東京大学農学生命科学研究科プレスリリース

2007/11/16

「鉄の吸収と利用を制御するマスタースィッチの発見」

発表者:西澤 直子(農学国際専攻教授)、小林 高範(学術研究支援員)、小郷 裕子(大学院生)

発表概要

 植物は必須元素である鉄を土壌から効率的に吸収する。この吸収機構を発動させるためのマスタースィッチとして働く転写因子を発見した。植物の鉄欠乏応答のメカニズム解明と、鉄欠乏耐性の高い植物の作出への応用が期待される。

発表内容

東京大学大学院農学生命科学研究科では、植物の土壌からの効率的な鉄吸収機構を発動させるためのマスタースィッチとして働く転写因子を発見しました。植物体内で鉄が不足すると、この転写因子が働いてスィッチをオンにし、鉄吸収機構に関わる遺伝子群を発現させ、鉄を効率的に吸収、利用できるように調節します。この転写因子による遺伝子スィッチ調節の発見は、これまで全く解明されていなかった植物の鉄欠乏応答メカニズムを理解する上で非常に大きな一歩となります。
世界には、農耕地としては生産性の極めて低い不良土壌が全陸地の67%も存在し、その約半分はアルカリ土壌です。このアルカリ不良土壌においても画期的に高い植物生産性を上げることができれば、食糧の増産ばかりでなく、緑化による二酸化炭素の減少、すなわち地球温暖化防止や、砂漠化の防止などの環境問題への貢献、バイオマス増産などによるエネルギー問題の解決にも貢献することが期待されます。
石灰質アルカリ土壌では、植物の生育に必須の栄養素である鉄が、水に溶け難い水酸化第二鉄の形態となっているために、植物は鉄を吸収できません。その結果、鉄欠乏症(人間でいえば貧血症)となり枯れてしまいます。この土壌中の難溶性の鉄を吸収して利用するために、植物は大きく分けて2つの鉄吸収機構を進化的に発達させてきました。イネ、ムギ、トウモロコシ、サトウキビなど主要な作物が属するイネ科の植物は、キレート物質であるムギネ酸類を根から分泌して、土壌中の不溶態の三価鉄を水に溶けやすいキレート化合物である「三価鉄・ムギネ酸類」として、そのままの形で吸収するキレート戦略をとっています。一方、イネ科以外の植物は、根の表面の三価鉄還元酵素によって、三価鉄を水に溶けやすい二価鉄に還元して、二価鉄イオンの形で吸収する還元戦略をとっています。
これらの鉄吸収機構を効率的に働かせるために、植物は「シス配列」、「転写因子」とよばれる遺伝子スィッチを使って巧妙に調節を行っています。鉄分が不足するとスィッチをオンにして鉄吸収機構に関わる遺伝子を発現させ、鉄を効率的に吸収できるように調節するのです。近年まで、この遺伝子スィッチの実体は全く解明されていませんでした。
そこで私達は、まずこのスィッチの構成要素として、鉄欠乏誘導性遺伝子上に存在するシス配列を2003年に明らかにしました。これをIDE1, IDE2と命名しました。さらに今回、長い道のりを経て、もう一方の構成要素である「転写因子」を発見しました。これをIDEF1と命名しました。IDEF1はIDE1に結合して遺伝子の発現をオンに切り替える転写因子と考えられます。また、IDEF1によりスィッチがオンになる遺伝子の中には、私達が既に発見した鉄欠乏応答性転写因子遺伝子(IRO2)が含まれており、このIRO2転写因子によって次のスィッチがオンになることにより、多段階での調節が行われていることを明らかにしました。
これらの転写因子による遺伝子スィッチ調節の発見は、これまで全く解明されていなかった植物の鉄欠乏応答メカニズムを理解する上で非常に大きな一歩となります。
私達はさらに、IDEF1の発現を強化したイネを作出しました。このイネは、生育初期の鉄欠乏に耐性であり、石灰質アルカリ土壌で発芽させると通常のイネよりも良好な生育を示しました。
私達はこれまでにオオムギにおけるムギネ酸類の全生合成経路と酵素遺伝子を解明し、これらの遺伝子をイネに導入することにより、キレート戦略を強化した石灰質アルカリ土壌耐性のイネを作出することに既に成功しています。さらに「アルカリ条件でも高い三価鉄還元酵素活性を示す酵素」の遺伝子を作出してイネに導入することにより、還元戦略で強化された石灰質アルカリ土壌耐性イネを創製することにも成功しています。これらのキレート戦略、還元戦略の強化と、遺伝子発現スィッチの改良を組み合わせることにより、イネのアルカリ土壌耐性をさらに飛躍的に高めることが可能であると考えています。
また、この成果は将来鉄分が豊富な高い栄養価の食品(穀物や野菜)を作ることにも大きく貢献できると考えています。
  なお、本研究は科学技術振興事業団の戦略的創造研究推進事業(CREST)「植物の鉄栄養制御」、文部科学省特定領域研究「植物の養分吸収と循環系」の支援により行われたものです。

発表雑誌

米国科学アカデミー紀要(電子版)
  Proceedings of the National Academy of Sciences, USA (PNAS)

注意事項

 解禁日は11月12日の午後5時(アメリカ東部標準時間)、日本時間では11月13日午前6時となります。

問い合わせ先

西澤 直子、農学生命科学研究科農学国際専攻新機能植物開発学研究室
  Tel/Fax; 03-5841-7514, e-mail; annaoko@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

用語解説

遺伝子発現(発現):遺伝子の情報が細胞における構造および機能に変換される過程のこと。一般的にはDNAの遺伝子情報がRNAに転写され、さらにタンパク質に翻訳される過程が含まれる。

シス配列(シスエレメント):遺伝子の転写を調節する同一DNA上の配列領域。

転写因子:DNAに特異的に結合するタンパク質の一群。DNA上のシス配列に結合し、DNAの遺伝情報をRNAに転写する過程を促進、あるいは逆に抑制する。


添付資料

通常のイネ(左側ポット)は、石灰質アルカリ土壌で発芽、栽培すると、鉄欠乏のために葉が黄色化する鉄欠乏クロロシスの症状を示し、生育が抑えられる。これに対して、転写因子遺伝子IDEF1の発現を強化したイネ(右側2つのポット)は、石灰質アルカリ土壌にも耐性を示し良好に発芽、生育した

 

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