、この殺菌作用を回避することが知られています。一方、莢膜を持たない無莢膜菌は、宿主の殺菌作用を受けることから、病気の発症には無関係であると考えられていました。
今回、ブタの心内膜炎病変部から分離した豚レンサ球菌を詳細に解析したところ、病原性が認められている有莢膜菌だけでなく、これまで病気の発症と無関係と考えられていた無莢膜菌も分離できました。今回調べた59検体の病変部のうち、44%の26検体では有莢膜菌と無莢膜菌が同時に分離され、二つの表現型の菌が病変部に共存していることが明らかになりました。また、2検体の病変部からは無莢膜菌のみが分離されており、これまで病原性が無いと考えられていた無莢膜菌が病気の発症に関わる新たな可能性を示唆するものとなりました。
次いで、26検体の心内膜炎病変部で共存していた有莢膜菌と無莢膜菌をそれぞれ1菌株ずつ選び出し、26ペア52菌株の豚レンサ球菌のゲノム情報を詳細に解析しました(図1)。まず、52菌株の遺伝的な近縁性を解析したところ、同じ養豚場から出荷されたブタの病変部から分離した菌株同士は遺伝的に近縁関係で、養豚場ごとに異なるグループを形成することが明らかになりました。この成績は、過去に養豚場に侵入した菌が、その養豚場の中で独自に表現型を変えて病気を発症させている可能性を示唆しています。さらに細かく近縁性を見てみると、同じ病変部から分離した有莢膜菌と無莢膜菌が最も近縁であることが明らかになりました。すなわち、豚レンサ球菌は感染後、それぞれのブタの中で表現型を変えている可能性が高いことが示されました。
さらに、無莢膜菌が生み出された原因に迫るために、同じ病変部から分離した26ペアの有莢膜菌と無莢膜菌のゲノム配列をそれぞれ比較しました。その結果、有莢膜菌と比べ無莢膜菌には、翻訳されるアミノ酸を変えてしまう非同義変異が認められる共通の遺伝子領域がありました。その領域は莢膜合成のための酵素をコードする領域(cps領域)であり、莢膜産生に必要です。そして非同義変異があったいくつかの無莢膜菌の遺伝子配列を有莢膜菌の配列に変更し、莢膜の産生が復帰することも確認しました。また、cps領域以外には、無莢膜菌が共通して持つ非同義変異はないことからも、cps領域に非同義変異が入ることが直接の原因で無莢膜菌が有莢膜菌から生み出されることが明らかとなりました。
以上のように豚レンサ球菌の無莢膜菌は、つい最近までは発症に無関係であると考えられていました。しかし、心内膜炎病変部から無莢膜菌のみが分離された検体もあったことから、無莢膜菌も発症に関与しうることが示唆されました。さらに、無莢膜菌の多くは有莢膜菌と共存しており、この表現型の分岐は養豚場内もしくはブタの体内で起こっていることが明らかとなりました(図2)。これらの成績は、豚レンサ球菌感染症の成立機序を理解する上で重要であり、豚レンサ球菌が生体内で病変部を形成する上での重要な戦略の一端を明らかにしました。さらに養豚場に侵入した特定グループの細菌が豚に感染を繰り返すことを示唆する成績は、養豚場の衛生管理の上でも重要な知見となりました。
東京大学大学院農学生命科学研究科 附属食の安全研究センター
教授 関崎 勉
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