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東大農学部の歴史 東大農学部の歴史

農学部の復興と整備 - 東京大学農学部

和20年の終戦に伴う食糧危機、物資不足など、戦後社会の混乱と激動の中で、昭和24年には新制の東京大学が発足した。農学部も新生農学部として編成された。戦後、日本農業が急速な変貌を遂げる中で、農学の教育・研究のあり方が検討され、昭和39年には大幅な学科編成が行われるとともに、学問の専門化に対応すべく、カリキュラムの改正も行われた。大学院の整備も行われ、農学系研究科が設置された。昭和43年に起こった大学紛争によって、大学のあり方が学内外から問われるようになり、さまざまな改革の努力がなされた。

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月日 できごと メモ
昭和20年(1945年) 9月25日 戦後初めての卒業証書授与式 農学部の卒業生は118名であった。
10月 台湾、樺太および朝鮮における演習林を終戦により廃止  
11月 農学部学生大会で学生の手による協同組合設立を決議  
12月 翌年2月まで経済生活破綻のため休講 11月の評議会で付議された。深刻な食糧難、住宅難により、研究、勉学の余裕がない状況であった。
昭和21年(1946年) 2月22日 職員、学生有志により、東京帝国大学農学部協同組合発足 農学部では、農業と食糧に親近性のある条件を生かし、全学的構想の実現を見る前に独自の組合結成に動き出し、先輩や研究室からの募金により資金を確保。二十数名の協力者を得て設立総会が開かれた。初期は、書籍の購買、反故紙とのリンクによるノートの配給などが主であった。東京大学の生活協同組合は、当初、学部単位で発足していったが、農学部が最初であった。
3月 農学部協同組合、農学部3号館地階に構内外食券食堂を開設 外食券食堂は、外部業者への委託の形で行われた。その材料は、2月25日設立された学生食堂連合会の配給の5万食分の米と味噌、醤油、魚等の一部を受配する形によって可能となった。「東大生協二十五年運動史」によれば、食堂の利用者は初日は210名に過ぎなかったが、開業10日間で急速な伸びを示し、最高は866名に達し、まもなく食事時には、地階に食堂のある3号館を1周するほどの行列ができるようになった。また、当時の東京大学新聞によれば、当時の基準から見ても非常に「豪華な」メニューが提供されたという(「東大生協創設期資料集」より)。この農学部協同組合の食堂が母体となって、全学レベルで組合が運営する食堂が開設されることになる。
3月16日 近藤康男教授復職 思想的理由で追放された教員の復職がかない、逆に、民主的教育の担当者としてふさわしくないとして農学部では1名が不適格とされた。
4月 農学科畜産学専修および獣医学科を廃止し、畜産学科(甲類、乙類)を設置 戦時下において、獣医学科はもっぱら馬に関する研究・教育を担当し、畜産学科はそれ以外の家畜を担当するという事実上の分担関係になっていた。ところが、地方においては獣医が同時に畜産行政に参画しており、馬とその他の家畜を分けることは非常に不都合が多かった。また、学術的にも両者は関係が深かったことから、1つの学科に統合した。
初の女子学生の入学 大学全体で108名の志願者、うち合格者は19名で、農学部は1名であった。
12月28日 農学部職員組合結成 組合設立初期には、2.1ゼネスト(昭和22年)、大学理事会法案反対(昭和23年)などと並行して、無給の副手の有給化闘争などが大きな動きであった。とくに翌年に実現した無給副手(授業を補佐する目的で設置された無給の助手)の有給助手化すなわち定員化は関係者の待遇改善のみならず、その後の学部学科の定員数確保研究の発展に甚大な寄与をした。
