発表者
平澤  佑啓(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任研究員)
白須  未香(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任助教/
        JST ERATO東原化学感覚シグナルプロジェクト グループリーダー)
岡本  雅子(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任准教授/
        JST ERATO東原化学感覚シグナルプロジェクト グループリーダー)
東原  和成(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 教授/
        JST ERATO東原化学感覚シグナルプロジェクト 研究総括/
       東京大学ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)連携研究者兼任)

発表のポイント

  • 悪臭を嗅いだ際のストレス応答(注1)を調べたところ、交感神経系(注2)の活動に関わるストレス応答のマーカーである唾液中のα-アミラーゼ(注3)の分泌量が増加することが分かりました(図1)。
  • 空気中の悪臭物質の濃度が同じでも、付加される情報によってその匂いを不快と感じるようになれば、α-アミラーゼの分泌量が増加し(図2)、他の匂いと混ざり不快と感じなくなれば、α-アミラーゼの分泌量が増加しないこと(図3)が分かりました。つまり、匂いを不快と思うかどうかで、交感神経系のストレス応答の強さが変わることが示唆されました。
  • 匂いを不快に思わない環境を作ることで、一部の悪臭問題が解決されることが本研究結果から考えられます。また、α-アミラーゼが、悪臭測定のための新たなツールとなる可能性を見出しました。

発表概要

 悪臭は、ヒトに様々な害をもたらします。現代社会では、事業活動に伴う悪臭公害だけでなく、「スメルハラスメント」といった新たなタイプの悪臭トラブルまで、様々な悪臭問題が存在しています。その原因の一つとして、「悪臭の不快感」が引き起こすストレスが考えられていました。しかし、悪臭の不快感が、身体的なストレス応答を引き起こすのか定かではありませんでした。 私達は、悪臭を嗅いだ際のストレス応答を調べることにより、視床下部-下垂体-副腎軸(注4)に関わるストレス応答のマーカーであるコルチゾール(注5)の分泌量は変わらず、交感神経系のストレス応答のマーカーである唾液中のα-アミラーゼ(sAA)の分泌量が増えることを見出しました(図1)。さらに、同一の匂いを嗅ぐ場合でも、不快な言葉が付与されて不快度が増すとsAAの分泌量が増加することや(図2)、快い匂いを混ぜて不快度が低下するとsAAの分泌量が増加しないこと(図3)も明らかにしました。本研究結果から、悪臭は、交感神経系のストレス反応を起こすこと、その反応は、匂いの不快感に応じて高まることが示唆されました。今回の成果により、現代社会で発生している一部の悪臭問題は、原因となる匂いを不快と感じないような環境を作れば解決される可能性が見出されました。また、本研究成果を応用することで、生体のストレス反応に基づく、客観的な悪臭の評価が可能になることが期待されます。

発表内容


図1 悪臭を嗅ぐと交感神経系に関わるストレス応答が引き起こされる
悪臭を嗅ぐと交感神経系に関わるストレス応答のマーカーである唾液中のα-アミラーゼ(sAA)の分泌量が増加することが分かりました。


図2 同じ匂いであっても、情報によって不快度が変わればストレス応答も変動する
二つの実験参加者グループに対して、一方は快でも不快でもない情報と共に匂いを呈示し(中立情報付加グループ)、もう一方は不快な情報と共に匂いを呈示(不快情報付加グループ)しました。中立情報付加グループでは、匂いを不快と感じずにα-アミラーゼの分泌量の変動も見られませんでした。対して、不快情報付加グループでは、匂いを不快に感じα-アミラーゼの分泌量も増加しました。同じ匂い物質であっても、嗅ぐときにその匂いを不快と思うか否かで、引き起こされるストレス応答の強さが変動することが示唆されました。


