東京大学農学生命科学研究科プレスリリース

2008/5/2

「鉄の体内移行を調節する新規転写因子の発見」

発表者:西澤 直子(農学生命科学研究科・教授)、小郷 裕子(同・特任研究員)、
小林 高範(同・特任助教)、板井 玲子(同・特任研究員)

発表概要

 植物は必須栄養素の鉄を土壌から吸収し、必要とされる部位に運び込む。この鉄の吸収・移行機構を発動させるためのスイッチとして働く新たな転写因子を発見した。これにより、植物における鉄欠乏応答メカニズムの全容解明へ大きく前進した。

発表内容

 東京大学大学院農学生命科学研究科では、植物の効率的な鉄の吸収・体内利用機構を発動させるためのスイッチとして働く新規転写因子を発見しました。植物体内で鉄が不足すると、この転写因子が働いてスイッチをオンにし、鉄の吸収・体内利用機構に関わる遺伝子群を発現させることによって、鉄を効率的に吸収・利用できるように調節します。これまでに、私達は鉄の吸収・体内利用機構を発動させるための転写因子を複数発見してきました。本研究で新たに同定された転写因子は、これまでに発見された転写因子によってはスイッチがオンにならない遺伝子の発現も調節しており、植物の鉄欠乏応答メカニズムを理解する上で非常に大きな一歩となります。
 世界人口の増加に加えて、バイオエタノールの増産に伴う穀物の「食糧から燃料への転換」が、さらに穀物需給の逼迫を加速し、食糧価格の暴騰が世界を脅かしています。世界には、農耕地としては生産性の極めて低い不良土壌が全陸地の67%も存在し、その約半分はアルカリ土壌です。このアルカリ不良土壌においても画期的に高い植物生産性を上げることができれば、食糧の増産ばかりでなく、緑化による二酸化炭素の減少、すなわち地球温暖化防止や、砂漠化の防止などの環境問題への貢献、バイオマス増産などによるエネルギー問題の解決にも貢献することが期待されます。石灰質アルカリ土壌では、植物に必須の栄養素である鉄が水に溶けにくい水酸化第二鉄の形態となっているために、植物は生育に必要な量の鉄が吸収できずに鉄欠乏症となり枯れてしまいます。石灰質アルカリ土壌でも高い生産性を上げることのできる作物を創出するためには、植物の鉄利用の機構の解明が鍵となります。さらに、鉄はヒトにとっても必須の栄養素です。WHO (世界保健機関) の報告によると、世界で最も多いヒトの栄養障害は鉄欠乏で、世界人口の半分、約30億人以上が鉄欠乏性貧血に悩まされています。植物の鉄栄養に関する研究は、鉄含量を高めた作物によりヒトの栄養状態を改善することにも貢献できます。
 土壌中の難溶性の鉄を吸収するために、イネ、ムギ、トウモロコシ、サトウキビなど主要な作物が属するイネ科の植物は、三価鉄のキレート物質であるムギネ酸類を根から分泌して、不溶態鉄を水に溶けやすいキレート化合物として吸収します。ムギネ酸類やその前駆体であるニコチアナミンは、植物体内での鉄の移行にも関与し、植物が効率的に鉄を利用するために重要な役割を果たしています。このような鉄の吸収・体内利用機構を効率的に働かせるために、植物は「シス配列」と「転写因子」とよばれる遺伝子スイッチを使って巧妙に調節を行っています。鉄分が不足するとスイッチをオンにして鉄の吸収・体内利用機構に関わる遺伝子を発現させ、鉄を効率的に吸収・利用できるように調節するのです。近年まで、この遺伝子スイッチの実体は全く解明されていませんでした。
 そこで私達は、まずこのスイッチの構成要素として、鉄欠乏で誘導される遺伝子群の塩基配列の上流に共通に存在する2つの「シス配列」を2003年に明らかにしました。これを IDE1、IDE2 と命名しました。2007年には、もう一方の構成要素である「転写因子」の一つを発見し、IDEF1 と名づけました。IDEF1 はIDE1 に結合して遺伝子の発現をオンに切り替えます。そして今回は、もう一つの「シス配列」である IDE2 に結合する「転写因子」IDEF2 の同定に成功しました。IDEF2 によりスイッチがオンになる遺伝子の中には、IDEF1 などによりスイッチがオンにならない遺伝子も多く含まれており、IDEF1 などとは独立した新たな経路でスイッチを調節していることがわかりました。特に、鉄の体内輸送に関わる重要な「鉄・ニコチアナミン」のトランスポーターである OsYSL2 の調節を行っていました。また、以前に発見した鉄欠乏誘導性転写因子である IRO2 による発現の調節とも関連があることが示唆されました。 IDEF2 の機能を抑制したイネは植物体内の鉄の分配に異常をきたしました。これらのことから、IDEF2 は OsYSL2 などの発現を制御することによって、植物体内の鉄の移行に深く関わっていると考えられます。この成果は鉄分の豊富な栄養価の高い穀物を作るためにも大きく貢献すると考えています。
  なお、本研究は科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(CREST)「植物の鉄栄養制御」、文部科学省特定領域研究「植物の養分吸収と循環系」の支援により行われたものです。

