国際開発農学専修・学部3年生(H・K)

渡航先: ベトナム   
期間: 2018/9/16~2018/9/22

 最も印象に残っているのは、Seed Production Station で聞いた話だ。そこでは、より良い品種を作る研究とそれの評価を行うワークショップが行われており、施設の職員と農家さんが一緒に、良い品種を毎年選んでいる。選ばれた種は、施設周辺の農家だけでなくメコンデルタの沿岸地域の農家にも売られ、農家は自分の土地で新しい品種を試すことになる。これは、農家のモチベーションが高いからというわけではなく、より良い品種を求めて試すことを政府が良しとしているからだという。日本では品種改良は行うが、ベトナムのように毎年農家に導入しない。日本のように同じ品種だけを育てていると病気などの被害を受けた時のリスクが高そうだが、日本はそういった場合の保険が充実している。品種一つに関しても、政府の姿勢や制度が影響するのだと感じた。


国際開発農学専修・学部3年生(F・F)

渡航先: ベトナム   
期間: 2018/9/16~2018/9/22
 
 研修の3日目及び4日目に行われた、講義や水田の視察、Seed Production Stationの訪問等のメコンデルタの農業(特に稲作)に関するアクティビティーが最も印象的であった。水田を視察した地域では、現地から伝統的に行なわれている稲作と、収益性の高いエビ養殖を交互に行っていた。この組み合わせにより、エビ養殖時の病気蔓延リスクを軽減し、有機度の高い循環型の農業が取り組まれていたことに、日本では見られない持続的な農業の形を感じた。ただ、現地には、農家と流通・小売業者との間の力関係のアンバランスという課題があり、これにより生産性の向上が素直に農家の利益に直結しない、という他の問題が存在することも話を聞いていてわかった。日本のJAのような農業者組織を作ることも検討されているようであったが、それにも生産物の質の均一化などの面で障壁が多いと言う。農家と消費者と環境と、それぞれにとっての持続性を一致させることの難しさについて、非常に考えさせられる体験であった。

国際開発農学専修・学部3年生(S・O)

渡航先: ベトナム   
期間: 2018/9/16~2018/9/22

9/17午前:unexpected ordnance(おそらくunexploded ordinance)
 ベトナム戦跡博物館に行った際に説明文によく書かれていた。いわゆる「不発弾」のこと。戦争中に落とされ、または埋められていた爆弾や地雷が戦争終結後も爆発せずに残り、その誤って周辺住人が触れてしまい爆発してしまうもの。民間人が犠牲になることもある。地雷などはどれほど埋まっているか、把握しきれず、また地雷は肢部が吹き飛ぶものの、死に至るような爆発ではないことが多く、住民の後の生活を大きく苦しめることとなる。ベトナム国内はもちろん、隣国のカンボジアなどでもこの不発弾は多く、未だ回収しきれていない地域もある。この不発弾の処理には世界中が協力して除去する国際活動がなされており、日本の自衛隊も1992年にカンボジアでの地雷の除去を行うPKO(Peace Keeping Operation)を実施した。
 日本においても太平洋戦争中の不発弾が線路沿いや学校の校庭から見つかった、というようなニュースは耳に新しい。このように、戦争が終結して80年近く経っても戦争の脅威が除ききれないような事例もあり、決して他人事ではない。

9/18午前:diplomacy between Vietnam and Japan
 日本とベトナムの関係は古くは江戸時代にまで遡り、朱印船による交易がなされていた、とされる歴史が存在する。それ以降は特別な交流はなく、1940年に日本軍が当時フランス領だったインドシナに攻め込み、占領したことから現代におけるベトナムとの関わりが始まる。 
日本とベトナムの国交樹立は1973年、来たベトナム政府との間で国交が樹立された。自由主義勢力下にあった南ベトナムとの国交樹立はもっと早く、1599年には平和条約を締結している。ベトナム戦争時もその国交は途切れることはなかったが、日本政府は早期の戦争終結を世界していたようではある。
 現在、日本とベトナムは緩やかな同盟関係、とも称されており、かなり友好的な関係を築いている。特に経済、貿易面での関係性は深く、将来の成長率がかなり見込めるベトナムに興味を抱く日本企業はかなり多い。日本からベトナムへは機械類の輸出が多く、実際、ベトナム国内ではホンダのバイクがかなり走っているのが見受けられた。逆にベトナムから日本へは機械類や水産物、繊維品などが輸出される。
 ベトナムが日本における様々なものを学ぼうとする姿勢は色々な側面においてみられる。ドイモイによる市場経済への移行において日本の民事訴訟法などの法律を参考にした、ともされる。また、日本への留学も盛んで、全在日留学生のうち、23.1%がベトナムからの留学生である(2017年5月現在)これは1位の中国に次いで、第2位の留学生数の多さである。

