東京大学農学生命科学研究科プレスリリース

2009/8/13

 アコヤガイの真珠層形成の鍵物質である酸性基質タンパク質(Pif)の同定

発表者: 鈴木道生(東京大学・大学院農学生命科学研究科・特任研究員)
猿渡和子(東京大学・大学院理学系研究科・特任研究員)
小暮敏博(東京大学・大学院理学系研究科・准教授)
山本裕也(東京大学・大学院工学系研究科・博士課程2年)
西村達也(東京大学・大学院工学系研究科・助教)
加藤隆史(東京大学・大学院工学系研究科・教授)
長澤寛道(東京大学・大学院農学生命科学研究科・教授)

発表概要

軟体動物の貝殻は炭酸カルシウムと有機基質から成る硬組織である。われわれは、真珠層の形成機構を明らかにするために、アコヤガイの真珠層からあられ石結晶に特異的に結合する新規な酸性タンパク質(Pif)を同定した。免疫電子顕微鏡観察、RNA干渉を用いたノックダウン実験およびin vitroの炭酸カルシウム結晶化実験の結果から、Pifが真珠層形成を制御していることを示した。

発表内容

真珠は古代エジプト王朝の時代から生物が作る宝石として珍重されてきた(添付資料、図1)。真珠は貝殻の真珠層と構造的にまったく同じ構造をしている。炭酸カルシウムには3つの結晶多形が存在し、熱力学的に安定な順に方解石(カルサイト)、あられ石(アラゴナイト)、ファーテライトである。アコヤガイの貝殻は2層から成り、外側の稜柱層は最安定な方解石で、内側の真珠層は準安定なあられ石で出来ている。真珠層は有機物の枠組みの中でほぼ同じ結晶方位を有するあられ石の単結晶から出来ており、全体として規則的な層状構造を持っている。このような特徴ある真珠層の構造をどのようにして作るのかは不明のままであった。

1960年渡部らが真珠層抽出物中にあられ石誘導物質が存在するという報告をして以来、多くの研究者がこの物質を同定しようと試みてきたが、誰も成功していなかった。われわれは、あられ石に特異的に結合するタンパク質が存在することを初めて見い出し、見かけの分子質量が約80 kDaであったことから、このタンパク質をPif-80と命名した。Pif-80の部分アミノ酸配列を基に、このタンパク質のcDNAをクローニングしたところ、Pif-80の上流にもうひとつのタンパク質Pif-97をコードしていることがわかった(添付資料、図2)。Pif80は460アミノ酸残基から、Pif97は525 アミノ酸残基から成る。Pif-97は他のタンパク質と相互作用すると考えられるVWAドメイン、およびキチン結合ドメインを有していたが、Pif-80は明確なドメイン構造はもたず、豊富な酸性及び塩基性アミノ酸から成り、1箇所酸性アミノ酸の連続配列が認められた。

Pif-80に対する抗体を作製し、これを用いてPif-80が貝殻の中のどこに存在するのかを免疫電顕によって調べた。その結果、Pif-80は真珠層に一様に存在することがわかった。また、真珠層形成の開始部位と考えられる真珠層と稜柱層の間の有機物の層にも存在することがわかった。なお、稜柱層には存在しなかった。このことから、Pifが真珠層の重要な成分であり、真珠層形成の開始及び成長に関わっていることが示唆された。

次に、RNA干渉によってPifの機能を調べた。Pifの塩基配列に基づて設計された2本鎖RNAを筋肉に注射し、1週間後に外套膜におけるPifのmRNA量の定量および真珠層の表面と断面を走査型電子顕微鏡で観察した。断面の観察においては注射時に1日間だけストロンチウムを与えて取り込ませ、真珠層の成長の度合いを観察するための助けとした。対照区においては、真珠層の表面は正常な板状の結晶の成長が観察され、断面の観察においてはストロンチウムが取り込まれた層から1週間の間に10層程度成長していることがわかった。それに対して、30 μgの2本鎖RNA注射区において真珠層の表面構造は著しく乱れており、断面の観察では真珠層がほとんど成長していないことが観察された(添付資料、図3)。この際、2本鎖RNAの注射量に応じてPifのmRNA量が減少していることが確かめられた。このことから、Pifが真珠層の形成に重要な有機基質であることが示唆された。

さらに、in vitroの結晶化実験によってPifの機能を調べた。真珠層内においては有機物の膜構造の主体はキチンで出来ていることから、in vitro結晶化実験においてはその状態を模倣するため、カバーグラスにキチンをコーティングしたものの上にPifを結合させ、その上で炭酸カルシウムの結晶化を行った。まず、脱灰した真珠層の不溶性画分を界面活性剤を含む溶液で抽出し、ゲルろ過によって4つの画分に分離した。このうちの2番目の画分にPif80およびPif97が含まれていることがわかった。それぞれの画分を結晶化実験に供したところ、Pifを含む画分においてのみあられ石およびファーテライトの結晶が観察された。この結晶のうちあられ石の結晶のひとつの断面を透過型電子顕微鏡で観察したところ、結晶はカバーグラスとキチン膜の間に形成されており、その結晶のc軸はガラス面に対して垂直の方位をもつことがわかった。この状態は真珠層のあられ石の結晶状態によく類似していた。なお、Pifは界面活性剤が存在しない条件では高分子の複合体を形成していることが電気泳動の結果から示された。以上のことから、Pifがin vitroであられ石形成を誘導したと考えられる。

以上の実験結果から、真珠層形成のモデルを提案した(添付資料、図4)。まず、外套膜細胞でPif80およびPif97がつくられ、細胞外の外套膜外液に分泌され、他のタンパク質も取り込んで複合体を形成する。Pif97のキチン結合部位でキチン繊維に結合し、膜状のキチン−タンパク質シートを形成する。Pif80が炭酸カルシウムを濃縮し、ここであられ石形成が開始される。この繰り返しによって真珠層が形成される。

添付資料

別紙資料(PDF)

発表雑誌

Science
“An Acidic Matrix Protein, Pif, is a Key Macromolecule for Nacre Formation”

問い合わせ先

長澤寛道
東京大学・大学院農学生命科学研究科・応用生命化学専攻・生物有機化学研究室
〒113-8657 東京都文京区弥生1-1-1
Tel:03-5841-5132
Fax:03-5841-8022
E-mail: anagahi@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
生物有機化学研究室ホームページ
URL:http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/seiyu/
学術創成研究「有機・無機相互作用解析によるバイオミネラリゼーションの制御機構の解明」ホームページ
URL:http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/gakujutsubiom/index.html

用語解説

アコヤガイ・・養殖真珠生産の母貝として使われる貝で、貝殻の内側は真珠光沢をもつ。

結晶多形・・炭酸カルシウムにおいてはカルシウムイオンと炭酸イオンからなる結晶であるが、それらの空間的な配置の違いによって3つの結晶系(方解石、あられ石、ファーテライト)が存在する。生物は組織ごとに結晶系を選択している。例えば、アコヤガイの貝殻は外側の稜柱層は方解石結晶で、内側の真珠層はあられ石結晶で形成されている。

結晶のc軸・・結晶は構成する原子が3つの軸(a軸、b軸、c軸)で構成される空間に規則正しく配置されている。そのひとつの軸をいう。

キチン・・多糖の一種。N-アセチルグルコサミンのポリマーから成る。生理的条件下で不溶性の繊維を形成する。

免疫電顕・・化合物の存在をその抗体を利用して電子顕微鏡を用いて観察する技術。

 

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