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東大農学部の歴史 東大農学部の歴史

駒場農学碑
昭和11年、一高とのキャンパス交換の際に、駒場が農学発祥地であることを伝えるために建てられた。現在、駒場キャンパスの900番教室の南側にある。

正面から見た駒場農学碑正面から見た駒場農学碑

正面から見た駒場農学碑昭和11年6月27日の除幕式のときの写真昭和11年6月27日の除幕式のときの写真(右)との比較
当時に比べ、周囲の景観も変わっている。

駒場農学碑の近影駒場農学碑の近影
會田元研究科長による撮影。

駒場農学碑の左側にある碑文石駒場農学碑の左側にある碑文石
除幕式の写真と異なり、現在はほぼ直立した状態になっている。碑文は以下の通りである。「駒場農学園ハ明治十一年一月二十四日明治天皇親ク此処ニ開校ノ典ヲ挙ケ給ヒシヨリ始メ駒場農学校ト称シ中頃東京農林学校終ニ東京帝国大学農学部ト改メ始終我国農林畜産水産各事業ノ淵源ヲナセリ今ヤ学園ハ一層ノ発展ヲ期シ此地ヲ去ッテ別ニ所ヲ得タリ然レドモ吾等此処ニ業ヲ卒スル者追懐思慕何ソ勝ヘン玆ニ碑ヲ建テ永ク記念ノ標識トス  昭和十一年三月吉日  高橋偵造書」

明治天皇駒場野聖跡碑
明治3年4月17日に駒場野で連兵天覧御幸があったことを記念した碑。昭和12年6月、前田邸敷地内に建てられた。現在、駒場小学校内にある。

正面から見た現在の明治天皇駒場野聖跡碑正面から見た現在の明治天皇駒場野聖跡碑

聖跡碑の裏面の文聖跡碑の裏面の文
内容は以下の通りである。「昭和拾貳年六月建立、駒場野聖蹟保存會顧問 侯爵 前田利爲、駒場野聖蹟保存會長 侯爵 西郷従徳、同副會長 侯爵 東郷彪、同理事長 井川建次郎、同理事 栗田和一、石材業 海老澤政五郎 刻」。上の2つの写真は、駒場小学校の許可を得て撮影したもの。


開校時の農学校正門とその周辺
開校当時の正門は、現在の駒場公園の北側、「上原二丁目南」交差点付近にあった。

開校当時の正門があった付近当時の写真開校当時の正門があった付近と当時の写真(右)
かつて三田用水は、このあたりで道の南から北に向きを変え、そこに橋が架けられていた。右側の建物の奧に開校当時の正門があったと思われる。左右の写真は、ほぼ同じ角度から撮影している。

駒場公園の正門当時の本校教室駒場公園の正門と当時の本校教室(右)
現在の駒場公園の正門は旧前田邸の正門を引き継いだもので、敷地内の開校時の正門より南側に位置している。正門を入り、このあたりから両側に見本園(のちの植物園)が広がり、正面に本校教室があった。

駒場公園内駒場公園内
開校時の本校教室、さらに明治30年の火災で本校教室が焼失した後建てられた農場詰所は、駒場公園奧の広場のあたりにあった。前田邸に移管されて、農場の区画はほとんど残っていないようである。

駒場公園内の旧前田邸洋館2階からの風景農場詰所からの風景駒場公園内の旧前田邸洋館2階からの風景と農場詰所からの風景(右)
右の写真は、明治37年に農場詰所から農場を撮影したもの。現在の旧前田邸洋館はその北側にあり、左の写真はその2階から撮影したものであるが、ほぼ同じ方角を写している。


農科大学の正門とその周辺
明治36年、正門は、現在の駒場キャンパスの炊事門よりさらに東側、山手通りに出る手前のところに移った。

明治36年以降の正門があった付近
明治36年以降の正門があった付近と大正5年ごろの正門(右)
三田用水は、上の開校当時の正門付近でいったん北寄りに方向を変えるが、再び、駒場キャンパスの北側に沿って流れ、このあたりでは、新正門の前を流れていた。現在、三田用水の跡は、目黒区と渋谷区の区界の小道になっている。

正門があった付近から現在の駒場キャンパスの炊事門を望む正門があった付近から現在の駒場キャンパスの炊事門を望む
このあたりは、かつては大学の敷地であった。

養魚池の跡一二郎池
もともと自然の湧き水による池で、駒場時代は養魚池としても使われた。炊事門の脇に残る。

柏蔭舎
このあたりには、開校以来、官舎が建てられていた。現在の柏蔭舎は農学部の歴史とは関係ないが、農学部の演習林の木で建てられたということ(だけ)で、ここに紹介しておく。

炊事門から並木道に向かう道炊事門から並木道に向かう道
開校以来の道で、正面に開校時に建てられた学生寄宿舎があった。

矢内原公園と昭和の初めのころの周辺の風景(右)


並木道とその周辺
明治10年3月、農学校の駒場移転に際し、農場の諸経路には並木を設けることが決められた。とくに、駒場の敷地をほぼ東西に走る銀杏の並木道は、駒場農学部中通りあるいは駒場大路と呼ばれた。昭和10年9月14日、駒場移転式の日、一高校長により「弥生道」と名付けることとされた(第一高等学校六十年史)。

現在の駒場キャンパスの並木道(弥生通り)昭和の初めごろの風景 
現在の駒場キャンパスの並木道と昭和の初めごろの風景(右)
かつての獣医学教室があった付近から撮影。