昭和22年(1947年) 9月 東京帝国大学を東京大学と改称(帝国大学令等を改正)。10月1日より東京大学農学部となる この時点で、51講座。農学科 10講座(農学第一、第二、第三, 植物病理学,動物学・昆虫学・養蚕学第二、第三, 園芸学第一、第二, 農林物理学・気象学)、農芸化学科 10講座(農芸化学・化学第一、第二、第三、第四、第五, 地質学・土壌学, 農産製造学, 生物化学, 醗酵生産学, 畜産製造学)、林学科 11講座(林学第一、第二、第三、第四, 森林利用学, 森林化学, パルプ学・木材化学, 木材材料学第一、第二, 植物学, 動物学・昆虫学・養蚕学第一)、畜産学科 8講座(畜産学第一、第二, 家畜解剖学, 家畜生理学, 家畜内科学・家畜外科学第一、第二、第三, 家畜衛生学・家畜薬物学)、水産学科 6講座(水産学第一、第二、第三、第四, 水産海洋学, 水産化学)、農業経済学科 3講座(農政学・経済学第一、第二、第三)、農業土木科 4講座(農業工学第一、第二、第三, 農業機械学)。
昭和23年(1948年) 4月1日 農業土木学科を農業工学科と改称  
昭和24年(1949年) 2月 農学部三者懇談会の第一回懇談会開催 教官、職員、学生の三者が意思疎通を図って開く懇談会が成立した。議長は学部長で、委員は三者5名ずつを基本とした。委員の7名以上の要求があった場合に開催し、各代表3名以上の出席があったとき成立。大学の再建から生活に関する問題まで広く議論し、三者の意見が一致した事項は直ちに実施する、また教授会の承認を要する事項はさらに教授会にかけて再討議することとしていた。
2月22日 東京大学消費生活協同組合設立、農学部協同組合は解散してその農学部支部となる 両協同組合はしばらく併存する形をとり、実質的な合併は徐々に行われた。合併当時は食堂部、プリント部、物品部、書籍部があった。書籍の販売は、農学部専門書が中心で、文芸書、ベストセラー新本書の貸出しも行っていた。
4月1日 牧場が農林省より東京大学に移管され、農学部附属牧場となる 牧場実習など、獣医学の現場における教育科目は、当初からカリキュラムに組み込まれていたが、実習の場を保有していなかったため、農林省その他の協力を得て、適宜全国各地の関係施設で実施されてきた。昭和10年以降は、宮内省下総御料牧場において、牧場実習が行われてきたが、実習科目の増加と内容の多様化に対応するため、農林省から主畜農場の移管が行われた。
附属牧場開場式(昭和26年11月23日)
附属牧場開場式(昭和26年11月23日)
5月31日 新制の東京大学創設(教養、文、教育、法、経、理、医、工、農、の9学部)。農学部に附属農場、附属演習林および附属水産実験所を設置  
昭和25年(1950年) 1月31日 畜産学科より分離して獣医学科を増設 昭和24年、25年ごろ、牛の流行性感冒が蔓延して各地で多数の牛が死亡するという出来事があった。これに対して占領軍が強い関心を抱き、農学部にも担当者が視察にやってきた。このとき、獣医の教育をやっている畜産学科の学科主任が獣医ではなかったことを気にとめ、「獣医の資格を与えるためには主任は獣医でなければならない」と示唆された。これによって、戦後すぐに畜産学科に統合された獣医学科を再び分離せざるを得なくなった。
昭和26年(1951年) 1月 農学部規則制定 旧制の規則との最大の相違点は単位制の導入である。「授業科目の単位数はすべて半年間15週を標準として毎週時間数講義1時間1単位、演習2時間1単位、実験又は実習3時間1単位とする」と、単位の定義を明確にし、また、これと関連して、履修科目届出制をとっている。試験の成績は、「優・良・可・不可の4級に分け、不可を不合格とした。また、教養学部の設置に伴い、在学年数は2年が基本となった。なお、上記の単位の定義については、昭和52年に削除された。これは、海外留学中の習得科目の単位認定に対応するためと、昭和31年に制定された大学設置基準にその定義が規定されており、農学部もそれに準拠している以上、不要となったためである。
