発表者

杉浦 正幸(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命工学専攻 大学院学生;当時)
中原   萌(東京大学農学部生命化学・工学専修 学部学生)
山田 千早(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命工学専攻 助教)
荒川 孝俊(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命工学専攻 助教)
北岡 本光(農研機構食品研究部門食品分析研究領域 領域長)
伏信 進矢(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命工学専攻 教授)

発表のポイント

◆ バイオマス燃焼の指標物質などとして知られる「レボグルコサン」を特異的に酸化する酵素の遺伝子を土壌細菌から同定してその機能と構造を明らかにしました。
◆細菌によるレボグルコサンの代謝の機構は20年以上前にその存在が示されて以来ほとんど分かっていませんでした。
◆バイオマス由来の化合物の微生物による生物変換法の開発や、環境汚染の程度を知る指標物質の簡便な測定法開発などへの応用が期待されます。

発表概要

 レボグルコサン(LG:注1)は森林火災由来のPM2.5に含まれており、環境汚染の指標物質としてよく知られていますが、バイオマスの工業的処理の副産物としても作られるため、安価で豊富な材料から有用な化成品を得るための原料として近年注目されています。細菌が持つ代謝酵素はLGの有効利用に役立つと考えられ、24年前にその存在が示されていたものの、その詳細については長い間不明のままでした。杉浦正幸大学院学生、中原萌学部学生と東京大学大学院農学生命科学研究科の伏信進矢教授らのグループは、農研機構の北岡本光領域長と共同研究を行い、LGを酸化する酵素であるレボグルコサン脱水素酵素(LGDH)の遺伝子を同定し、その詳細な機能と立体構造を明らかにしました。LGDHは補酵素NAD+(注2)を用いてLGを酸化して3-keto LGという化合物を作ることを証明し、X線結晶構造解析によりその立体構造と詳細な反応機構を明らかにすることに成功しました。本研究で明らかになったLGDHの鋭敏な反応性はLGの簡便な検出法に用いることができます。また、本研究は微生物によるLGの生物変換への応用にも役立つと期待されます。

発表内容

 

図1 LGDHが触媒する反応
 LGを酸化する反応(正反応)ではNAD+によりLGの3位の水酸基を酸化して3-keto LGを生成し、逆反応では3-keto LGをNADHにより還元してLGを生成する。 (拡大画像↗)

図2 LGDHの立体構造
 左:LGDHのタンパク質を青〜緑〜橙〜赤の色のリボン図で表した。結合したNADHおよびLGを黄色と紫色のスティックで表した。
 右:活性部位に結合したLGとNAD+。NAD+の反応中心となる原子からLGの3位の水酸基に結合した炭素原子への反応を模式的に矢印で示した。 (拡大画像↗)

レボグルコサン(LG)はグルコースの脱水物質(アンヒドロ糖の1種;注1)であり、バイオマスの主成分であるセルロースや澱粉などの、グルコースがつながってできた多糖の熱分解によって発生します。森林火災や農産物処理、食品の熱化学的処理などにより発生したLGはPM2.5等の大気エアロゾル粒子(注3)、土壌、氷河や積雪、人尿、食品加工産物、都市排水などに見られ、一説には地球上で年間1000万トン以上のLGおよびそれに類似したアンヒドロ糖がバイオマスから作られていると言われています。LGは近年、環境汚染の指標物質や、生物変換による有用物質生産の原料として注目されています。
 筑波大学の安井恒男教授(当時)らはこの化合物の微生物による有効利用を目指して研究を行い、1994年にLGを代謝する細菌からこれを酸化する酵素「レボグルコサン脱水素酵素」(LGDH)を発見しました。しかし、その後約20年以上、LGDHの遺伝子およびその詳細な機能・構造については全く不明のままでした。また、LGDHはLGを補酵素NAD+により酸化することが分かっていましたが(図1)、LGに3つ存在する水酸基のどれを酸化するかが分かっていませんでした。東京大学大学院農学生命科学研究科の杉浦正幸大学院学生、中原萌学部学生、伏信進矢教授らのグループはLGDHの遺伝子を土壌微生物Pseudarthrobacter phenanthrenivoransより同定して、LGDHの酵素的な性質と立体構造を明らかにしました。研究グループは大腸菌により生産した組換え精製LGDHを用いて測定を行い、この酵素がLGのみを効率よく酸化して類似の糖はほとんど反応しないという、特異性の高い酵素であることを示しました。また、農研機構の北岡本光領域長が合成した化合物3-keto LGを用いてLGDHの逆反応を測定しました。3-keto LGは補酵素NADH(注2)により非常に高い活性で還元されることから、LGDHの反応は3位の水酸基で起こっていることを明らかにしました。また、X線結晶構造解析法(注4)を用いてLGDHに結合したNADHとLGの立体構造を観察することにより(図2)、LGの3位の水酸基が結合している炭素原子が、補酵素の酸化反応の中心となる原子に近接していることを明らかにしました。以上の結果から、LGDHはLGの3位の水酸基を酸化する反応を触媒していることが証明され、その詳細な機構も明らかになりました。
 本研究によりLGが細菌により代謝される機構の一端が明らかになったことから、豊富なバイオマス材料から有用な物質への微生物による生物変換などの応用が期待されます。またLGDHの鋭敏な反応性を利用して、LGを簡便に検出するシステムを開発することにより、環境問題の解決に貢献できる可能性も考えられます。

発表雑誌

雑誌名
:「The Journal of Biological Chemistry」(掲載日:2018年9月17日)
論文タイトル
:Identification, functional characterization, and crystal structure determination of bacterial levoglucosan dehydrogenase
著者
:Masayuki Sugiura, Moe Nakahara, Chihaya Yamada, Takatoshi Arakawa, Motomitsu Kitaoka, and Shinya Fushinobu
DOI番号
:10.1074/jbc.RA118.004963
論文URL
http://www.jbc.org/content/early/2018/09/17/jbc.RA118.004963

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命工学専攻 酵素学研究室
教授 伏信 進矢(ふしのぶ しんや)
Tel:03-5841-5151
Fax:03-5841-5151
研究室URL:http://enzyme13.bt.a.u-tokyo.ac.jp/

用語解説

注1 レボグルコサンとアンヒドロ糖
糖が脱水してできる化合物をアンヒドロ糖と総称するが、レボグルコサンはβ-グルコースの1位と6位が脱水して環状になったアンヒドロ糖である。
注2 補酵素NAD+とNADH
補酵素とは、酵素反応を助ける低分子の総称であり、ニコチンアミドアデニンジヌクレオチドと呼ばれる補酵素の酸化型がNAD+、還元型がNADHの略称で表記される。NAD+およびNADHは主に脱水素酵素の酸化還元反応の補酵素としてはたらき、生物のおもな代謝の多くにおいて必須な触媒反応を助けている。
注3 大気エアロゾル粒子
大気中に浮遊しエアロゾルを構成する微粒子であり、粒子径が概ね2.5μm以下の微小粒子状物質がPM2.5と呼ばれている。
注4 X線結晶構造解析
酵素などのタンパク質の立体構造を明らかにするための最も一般的な解析方法の一つ。目的物質の結晶にX線を照射し、回折データを測定することにより、微細な三次元構造を知ることができる。本研究では、茨城県つくば市の高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所(IMSS)の放射光科学研究施設フォトンファクトリー(PF)と兵庫県佐用郡佐用町の大型放射光施設SPring-8を用いてX線測定実験を行った。