9/18午後:VACB
 VACBとは、ベトナムにおいて提唱される農畜水複合体系の営農のことであり、Vuon(果樹園、菜園)、Ao(池)、Chuong(豚舎)、Biogas(バイオガス)を組み合わせたものである。家畜の糞尿はバイオガス・ダイジェスター(BD)で発酵させて得られ、これは調理等に利用される。これにより化石燃料の消費を抑えられる。BDで得られた廃液は養魚の餌として利用される。養殖地の沈殿物は果樹園や菜園の栄養として利用され、また池の水は灌漑用水として利用される。
 この仕組みはいわゆる循環型農法の一つで古来より日本国内において行われていた農法である。これは窒素循環のモデルとしておこなわれていたものである。現在、日本を含む先進国では外部より化学肥料という窒素固定物を投入しており、衛生的にもグレーな部分が多いことから行われていない。一方で発展途上国では化学肥料を購入する資金源に苦しんでおり、また糞尿の処理も未発達であることから、これらの農法は歓迎しているようである。
 このVACB営農システムが行われてきた背景としては、クリーン開発メカニズム(CDM:Clean Development Mechanism)が存在する。先進国が発展途上国においてGHG排出削減事業を行い、その達成度によってクレジットが発酵、配分する仕組みである。これまで、こうした仕組みはエネルギーや工業分野において要されることが多く、農村や農民に直接還元されるような事業が少なかっただけに、この事業は画期的と言える。

9/19午前:salinity water
 “salinity water”とは塩分を含んだ水のことである。ベトナムには乾季と雨季が存在する。乾季には当然雨が降らずに川の流水量が減少する。メコンデルタは標高が低いため、乾季には海水が平野に浸入してくる。そうなると普段稲を栽培している地域では稲作ができなくなり、そのような地域では水田に変わりエビの養殖が行われる。つまり、雨季には稲作を、乾季にはエビの養殖を行うのが一般的である。一方で、近年では水門を締め切るなどして雨季にも乾季にも稲作が栽培できるような仕組みが存在する。これらが可能になったのは灌漑の発達が大きく寄与している。実際、ベトナムとの国境を接するカンボジアではあまり灌漑が普及しておらず、ベトナムに行った時期は雨季であったが、ベトナムが比較的水が少なかったのに対してカンボジアでは水が多く、湖のような印象だった。
 この稲作とエビの養殖を両立する農法は稲作が出来ない時期をどのように有効活用するかという議論が生み出した結論であり、現在ではエビを養殖するよりは稲作をやったほうが良い、という意見から前述した水門の活用がされている。両立した農法は古い、とすればそれで終わりだが、現在起こっている環境問題を解決する可能性がある。エビの養殖地として代表的なのはマングローブ林である。その伐採が現在熱帯地域で問題になっており、その代替案としてこの農法は画期的であると思う。
 “salinity water”が大きな害を及ぼす可能性がある。塩害である。東日本大震災の記憶は新しいが、津波などにより海水が陸上に浸入し、土壌に塩分がのこってしまい、その後に作物栽培に大きな被害を及ぼす可能性がある。

9/19午後:Variety
 “Variety”とは種である。ベトナムにおいて、収量拡大を目指して一年間にかなりの多い数の新種が開発され栽培されている。しかしながら開発されてすぐに農家にでまわるわけではなく、試験場で栽培され、効果が実証されてから農家に販売されるようになる。
 ベトナムにおいての新種導入で最も有名なのは「緑の革命」であろう。1980年代以前、ベトナムに於ける稲作栽培は粗放的であった。浮稲と呼ばれる稲を川沿いに直まきして雨季になったら収穫する、というものであり、収量も少なく、味も良いものではなかった。IR-8と呼ばれる高収量品種の開発により収量は劇的に増加した。この高収量品種の導入には灌漑の導入、肥料は殺虫剤の導入など多額の投資を要するものではあったが、結果としてベトナムは今では世界第3位の米輸出大国になっている。一方で、前述したように高収量品種にはある程度まとまった資金が必要であり、貧富の差が拡大したとも言える。ベトナムはこの頃にドイモイを実施し市場経済を導入したばかりであり、この貧富の差の拡大に拍車をかけたと言えるだろう。
 日本(先進国)とベトナム(発展途上国)では米の品種改良に求めるものが異なる。ベトナムでは量を求める傾向にある。人口は増加傾向にあり、高い品質よりもまずは増える人口を維持するだけの量が求められる。日本ではそれに対して質が求められる。経済発展により豊かな商品時代を迎えており、おいしさを追求する。また、人口増加もわずか、それどころか減少しており、人口を支えるだけの米を必要としない。そのために質を追求する。しかし、ベトナムも近年では経済発展等により質を重視し始めている。