3月 戦時中に農学部田無農場内につくられた熱帯農業員養成所の寄宿舎が農学部から厚生部に移管 戦時中に農学部田無農場内につくられた熱帯農業員養成所の寄宿舎が、昭和20年12月に農場学生寄宿舎として農学部に移管されたが、3月に農学部から厚生部に移管され、4月には田無学寮として開寮した。
昭和27年(1952年) 3月31日 醗酵実験室(醗酵工場)新築 醗酵工場
醗酵工場 
家畜病院(内科)新築 家畜病院施設は空襲によって完全に焼失したが、その後、3号館内の研究室の一部で細々と外科の外来診療を行っていた。昭和24年6月に3号館地下西南隅の一室に小動物診療室を開設し、内科関係の診療を行うようになった。このころから、東京の戦災復興と歩調を合わせるように外来病畜の数も次第に増え始めた。昭和27年には、家畜病院施設の一部として、コンクリートブロック造平屋333平方メートルの内科診療施設が再建された。
昭和28年(1953年) 3月 東京大学大学院(新制)設置 修士2年、博士3年の現行の制度が定まった。大学院に学部とは独立した学術研究機関性をもたせるべきであるとの立場から、人文科学・社会科学・数物系・化学系・生物系の5研究科が設置された。農学部の各学科は、事実上、それぞれが1つの専門課程に対応し、いずれかの研究科に属することとなった。発足時の所属関係は次のようであった。農業経済学専門課程→社会科学研究科、農業工学専門課程→数物系研究科、農芸化学専門課程→化学系研究科、農学・畜産学・獣医学・林業学・林産学・水産学各専門課程→生物系研究科。学位は、農学修士・農学博士が授与された。
4月1日 東京大学大学院発足  
7月28日 牧場および家畜病院官制化  
東京大学応用微生物研究所を東京大学の附置研究所として設置 微生物利用工業の推進を図ることを目的とし、その一般的・基礎的部門を担当して、応用微生物学の研究を行い、かつ広く有用菌株の蒐集保存および配布を行う必要が認められ設置された。建物は、弥生キャンパス内に、昭和29, 30, 32, 34年度の4期に分けて建設された。平成5年4月、分子細胞生物学研究所に改組された。
昭和29年(1954年) 3月31日 農畜産加工室(農芸化学科東別館)新築  
9月 園芸実験所開設 造園用および観賞用植物の収集、栽培、繁殖、利用に関する技術の教育と研究を目的として、学生部所管の検見川に開設され、昭和40年、正式に農学部の附属施設となった。現在の緑地植物実験所である。昭和29年5月には、花卉園芸研究所という名前で創立案が作られていた。当時、学生部の所管で学寮があった場所に建設された。
昭和30年(1955年) 6月 放射性同位元素施設開設 放射性同位元素関係の研究・教育を目的とし、学部内共同利用施設として設置された。
7月16日 原子力研究所の敷地が田無町の農学部附属農場の一角に決定  
昭和31年(1956年) 1月1日 二宮農場が二宮果樹園と改称  
2月 附属図書館長に農学部図書館の整備を申し入れ 農学部の図書館は、駒場より移転していたが、正規に開館することなく、昭和20年、戦災により焼失し、戦後はしばらく図書館がない状態が続いた。当時は、農芸化学科と農業経済学科に図書室が置かれており、その他の学科でも、学科事務室に図書室が併設されていたところが多く、図書・雑誌は、学科、講座に分散管理されていた。
4月1日 林学科(林業学専修)が林学科と改称、林学科(林産学専修)が林産学科として新設  
昭和32年(1957年) 3月15日 バイオトロン研究室(温室付)新築 環境と生物の相互作用を研究するための実験施設としてバイオトロンが設置された。
バイオトロン
バイオトロン
4月23日 東京大学学位規則を制定(農学修士、農学博士) 学位の種類として、修士は、文学、教育学、法学、国際学、経済学、社会学、理学、工学、農学、薬学の10種類、博士は、文学、教育学、法学、経済学、社会学、理学、工学、農学、薬学、医学の10種類を定めた。
昭和33年
(1958年)
12月24日
〜27日
全国農学部学生ゼミナール大会が農学部で開催された。教授ら26名講師として出席  