発表雑誌

 The Journal of Biological Chemistry, Vol. 283, No.19, 13407-13417,
May 9, 2008. (米国生化学会誌、5月9日号 283巻19号)
Yuko Ogo, Takanori Kobayashi, Reiko Nakanishi Itai et al;
A Novel NAC Transcription Factor IDEF2 That Recognizes the Iron Deficiency-responsible Element 2 Regulates the Genes Involved in Iron Homeostasis in Plants.

問い合わせ先

 西澤 直子、農学生命科学研究科農学国際専攻新機能植物開発学研究室
  Tel/Fax; 03-5841-7514, e-mail; annaoko@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

用語解説

遺伝子発現(または発現):遺伝子の情報が細胞における構造および機能に変換される過程のこと。一般的にはDNAの遺伝子情報がRNAに転写され、さらにタンパク質に翻訳される過程が含まれる。

シス配列(またはシスエレメント):遺伝子の転写を調節する同一DNA上の配列領域。

転写因子:DNAに特異的に結合するタンパク質の一群。DNA上のシス配列に結合し、DNAの遺伝情報をRNAに転写する過程を促進、あるいは逆に抑制する。

添付資料

図1 IDEF1 とIDEF2 を介した鉄欠乏応答遺伝子発現制御のネットワーク

図1
  IDEF1 とIDEF2を介した転写制御カスケードのモデルです。
 恒常的に発現しているIDEF1が鉄欠乏シグナルを受け取って、CATGC配列を含むIDE1配列に結合することにより、鉄欠乏応答性遺伝子の発現を誘導します。この遺伝子の中には、2価鉄トランスポーター遺伝子OsIRT1と、鉄欠乏誘導性転写因子OsIRO2が含まれます。OsIRO2は、直接多くの鉄欠乏応答性遺伝子発現を制御し、その中にはニコチアナミン合成酵素遺伝子も含まれます。また、これらOsIRO2によって直接制御される遺伝子の中には、NAC 転写因子とAP2転写因子が含まれます。NAC 転写因子とAP2転写因子はさらに未知のシス配列を介して、多くの鉄欠乏応答性遺伝子を制御します。
  本研究により同定されたIDEF2は、IDEF1と同様に恒常的に発現しており、鉄欠乏シグナルを受け取ってIDE2配列に結合し、IDEF1 やOsIRO2 などによりスイッチがオンにならない鉄欠乏誘導性遺伝子群を制御します。特に鉄の体内輸送に関わる重要な「鉄・ニコチアナミン」のトランスポーターである OsYSL2 の発現を制御しています。

 

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