栄養環境に合わせた植物成長の最適化の仕組みの解明
柳澤 修一(東京大学生物生産工学研究センター 教授)
図1 植物が行う栄養環境に合わせた栄養吸収の最適化のモデル図 (拡大画像↗)
栄養環境は作物の生産性を決定する重要な環境要因です。近代農業では、植物が多量に必要とする栄養素である窒素化合物(硝酸アンモニウムなど)とリン酸化合物(リン酸カルシウムなど)を施肥することによって高い作物生産を達成しています。一方で、施肥された肥料の全てが作物に吸収されるわけではなく、吸収されなかった養分は環境に流出して河川や海洋の汚染の大きな原因となっています。このため、高い作物生産性と環境保全の両立のために作物の栄養吸収・利用能力を向上させることが重要となってきています。自然環境における主要な窒素源は土壌中の硝酸態窒素(硝酸イオン)ですが、硝酸イオンは植物体内で窒素栄養の吸収と利用を制御するシグナル伝達物質として働いて、形態変化や遺伝子発現の調節を介して栄養の吸収能力の調整を行っていることがわかっていました。東京大学生物生産工学研究センターの柳澤教授らは、これまでに、硝酸イオンを植物に与えた時に起こる応答の鍵因子としてNLPタンパク質を同定し、NLPタンパク質が遺伝子の発現量を調整する転写因子(注1)として様々な窒素栄養の吸収と利用に関わる遺伝子の発現を制御していること(Nature Communications, 4: 1617, 2013)や、硝酸イオンの供給に合わせてNLPタンパク質がリン酸化されて活性化することで窒素栄養吸収・利用機構が起動すること(Nature, 545: 311-316, 2017)を解明していました。しかしながら、変動する栄養環境に合わせて栄養吸収と利用を調節する仕組みは分かっていませんでした。
今回、モデル植物であるシロイヌナズナの様々な変異体や遺伝子組換え体における遺伝子発現パターンの解析や硝酸イオン吸収の測定によって、NLPタンパク質は硝酸輸送体遺伝子の発現を直接促進する転写因子であり、また、今回、新たに同定されたNIGT1タンパク質が硝酸輸送体遺伝子の発現を抑制する転写因子であることを明らかにしました。さらに、NLPタンパク質は硝酸輸送体遺伝子の発現と同時にNIGT1遺伝子の発現を促進する転写因子であり、NIGT1は硝酸輸送体遺伝子の発現と同時に自分自身の発現を抑制する転写因子であることを明らかにしました。植物が拮抗する制御を上手く活用して、硝酸イオン量の変動に合わせて硝酸輸送体の発現量を変化させることで硝酸イオンの獲得を調整していることを明らかにし、植物が持つ栄養環境の変化に適合するための巧妙な分子メカニズムを明らかにしました(図1)。加えて、リン栄養不足に対して起こる応答を担う転写因子であるPHR1がNIGT1遺伝子の発現を促進すること(図1)を示して、リン飢餓によって硝酸イオンの取り込みが抑制される分子メカニズムを明らかにしました。さらに、NLPタンパク質とNIGT1タンパク質のバランスが植物ホルモンの一つであるサイトカイニンの合成量も調節しており、これによって栄養獲得に合わせて成長を達成していることも示唆しました。これらの発見によって、植物が栄養環境の変動に合わせて成長を調節している因子と仕組みが明らかになりました。これらの発見は、土地ごとに異なる栄養環境に合わせた作物栽培方法の開発やそれぞれの土壌環境に最適な品種の作出の契機となることが期待されます。