大学院農学生命科学研究科長・農学部長 東原 和成

「自然と人間を生かす農学」

 18世紀のイギリスにおける農業革命は、人類史における重要なターニングポイントの一つとなりましたが、その時に農学という学問分野が誕生しました。森や清流、そして海が育む自然資源を有するわが国では、その特性を背景に農業から林業や水産業に関係する研究を発展させ、それらが農学の中核を担うようになりました。東京大学農学部では、豊かな食環境を実現するために、育種や栽培法の改良など食料生産を向上させる最先端のバイオサイエンス研究、食品の加工・流通の革新的な技術開発研究、そして生産・消費システムをめぐる社会科学研究を融合させて、私たちの生命、生活、そして社会を支える総合学問を発展させてきました。
 一方、近年私たちの農学には、これまでの枠組みの延長では解決できない重要なミッションが新たに課せられています。100億超に人口がなる中で誰もが健康な食を得られる社会をつくるには、20世紀までの経験に基づいた食料問題への対応では不十分です。地球規模の環境問題の解決をあわせて行う新たな「緑の革命」が必要です。私たちは近年の重要課題であるゼロカーボン、One Health、Nature Positiveに関係する教育研究にいち早く取り組んできました。またGreen/Digital Transformation (GX/DX)の目標は、農学ならではの生命科学と情報科学の融合で達成できます。持続可能な社会を維持しながら人類のwell-being(幸福)を向上させるために、生物圏における共生関係を見直し、バイオマス循環、生態系サービスを再生・活用して社会のシステムを再構築する研究を進めています。
 農学部の研究対象生物は、植物だけでなく、動物、昆虫、魚、そして微生物やウイルスなど、目に見えない小生物から大動物まで様々です。そして私たちが特に重要視している側面は、これら生きものと人間との関係です。生命×環境、基礎×応用、生物×化学×物理×数理、分子×個体×社会、のように、無限の組み合わせをクロスして、「生物のしくみを知る」「自然界のモノの性質を知る」「環境・生態系を知る」「ヒトと自然の関係を知る」を目標に、近年の最先端情報科学の手法を使って基礎研究を進めています。そして、その知見を利用するという応用につなげ、さらには社会実装までいくという、基礎から応用、そして社会貢献までのダイナミックな研究をしているのが農学部の特徴になります。
 農学部には、国土の1000分の1を占める演習林をはじめとした附属施設が全国各地にあります。それらを最大限活用しつつ、座学を超えた学びの場を展開し、現場で課題解決のためのデザインができる、地球的な視野と高い倫理観、粘り強い実践力を備えた学生を育てることを目標にしています。その結果、農学部の卒業生は、食料品・飲料などの製造業から、エネルギー関係、医療・福祉、情報・通信、広告、コンサル、公務員、そして学術・研究・教育に至るまで、様々なところで活躍しています。どんなところでも活躍できる足元基盤ができている人材が育成されています。もう一つの特徴は、国際協力の課題を現場で見つける実習や、学生の国際経験を手厚くサポートするプログラムなどを通したグローバル教育の結果、卒業生の多くが国際舞台で活躍しています。
 食料を作り、それを食べて、安心な生活をおくり、ひととの適切なコミュニケーションをとって幸せに生きる、こんな当たり前の何げない生活に、農学は大きな貢献をしています。私たちは自然に生かされています。これからは、人間の欲と地球生命体との相互作用を最適化する考え方が必要です。衣食住・健康に関わる農林水産業という、人類に必須な産業構造を、教育や研究で得られた科学的エビデンスを基礎にした仕組みで再構築することが、農学、ひいては人類の緊急なタスクとなっています。農学部に進学して、食、環境、資源、生命、健康といったキーワードを基軸に、かけがえのない地球の自然と人間との共生のために研究をしてみませんか。

大学院農学生命科学研究科長・農学部長
東原 和成