並木道明治の終わりごろの風景
並木道と明治の終わりごろの風景(右)
かつての動物学及び水産学教室があった付近から撮影。

並木道を西側から望む並木道を西側から望む
かつての農学教室、農芸化学教室があった付近から撮影。

教養学部2号館付近から見た風景昭和初期の教員養成所の教室の写真
教養学部2号館付近から見た風景と昭和初期の教員養成所の教室の写真(右)
手前が水田、その向こう側は畑であったが、現在は、畑であった部分も掘り下げられ、テニスコートとグラウンドになっている。

駒場キャンパス西門付近駒場キャンパス西門付近
現在、駒場キャンパス西側の南北に走る道は、開校のころからあった農場の道である。

ケルネル田圃から駒場キャンパスに続く水路ケルネル田圃から駒場キャンパスに続く水路
かつてはこのあたりも水田が続いていた。會田元研究科長による撮影。


駒場野公園
駒場野公園は、農場の南の端にあり、農学部が弥生に移転した後、農業教員養成所はこの地に残り、さらに東京農業教育専門学校となり、戦後は東京教育大学農学部となった。

駒場野公園入口駒場野公園入口

現在残るケルネル田圃昭和11年撮影のもの現在残るケルネル田圃と昭和11年撮影のもの(右)
右の写真は、「駒場八十年の歩み」東京教育大学農学部より。

ケルネル田圃の近影ケルネル田圃の近影

ケルネル田圃ケルネル田圃
駒場の水田は、駒場野の3つの谷に作られた谷地田で、現在、駒場野公園に残っている水田は、敷地南側の谷に作られたものである。この水田の潅漑水は隣接する湧水池(下の写真)から、他の水田は三田用水から潅漑水をとっていた。會田元研究科長による撮影。

ケルネル田圃の湧水池

駒場野公園内の説明板駒場野公園内の説明板

駒場野公園内の水田の碑駒場野公園内の水田の碑
この水田が農学校の水田の一部で、我が国の最初の試験田、実習田であったことを記した碑。昭和62年10月に建立。筑波大学附属駒場中・高等学校によるもの。

駒場野公園から駒場キャンパスを望む風景かつての農場の風景
駒場野公園から駒場キャンパスを望む風景とかつての農場の風景(右)

西ヶ原周辺
農学校で指導に当たった船津傳次平は、晩年、西ヶ原農事試験場技手となったことから、近くの飛鳥山公園に、船津を顕彰する碑が建てられた。また、西ヶ原には、明治12年、山林局樹木試験場、さらに東京山林学校が設立された。東京山林学校が駒場農学校と合併すると、その地に農商務省蚕病試験場(のちの東京高等蚕糸学校)が置かれた。

船津翁碑船津翁碑
飛鳥山公園内にあり、船津翁こと船津傳次平の故郷の赤城山麓を向いて建っている。

東京高等蚕糸学校発祥の地を示す碑東京高等蚕糸学校発祥の地を示す碑
東京山林学校の敷地跡でもある。


三里塚記念公園
三里塚記念公園は、かつての下総御料牧場の敷地の一部に作られたものである。下総御料牧場は明治時代より我が国の畜産振興に大きな足跡を残し、桜の名所としても親しまれてきたが、東大農学部にとっても、明治の初め、駒場農学校の獣医分科がこの地に誕生し、さらに昭和10年からは牧場実習が行われるなど、密接な関係がある。

獣医学実地教育創始記念碑
三里塚記念公園の敷地内にある。明治11年1月、獣医科を置き、各府県より募集した生徒に実地に即した教育を行い、さらに明治13年11月、変則獣医科が作られたのを記念して、昭和14年、有志らによって建てられた。碑文は以下の通りである。「本邦獣医学の実地教育は明治十一年下総牧場の前身取香種畜場に獣医科を置き国内より募集セル牧羊生を実地教育したるに起因す 当時米人ジョーンズ同ドクトルレーサム、英人ケェー氏等次で之に衝り同十三年変則獣医科と改め場長岩山敬義初代校長となり桑島景連、今泉六郎、西川勝蔵、三浦清吉、新山荘輔等当時の教職に任ぜられたるに始めるものとす  昭和十四年四月創始六十年記念建設 同学有志者」

三里塚記念公園正門と下総御料牧場正門(右)
奥の建物は、御料牧場のあったところに建てられた三里塚御料牧場記念館。右の写真の奥にも事務所が見える。右の写真は、「下総御料牧場史」より(成田市教育委員会蔵、三里塚御料牧場記念館の許可を得て掲載)。

貴賓館
三里塚記念公園の敷地内にある。アップ・ジョーンズの官舎として建てられ、ジョーンズ帰国後、下総牧羊場の事務所として使われていたが、取香種畜場と合併の後、下総御料牧場と改称されて明治21年に現在の三里塚の地に移転したとき、一緒に移築された(「貴賓館」のパンフレットより)。


一高の面影

現在の向陵碑建立当初の写真現在の向陵碑と建立当初の写真(右)
一高とのキャンパス交換の際、一高が存在したことを記念して建てられた。正門横にあったが、現在は、弥生講堂の奥、言問通りに背を向けて建っている。

「一高ここにありき」の碑「一高ここにありき」の碑
碑文には、平成16年開学130周年に当たり、一高同窓会が本格的活動を終えんとするに際し建立されたと書かれている。 駒場キャンパス正門入って左側にある。


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