東京大学農学生命科学研究科プレスリリース

2008/8/8

「蛾の密やかなラブソング:鱗粉による発音のメカニズムと交尾行動における機能の解明」

発表者:中野 亮(東京大学大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻 日本学術振興会特別研究員PD)
高梨琢磨(独立行政法人森林総合研究所 森林昆虫研究領域 主任研究員)
田付貞洋(東京大学大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻 教授)
石川幸男(東京大学大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻 准教授)

発表概要

東京大学大学院農学生命科学研究科は、森林総合研究所、南デンマーク大学、電気通信大学、 NHK 放送技術研究所と共同で、蛾のオスがきわめて微弱な超音波を用いてラブソングを歌うことを発見しました。この歌は、オスが翅と胸部にある特殊な鱗粉をこすり合わすことで生じ、メスが交尾を受け入れる際に重要な役割を果たしています。微弱な超音波の利用はメスをめぐる競争相手や天敵による盗聴を避けるのに有効と考えられ、今後同様の現象が多くの昆虫や動物で発見されるものと期待されます。

発表内容

多くの蛾は超音波(人間には聴こえない周波 数 20 k Hz 以上の高い音)を聞くことのできる「耳」を持っていますが、これは天敵であるコウモリが餌探索に使う超音波を「逆探知」するために進化したと考えられています。昆虫を含む動物の中には、雌雄の間で音による交信(コミュニケーション)をするものが少なくありませんが、蛾の中には上記の能力を生かして、雌雄間での交信に超音波を利用している種もいます。ただし、音は求愛する相手だけでなく天敵や競争相手にも自身の存在を知らせる危険性を持つため、相手だけにそっと伝えるうまいやり方をとることが重要です。

私たちは、アワノメイガという蛾(トウモロコシの害虫)では、メスが出す性フェロモンに誘われてやって来たオスが、メスの近くで超音波を発することをすでに見出していました (Nakano et al. 2006 Naturwissenschaften) 。この際に発せられる超音波の特筆すべき特徴はその音の微弱さです。本研究では、この微弱な超音波がどのように発生し、また、どのような役割をもっているのかを調べてみることにしました。

まず、超高速度カメラを用いた発音行動の詳細な解析から、超音波の発信とオスの翅の動きが完全に同調していることが確認できました。また、オスにだけ翅と胸部の特定部位(翅を立てたときにちょうど擦れ合うところ)に特殊な形態の鱗粉が存在し、これらを除去すると音が出なくなることがわかりました。さらに、レーザードップラー振動計による解析によって、翅の特殊鱗粉の下にある膜が超音波を増幅する機能を持つことも明らかになりました。つまり、アワノメイガのオスは、特殊な鱗粉をこすり合わせて超音波を発生させ、さらにそれを鱗粉の下の膜で増幅しているのです(図)。鱗粉を用いての超音波発信はこれまで全く知られていませんでした。

つぎに、私たちはオスの超音波の役割を調べました。はじめに腹部を走る聴覚神経の反応を調べたところ、メスがオスの超音波を聞き取れるのは約 3 cm 以内の範囲に限られることがわかりました(図)。つまり、オスがメスのすぐそばで発音しなければ相手には聞こえないということです。つぎに、オスの超音波がメスにどのような影響を及ぼすのかを調べました。通常、メスに接近したオスが交尾を促すと、メスは高い率でこれを受け入れます。ところが、超音波を発することができないように処理をしたオスに対してメスはしばしば拒否反応を示しました。このとき、同時にオスの発する超音波を再現した合成音を聞かせてやると、メスは正常なオスに対するのと同じように交尾を受け入れました。これらの結果から、アワノメイガはきわめて微弱な超音波を介して雌雄間で至近距離での交信していることがわかったのです。

私たちは、ごく普通の蛾が競争相手や天敵に気づかれないような微弱な超音波を使ってラブソングを歌うことを初めて明らかにしました。アワノメイガ以外の数種の蛾も調べてみましたが、いずれについてもアワノメイガとはパターンの異なる微弱な超音波による交信を確認できました。このような戦略は蛾類が競争相手や天敵を避けるために広く採用している可能性があります。本研究を発端として、今後数多くの昆虫や動物で、接近したペアの間だけにしか聞こえないような「秘密の交信」が明らかにされていくことを期待しています。

添付資料

アワノメイガのオスは交尾の前に、垂直に立てた翅を細かく振動させ(図左上)、超音波域のラブソング(図右下)を発生させます。オスは翅と胸部にある特殊な鱗粉を摩擦させて超音波を出しますが、発音に特殊化した鱗粉はオスだけにみられ、その表面構造はメスのものと明らかに違っています(図右上)。超音波の歌はとても微弱ですが、オスのすぐそばにいるメスだけはこれを聞くことができます(図左下)。



 本図は、 http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/applent/ultrasound.htm にてダウンロード可
 動画が見られます。 Movie  ( PNAS.wmv 4.7M )

発表雑誌

雑誌名 Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (米国科学アカデミー紀要)
  Moths produce extremely quiet ultrasonic courtship songs by rubbing specialized scales
  (蛾は特殊な鱗粉を擦り合わせることにより、超音波域のひそやかなラブソングを歌う)

中野 亮(東京大学 大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻 日本学術振興会特別研究員 PD )
  Niels Skals(南デンマーク大学 生物学部 博士研究員)
  高梨琢磨(独立行政法人森林総合研究所 森林昆虫研究領域 主任研究員)
  Annemarie Surlykke(南デンマーク大学 生物学部 准教授)
  小池卓二(電気通信大学 電気通信学部 准教授)
  吉田圭祐(電気通信大学大学院電気通信学研究科 平成20年3月修士課程修了)
  丸山裕孝(日本放送協会放送技術研究所 材料・デバイス主任研究員)
  田付貞洋(東京大学大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻 教授)
  石川幸男(東京大学大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻 准教授)

※本論文は 米国科学アカデミー紀要 のプレスリリースに選ばれました 。

注意事項

・アメリカ東部夏時間8月11日午後5時(日本時間8月12日午前6時)以前の報道は禁止されています。
  ・オンライン公表予定日 8月11日〜15日
   URL: www.pnas.org/cgi/doi/10.1073/pnas.0804056105(公表後)

問い合わせ先

高梨琢磨  
   独立行政法人森林総合研究所 森林昆虫研究領域 主任研究員
   Tel: 029-829-8254 / Fax: 029-829-1543 / E-mail: takanasi@affrc.go.jp

  中野 亮
   東京大学大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻 応用昆虫学研究室 日本学術振興会特別研究員 PD
   Tel: 03-5841-5061/ Fax: 03-5841-5061/ E-mail: anakano@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

用語解説

なし

 

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