    昭和33年3月31日現在の建物配置図
昭和33年3月31日現在の建物配置図
昭和35年ごろの農学部全景
昭和35年ごろの農学部全景
昭和35年ごろの農学部2号館
昭和35年ごろの農学部2号館
1号館と2号館の間の池も見える。
昭和35年ごろの農学部1号館(右), 2号館(左 ), 3号館(奥)
昭和35年ごろの農学部1号館(右), 2号館(左 ), 3号館(奥)
昭和35年ごろの実験圃場
昭和35年ごろの実験圃場
昭和36年(1961年) 2月28日 1号館増築  
昭和38年(1963年) 2月7日 農学部教授会、国大協の大学運営協議会規定案に対する意見書を発表  
3月28日 植物栽培室(RI)新築  
4月 田無苗圃を田無試験地と改称  
文科系大学院の改組に伴い、農業経済学科は経済学研究科に所属 文科系研究科では、理科系研究科に先立ち大学院の改組が行われたため、昭和38年〜39年は、農業経済学科は経済学研究科に所属したが、40年から農学系研究科に移った。
昭和39年(1964年) 1月 言問通りの拡幅工事に伴い、本郷キャンパスとの間の陸橋が整備され、東京大学が取得  
4月1日 農学科を農業生物学科と改称 昭和39年4月には、学科編成の改正がまとめて行われた。その結果、農学部の学科編成は、農業生物、農芸化学、林学、水産、農業経済、農業工学、畜産獣医、林産の8学科(2専修)となった。当時、日本農業の急速な変貌、とりわけ農業就業者の大幅な減少と国民経済に占める農業生産の比重の低下があり、そうした中で農学の教育がどうあるべきか、また農学教育はどのような方向を目指すべきなのか、その選択が求められていた。この間、自然科学の進歩は著しく、農学部の学生にもかなり高度な自然科学の知識が要請されるようになってきた。例えば、農学科から農業生物学科への名称の変更は、ある意味で農学部が直面していたそうした苦悩の象徴であった。農業生物学科の複数コース制は、基礎生物学を共通のベースにしながら、限られた時間内で一定の専門教育を行おうというものであった。昭和39年の農学部規則の改正では、新たに選択必修科目が設けられた。
この時点で、55講座。農業生物学科 10講座(農学第一、第二、第三, 植物病理学, 養蚕学, 育種学, 園芸学第一、第二, 農林物理学・気象学, 放射線遺伝学)、農芸化学科 10講座(肥料学, 生物化学, 栄養化学・畜産栄養学, 有機化学, 醗酵学, 地質学・土壌学, 農産物利用学, 食糧化学, 微生物利用学, 畜産物利用学)、林学科 7講座(林学第一、第二、第三、第四, 森林利用学, 森林植物学, 森林動物学)、林産学科 4講座(森林化学, パルプ学・木材化学, 木材材料学第一、第二)、畜産獣医学科 9講座(畜産学第一、第二, 家畜解剖学, 家畜生理学, 家畜内科学, 家畜外科学, 家畜病理学, 家畜薬理学, 家畜微生物)、水産学科 6講座(水産学第一、第二、第三、第四, 水産海洋学, 水産化学)、農業経済学科 3講座(農政学・経済学第一、第二、第三)、農業工学科 6講座(農地工学, 農業水利学, 農業地水学, 環境調節工学, 農業機械学, 農産機械学)。
農業工学科に農業土木学専修と農業機械学専修を設ける 昭和30年代の農業の機械化の急速な進歩に合わせて、農業機械学専修を新たに分離させた。
畜産学科と獣医学科を合併して畜産獣医学科に改組 両者は、昭和21年に統合されたが、占領軍の指示によって分離されたため、統合が望ましいという考えが底流にあったことと、酪農、養豚、養鶏などの急速な発展ということも背景にあった。
8月1日 農学部中央図書館新築 昭和38年12月7日、国の予算に、ロックフェラー財団の援助資金、卒業生等の寄付金と合わせて建設に着手した。昭和36年に始まる東京大学附属図書館改善計画が進行する中で、医学図書館に続くものであった。
昭和40年(1965年) 3月20日 家畜病院(外科診療室)新築  