9/20午前:Pineapple
 パイナップルはおおよそ世界中の熱帯地方全域に見られる熱帯性の果物である。英語表記は”Pineapple”つまり松の実である。松の実に似た形状であることからこのような名が名付けられた。
 パイナップルの原産地はブラジルのパラナ川周辺で15世紀にヨーロッパ人が新大陸に到着する頃には新大陸に拡大していた。それをヨーロッパ人達が持ち帰り、インドや東南アジアに拡大させた。
 多年草のパイナップルであるが、年を経るごとに実が小さくなっている。そのため、3年以上同じ株でで栽培されることはない。開花するまでに何年もかかることからかなりの重労働が予想される。一方で栽培条件に土壌があまり依存されない、という特徴がある。パイナップル科の植物は総じていろいろな土壌下で育つ。熱帯地方の痩せた酸性土壌や乾いた土壌でもよく育つ。熱帯地方の土壌はそもそも農業に向いていないがそのような環境下でよく育つパイナップルはこれらの地域の人々にとって受入れやすい植物であったのだと思う。これが熱帯地方で広く広まった要因の一つであると思う。

9/21午後:マングローブ
 マングローブとは海水と淡水の混ざり合う汽水域に生える植物の総称である。熱帯地域にしかはえず、世界最北端のマングローブは日本の鹿児島県に生えている。その最大の特徴は根っこにある。地面から何十本もの根っこが生えており、そこはたくさんの魚類の住処になっている。その魚を得るためにたくさんの哺乳類や鳥類が集まり、豊かな生態系を展開している。それだけではなく、マングローブは高潮から周辺地域住民を守っている、という側面もあり、いろいろな生命の命を守る存在と言える。
 近年、マングローブ林の減少が世界的な問題になっている。理由は炭の原料としての伐採や広大なエビの養殖地造成のためである。これによりこの豊かな生態系の消失、さらには地球温暖化の間接的な要因とされている。これを復活させるために近年では植林活動も行われているようである。
 さて、ベトナムでももちろんマングローブ林は広く広がっている。しかしベトナム戦争時代にマングローブ林を含む熱帯雨林が大きく減少した。アメリカ軍が泥沼化した戦争にしびれを切らし、ベトナム軍のゲリラ戦に対抗した行った措置である。これによりベトナム人の健康にまで大きな被害をもたらした。マングローブ林はその後の植林により広く茂っている。

参考文献
「ベトナムに於けるCDMを活用した農村開発の試み」 廣内慎二・松原英治・泉太郎
「マングローブとは」 沖縄カヤックイーズ

国際開発農学専修・学部3年生(R・K)

渡航先: ベトナム   
期間: 2018/9/16~2018/9/22

9/16~9/22の日程で、ベトナムのホーチミンとカントーを訪れた。そこで得られた学びのうち、特に印象に残ったものを紹介する。現地に行って初めてわかる/感じるものであった。

戦勝証跡博物館
 ベトナム戦争とその後の記録が残っている博物館を訪れた。そこに展示されている写真は、日本では考えられないような生々しいものであった。白黒写真だけでなく、カラー写真もあった。それどころか、ベトナム戦争の際の枯葉剤の影響で奇形になってしまった胎児(流産?)のホルマリン漬けも展示されており、「現実」を目の当たりにしたように感じた。
 ここで私は、「発信すること」について考えた。先にも述べたように、この博物館で展示されていたものは、どれも日本では考えられないほど生々しく、残酷なものであった。このような事実が過去にあったというのはまぎれもない事実であり、そのことから目を背けず、向き合うことは、我々にとって必要なことであるように思う。しかし、先に日本では考えられないとも言ったが、それらの写真や実物を見ることに耐え難い苦痛を感じる人が一定数いることも想像に難くない。日本であまり生々しい描写が許されていないのは、そういう人たちへの配慮もあるからだろう。しかし、このまぎれもない事実を、(例えば広島の原爆ドームなどでも、なかなかに生々しいものもあったが)展示することは大切なのではないかと思う。少なくとも、今回このように実際に見ることができたことは、私にとって貴重な経験になった。したがって、表現を規制するのではなく、見る側に選択権を与えるようにするのがいいのではないかと私は思う。見たくない人は見なくてもよい。しかし、現実と向き合いたい、見たいという人たちの思いが叶わないのは、おかしなことであるように感じた。(この博物館には選択権や注意の看板がなく、違和感も感じたが)日本でも、このような展示物が増え、そして見る/見ないの選択権が与えられるようになればいいと思う。

メコンデルタ地域の農業
 メコンデルタ地域の農業について、現地の人から学び、実際に訪れた。メコンデルタ地域の特徴的な農法は、農水畜複合型農業である。水田において稲作だけをするのではなく、同じ土地を利用してエビを養殖したり、近くの池で魚を育てたり、家畜を飼ったりして、それぞれを相互に関連させながら(ex.家畜の糞を堆肥にする)農業を成り立たせているのである。私たちが訪れた場所では、時期をずらして1つの土地でエビの養殖と稲作をおこなっており、このようにすることで地力を保っていた。
 稲の品種改良についても話をうかがった。日本との大きな違いは、毎年、栽培する種を更新している、という点だ。毎年新しく品種を改良し、それらについて病虫害への耐性、倒れにくさなどの観点から投票を行い、1位を決める。そこで優秀と判断された品種を栽培するのだという(日本では、一度確立された種はブランド化され、それがずっと続くのが一般的である)。品種改良をさかんに行うことは、環境への影響が危惧されることもあるではないか、など疑問も生じる方法であった。