発表者
石川 覚   ((独)農業環境技術研究所 土壌環境研究領域 主任研究員)
井倉 将人 ((独)農業環境技術研究所 土壌環境研究領域 特別研究員)
安部 匡   ((独)農業環境技術研究所 土壌環境研究領域 特別研究員)
倉俣 正人 ((独)農業環境技術研究所 土壌環境研究領域 特別研究員)
荒尾 知人 (農林水産技術会議 研究調整官、
(独)農業環境技術研究所 土壌環境研究領域 上席研究員;当時)
長谷 純宏 ((独)日本原子力研究開発機構 量子ビーム応用研究部門 イオンビーム変異誘発研究グループ 研究副主幹)
石丸 泰寛 (東北大学大学院理学研究科化学専攻 助教、
東京大学大学院農学生命科学研究科農学国際専攻 特任研究員;当時)
西澤 直子 (石川県立大学生物資源工学研究所 教授、
東京大学大学院農学生命科学研究科農学国際専攻 特任教授)
中西 啓仁 (東京大学大学院農学生命科学研究科農学国際専攻 特任准教授)

発表概要

東京大学と独立行政法人農業環境技術研究所は、石川県立大学、独立行政法人日本原子力研究開発機構と共同で、日本の基幹イネ品種であるコシヒカリにイオンビーム(注1)を照射することにより、コメにカドミウムをほとんど蓄積しない低カドミウムコシヒカリを開発しました。
http://www.niaes.affrc.go.jp/techdoc/press/120307/press120307.html

発表内容

イタイイタイ病の原因として知られるカドミウムは人体への毒性が高い有害物質です。食品などを通じて一定の量を超えるカドミウムを長年にわたり摂取し続けると、人体に有害な影響を引き起こす可能性があります。特に日本人がコメから摂取するカドミウムの量は食品全体から摂取する量の約半分を占めます。コメに含まれるカドミウムについては食品衛生法に基づく基準値が設定されており、2011年2月には、同基準値が「1.0 mg/kg未満(玄米)」から「0.4 mg/kg以下(玄米・精米)」に改正されました。国内においては、農地土壌中のカドミウム濃度が高い地域があり、これら地域の圃場では、コメ中のカドミウム濃度低減対策が実施されています。

私達は、作物のカドミウム量低減のために2つのアプローチから研究を進めてきました。ひとつはカドミウム汚染土壌で栽培してもカドミウムを吸収しない「低カドミウム作物」の開発です。もうひとつは、以前に発表した植物の力でカドミウム汚染土壌を浄化するための「カドミウム高吸収イネ」の開発です(http://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/2012/20120227-2.html)。今回の発表は、カドミウム汚染土壌で栽培してもカドミウムを吸収しない「低カドミウムイネの開発」についてです。

低カドミウム品種のイネを開発すれば、従来の稲作栽培を変更せずに広範囲の地域に適用できます。そこで、イオンビーム育種に着目し、日本でもっとも普及しているコシヒカリ品種を素材とする、良食味の低カドミウム米の作出を試みました。

(独)日本原子力研究開発機構高崎量子応用研究所のイオン照射研究施設(TIARA)において、AVFサイクロトロンで加速した炭素イオンをコシヒカリ種子に照射しました。照射後の種子(M1)を栽培して得られた突然変異体(注2)の第2世代の種子(M2)(約3,000粒)をカドミウム濃度が高い土壌で栽培し、個体ごとに玄米カドミウム濃度を測定後、その中からカドミウム濃度が極めて低い個体を見いだし、「lcd-kmt1 (low cadmium-koshihikari mutant 1)」と名付けました。

lcd-kmt1とコシヒカリを、土壌中のカドミウム濃度が高い3箇所の圃場(土壌中のカドミウム濃度: 0.35~1.4 mg/kg)において、間断灌漑もしくは出穂期前後に落水するといったカドミウムが吸収されやすい条件で栽培し、玄米と稲わらのカドミウム濃度を測定しました。コシヒカリの玄米中のカドミウム濃度は、どの圃場でも基準値を大幅に超過しましたが、lcd-kmt1では最大でも 0.03 mg/kgであり、極めて低い値でした(図1)。lcd-kmt1の稲わらでの濃度も同様に著しく低いことがわかりました。

なお、生育や草姿(草丈や稈長など)はコシヒカリと全く違いがなく、玄米の外観品質も同等でした。10アール当たりの玄米収量(精玄米重)はコシヒカリと同等であり、米粒食味計(サタケ、RCTA)による食味値(点)はどちらも「良(80点以上)」と判定されました。また、lcd-kmt1においては、イネのカドミウムの集積を決める鍵となるトランスポーターの遺伝子に変異が挿入されており、このトランスポーター機能が完全に消失していることを明らかにしました。この塩基情報を基に、lcd-kmt1とコシヒカリを識別できるDNAマーカーを開発しました。このDNAマーカーを利用することで、新たな低カドミウムイネを短期間で開発できます。

図1 高カドミウム土壌で栽培した時の玄米中のカドミウム(Cd)濃度
LOQ:定量限界値(0.01 mg/kg)未満
基準値:食品衛生法で定められた米のカドミウム濃度基準
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低カドミウムコシヒカリのlcd-kmt1は、通常コシヒカリと同一の栽培条件で導入できます。また、各地域のブランド品種と交配して、新たな低カドミウムイネの開発が可能です。稲わらのカドミウム濃度も低いため、飼料用の低カドミウムイネ品種の開発も期待できます。

なお、ここで用いられた研究手法と成果は、東日本大震災に伴う東電福島第一原発事故による放射性降下物の土壌汚染と食品汚染の問題解決に向けても重要な示唆を与えるものです。放射性セシウムもカドミウムと同様に植物の生育には必要のないものですが、必須栄養素のトランスポーターによって吸収されると考えられますので同じアプローチでの研究が可能です。

本研究は、生物系特定産業技術研究支援センター「新技術・新分野創出のための基礎研究推進事業」「食の安全を目指した作物のカドミウム低減の分子機構解明」(2007-2011)の支援を受けて行ったものです。

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科 農学国際専攻 新機能植物開発学研究室
特任准教授 中西 啓仁
Tel: 03-5841-7514
Fax: 03-5841-7514
E-mail: ahnaka@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

(独)農業環境技術研究所 広報情報室
広報グループリーダー 小野寺 達也
Tel: 029-838-8191
Fax: 029-838-8299
E-mail: kouhou@niaes.affrc.go.jp

用語解説

注1 イオンビーム
水素イオンや炭素イオンなどをサイクロトロンやシンクロトロンなどの加速器を使って高速に加速したものです。植物の種子や培養組織に照射することにより、DNAに作用して人為的に遺伝子の変異を起こすことができます。イオンビームを用いた育種は花などの品種改良に従来から広く利用されている技術であり、本技術により得られる突然変異体は遺伝子組換え植物ではありません。
注2 突然変異体
遺伝子に変異が生じ、表現型が変化した個体を言います。自然界の放射線や遺伝子複製エラー等の自然要因で起こる自然突然変異だけでなく、人為的な操作(イオンビーム照射、ガンマ線照射、薬剤処理等)によっても作ることができます。例えば、水稲のミルキークイーンはコシヒカリを薬剤(メチルニトロソウレア)処理して半糯性を持たせた突然変異体です。
注3 DNAマーカー
品種や系統、個体間ではDNAの塩基配列に違い(多型)があります。その配列の違いは個体を識別する際の目印(マーカー)となるため、それをDNAマーカーと呼びます。