4月1日 農学部所在地は地名変更により文京区弥生1丁目1番1号となる 東京大学所在地は、文京区本富士町1番地から文京区本郷7丁目3番1号となった。
附属園芸実験所設置 昭和29年9月に開設された園芸実験所が官制化された。このとき、学生部の土地を薬学部分を除いて移管され、当初は学寮の食堂を研究室に使用していたが、2年後、現在の研究棟が建設された。
放射線育種場共同利用施設設置 放射線育種場共同利用施設は、農林水産省農業生物資源研究所放射線育種場(昭和35年4月設立)のガンマー圃場およびガンマー温室その他の施設を大学等の研究者も共同利用できるようにすることを目的に設立されたもので、植物の放射線による遺伝、育種等に関する研究施設である。
理科系大学院の生物系、数物系、化学系の3研究科を改組し、理学系、医学系、薬学系、工学系、農学系の5研究科を設置 事務組織の複雑化の回避、教育研究の一貫性などから、学部にほぼ対応した研究科の設置が行われた。
5月 大学院農学系研究科規則制定  
5月28日 農学部図書館開館 従来の学科図書館は、新図書館に合併され、学部図書館として学生を利用対象とし、教育・研究のための図書館という性格を明らかにした。また、全館開架式を採用し、利用を学内外に開くなど、当時の国立大学としては利用しやすい図書館として全国的にも注目されるものであった。
農学部図書館開館時のパンフレットの表紙
農学部図書館開館時のパンフレットの表紙
昭和41年(1966年)   農学部4号館竣工 昭和39年に部分竣工。農業工学科が使用。

農学部4号館
現在の家畜病院の前の土地に建設されたが、農学部7号館A棟の建設後に取り壊された。地下1階、地上3階建て。農業工学科の事務室、講義室、実験室、製図室、研究室のほか、途中から教育用計算機センターの学部端末室も置かれた。東京大学卒業アルバム1970年より(東京大学総合図書館蔵)。
昭和42年(1967年) 3月23日 東京大学農学部附属機関長会議規定を制定  
11月30日 農学部2号館別館竣工 農芸化学科の講座増に対応して建設。
昭和43年(1968年) 6月17日 安田講堂封鎖解除のために機動隊導入 医学部の学生処分に端を発した、いわゆる東大紛争が農学部に直接影響を及ぼしたのは昭和43年3月28日の全学の卒業式典の中止以降である。6月15日の医学部学生らによる大講堂占拠と、6月17日に行われた機動隊導入による排除は、農学部自治会、農学部大学院自治会、農学部職員組合における本問題に対する関心を高め、機動隊導入に対する抗議や処分白紙撤回を求める動きが強くなった。
6月18日 教授会層、助手層、および農学部職員組合の三者による懇談会開催  
6月20日 学部学生ストライキ突入  
7月6日 教授会有志、助手会、大学院学生自治会、学生自治会、職員組合の五者による懇談会開催  
10月5日 9月30日以来、理・農・薬学部の各学生自治会が無期限ストライキに突入。10月22日には、全学無期限ストライキ  
昭和44年(1969年) 1月8日 農共闘系学生が農学部1号館を封鎖、全共闘系学生300名により農学部2号館別館を封鎖  
1月11日 農学部学生大会開催、スト解除、封鎖解除を決議 これを受け、1月24日には、実験・演習が再開され、1月27日は、講義が本格的に再開された。その後、学部内は次第に沈静化し、3月の教授会では卒業が決定された。
4月14日 農学系研究科委員会において東京大学大学院農学系研究科大学院学生自治会が公認される  
4月24日 農学部教授懇談会、大学改革基本問題について討論  
6月9日 農学部学生自治会、大学院生学生自治会、職員組合、教授会の四者共催「大学立法反対農学部討論集会」が開催される  
6月16日 臨時教授会において「大学の運営に関する臨時措置法案」に対し、農学部教授会として反対の意を表明することを決定  
7月24日 「農学部改革に関する準備調査委員会」を発足 従来の大学改革、農学部改革に関する熱心な議論をふまえて、農学部教授会は、7つの専門委員会からなる「農学部改革に関する準備調査委員会」を発足させ、いくつかの改革案を検討した。翌年5月には中間報告書がまとめられた。やがて東京大学全体の改革について具体的な提案がなされるようになると、それとの対応関係の中で農学部の改革を具体化すべく、農学部改革委員会が設けられた。「農学部改革に関する準備調査委員会」で検討された改革案は、すべてが実現されたわけではないが、その後の農学部における教育・研究体制のあり方に大きな影響を及ぼすことになった。
昭和45年(1970年) 3月31日 水産実験所は静岡県浜名郡舞阪町に統合移転 昭和30年代に入って高度経済成長期を迎え、伊勢・三河両沿岸の工業の発達、都市化による海水の汚染が障害となり、また、実験所設備の老朽化が進む中で、新しい適地が見つかり、移転することになった。
5月13日 農学部改革に関する準備調査会が中間報告書をまとめる  
昭和46年(1971年) 3月25日 農学部5号館竣工 林産学科が使用。
4月22日 主任・施設長合同会議において定員外職員の定員化のための暫定措置が決定される 3月24日の教授会で基本方針が了承された。その後、7月に学部長と職員組合、学生自治会、大学院生自治会との間で交渉が行われ、当面する諸問題が討議された。その後、学部内は次第に沈静化された。
昭和49年(1974年) 9月19日 環境安全委員会規定について承認  
昭和50年(1975年) 2月27日 農学部附属家畜病院診療規定について承認  
4月1日 農学部附属園芸実験所を緑地植物実験所と改称  
昭和51年(1976年) 5月10日 生物環境制御システムセンターを設置 バイオトロンの老朽化、機能の低下に対応するため、昭和48年、農学部内に新しい生物環境制御施設を設立するための準備委員会が設けられたが、それと並行して農学部内に研究用計算機を導入する計画が進められ、両者を統合する形で、農学における生物環境および情報処理に関する研究を行うことを目的とする新しい研究施設の設立が計画された。建物は、昭和52年8月25日に完成した。現在の農学部6号館である。
    昭和51年撮影の農学部全景
昭和51年撮影の農学部全景
昭和51年撮影の農学部全景(圃場側)
昭和51年撮影の農学部全景(圃場側)
昭和52年(1977年) 1月 農学部図書館は外国雑誌センター館(農学系)に指定 特別に予算の配布を受け、農学分野の外国雑誌の収集と保存にあたるとともに、全国の利用者に対して、その閲覧、複写等文献センターとしての情報サービスを行うことになった。
4月1日 農業生物学科に農業生物学専修と緑地学専修を設ける  
8月25日 生物環境制御システムセンター新築 昭和52年現在の建物配置図
昭和52年現在の建物配置図
    この時点で、66講座。農業生物学科 11講座(農学第一、第二、第三, 植物病理学, 養蚕学, 育種学, 園芸学第一、第二、第三, 農林物理学・気象学, 放射線遺伝学, 害虫学)、農芸化学科 16講座(植物栄養・肥料学, 生物化学, 栄養化学・畜産栄養学, 有機化学, 醗酵学, 地質学・土壌学, 生物有機化学, 食糧化学, 微生物利用学, 畜産物利用学, 分析化学, 酵素学, 農薬学, 微生物学, 食品工学, 放射線微生物学)、林学科 8講座(林学第一、第二、第三、第四, 森林利用学, 森林植物学, 森林動物学, 森林風致計画学講座)、林産学科 6講座(森林化学, 木材化学, 高分子材料学, 木材物理学, 木質材料学, パルプ学・製糸学)、畜産獣医学科 9講座(畜産学第一、第二, 家畜解剖学, 家畜生理学, 家畜内科学, 家畜外科学, 家畜病理学, 家畜薬理学, 家畜微生物)、水産学科 6講座(水産学第一、第二、第三、第四, 水産海洋学, 水産化学)、農業経済学科 4講座(農政学・経済学第一、第二、第三, 農業史)、農業工学科 6講座(農地工学, 農業水利学, 農業地水学, 環境調節工学, 農業機械学, 農産機械学)。
昭和56年(1981年) 4月 大学院農学系研究科畜産学専攻と獣医学専攻を統合し畜産獣医学専攻を設置(修士課程)  
昭和57年(1982年) 4月 放射性同位元素施設設置  
昭和58年(1983年) 4月 畜産獣医学専攻(博士課程)を設置  
昭和59年(1984年) 4月 獣医学学部教育6年制実施 獣医師法の改正による。
生物生産工学研究施設設置 微生物・動植物細胞の大量培養装置、組替えDNA技術による育種実験設備、酵素の大量抽出精製設備等を組み合わせ、新しい生物生産技術の体系的開発研究を行うために立案され、昭和59年度〜61年度の3か年計画によって設置された。
竣工当時の生物生産工学研究施設、現在の生物生産工学研究センター
竣工当時の生物生産工学研究施設、
現在の生物生産工学研究センター

昭和62年(1987年) 4月 大学院農学系研究科専門課程制から専攻制へ  
大学院農学系研究科に応用生命工学専攻(独立専攻)を設置  
5月 生物環境制御システムセンター廃止  
昭和63年(1988年) 4月 畜産獣医学科を獣医学科と改称  
8月 600MHz超伝導フーリエ変換核磁気共鳴装置(NMR)設置  
平成2年(1990年) 1月 林産学科に材料科学・住工学専修と森林バイオマス化学専修を設ける  
4月 大学院農学系研究科畜産獣医学専攻を獣医学専攻と改称し、4年制博士課程となる  
農業工学科の2専修(農業土木学専修・農業機械学専修)制度を廃止し、農業工学科となる  
平成3年(1991年) 4月 大学院農学系研究科に応用動物科学専攻(独立専攻)を設置  
7月 大学院農学生命科学研究科で取得できる学位は、修士(農学)、博士(農学)または博士(獣医学)となった。  
  家畜病院(ベテリナリーメディカルセンター)竣工 従来の家畜病院の内科と外科の施設が統合され、充実した医療設備を備えた新しい家畜病院の建物が新築された。
竣工当時の家畜病院
竣工当時の家畜病院
11月2日 農学部公開セミナー第1回開催 最初のテーマは「バイオサイエンスの世界を拓く」で、以後、(財)農学会との共催で、年2回開催されている。
平成5年(1993年) 4月 生物生産工学研究施設を廃し、生物生産工学研究センター(学内共同教育研究施設)設置(10年時限)  
11月 農学部7号館A棟第1期工事竣工  
農学部図書館別館竣工 これ以前にも、開館以来の蔵書の増加に対応して、昭和45年に地階北側書庫、昭和50年に南側書庫が増設された。
    この時点(大学院重点化が始まるころ)で、71講座。農業生物学科 10講座(農学第二、第三, 植物病理学, 養蚕学, 育種学, 園芸学第一、第二, 生物測定学, 放射線遺伝学, 害虫学)、農芸化学科 16講座(植物栄養・肥料学, 生物化学, 栄養化学・畜産栄養学, 有機化学, 醗酵学, 土壌学, 生物有機化学, 食糧化学, 微生物利用学, 畜産物利用学, 分析化学, 酵素学, 農薬学, 微生物学, 食品工学, 細胞遺伝学)、林学科 8講座(森林経理学, 造林学, 林政学, 森林理水及び砂防学, 森林利用学, 森林植物学, 森林動物学, 森林風致計画学)、林産学科 6講座(森林化学, 木材化学, 高分子材化学, 木材物理学, 木質材料学, パルプ学・製糸学)、獣医学科 14講座(動物育種繁殖学, 獣医解剖学, 獣医生理学, 比較病態生理学, 獣医内科学, 獣医外科学, 獣医病理学, 獣医薬理学, 獣医微生物学, 実験動物学, 獣医公衆衛生学, 獣医臨床病理学, 獣医生化学, 獣医動物行動学)、水産学科 6講座(水産学第一、第二、第三、第四, 水産海洋学, 水産化学)、農業経済学科 5講座(農学第一, 農政学・経済学第一、第二、第三, 農業史)、農業工学科 6講座(農地工学, 農業水利学, 農業地水学, 環境調節工学, 農業機械学, 農産機械学)。

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