図3 悪臭物質であっても、他の匂いと混ざり不快と感じなくなればストレス応答が弱まる
α-アミラーゼの分泌を増加させる悪臭物質であっても、他の匂いと混ざり、不快と感じなくなればα-アミラーゼの分泌量の増加は引き起こされなくなりました。悪臭物質が鼻孔に届いていても、他の匂い物質が介在して、不快と感じなくなればストレス応答が引き起こされなくなることが、示唆されました。

 悪臭は、ヒトの気分を害し、生活の質を低下させます。また、近年、普段は悪臭とみなされない食品や香粧品の香りが状況により身体への害を及ぼす、従来とは異なる匂いトラブルが問題視されています。現代社会では、古くからある悪臭公害だけでなく、「スメルハラスメント」や「香害」といった新たなタイプの悪臭トラブルまで、様々な悪臭問題が存在しています。
 悪臭がヒトに害を及ぼす原因の一つとして、悪臭の不快感が引き起こすストレスが考えられています。しかしながら、今までの悪臭がヒトに及ぼす影響を調べた研究は、実社会で悪臭被害が発生している地域のヒトを調べるフィールド調査が主だったため、粉塵や毒性物質の影響が加味された結果であり、悪臭の不快感が、生体のストレス応答を起こすのかどうかは定かではありませんでした。そこで、我々は、悪臭の不快感がストレス応答を引き起こすのかを詳細に調べました。
 まず、実験参加者に悪臭を嗅がせ、どのようなストレス応答が引き起こされるか調べました。悪臭物質として、日本の悪臭防止法(注6)で定められている、足の裏の匂い様のイソ吉草酸や強烈なニンニクの匂い様であるジメチルジスルフィドなどを用いました。主なストレス応答系としてよく知られている、視床下部-下垂体-副腎軸と交感神経系の活動を、それぞれのバイオマーカーである唾液中のコルチゾールとα-アミラーゼ(sAA)を測定することで調べました。その結果、どの悪臭物質を呈示した場合でも、コルチゾールの分泌量は有意に変化しませんでした。一方で、不快度の高い悪臭物質は、sAAの分泌量を有意に増加させました(図1)。この結果から、悪臭物質を嗅ぐことで交感神経系に関わるストレス応答系の活動が高まることが示されました。
 次に、ストレス応答が特定の悪臭物質に対して引き起こされるのか、匂いからの不快感によって生じるのかを調べました。先行研究から同じ匂いであっても、付加される情報によって不快度が変化する現象が知られています。この現象を用いて、呈示する匂いの不快度を操作し、ストレス応答の変化を調べました(図2)。匂い物質として、ニンニクが含まれた料理から感じる程度のニンニク様臭に希釈したジメチルジスルフィドを用いました。匂いを呈示する際には、一方の参加者グループ(中立情報付加グループ)には「Aと書かれたビンに入っている匂いを嗅いで下さい」と、もう一方の参加者グループ(不快情報付加グループ)には「口臭の匂い成分が入っている、Aと書かれたビンの匂いを嗅いで下さい」というようにしました。そして、sAAの分泌量を測定しました。その結果、中立情報付加グループでは、ジメチルジスルフィド呈示時のsAAの分泌量の変化とコントロールである空ビンを呈示したときの間に有意な差はありませんでした。一方で、不快情報付加グループでは、ジメチルジスルフィド呈示時には空ビン呈示に比べて、有意にsAAの分泌量が増加しました。この結果から、匂いを嗅ぐシチュエーションによって、その匂いの不快度が高くなれば、引き起こされる交感神経系に関わるストレス応答が大きくなることが明らかとなりました。
 さらに、悪臭物質に他の匂い物質を混ぜて、不快度が低下した場合、ストレス応答が抑えられるのかも検証しました。悪臭物質であるイソ吉草酸を呈示、または、イソ吉草酸とバニラの香りの主成分であるバニリンとの混合臭(注7)を呈示して、sAAの分泌量の変化を測定しました(図3)。その結果、イソ吉草酸のみの呈示では、空ビンを呈示したときに比べてsAAの分泌量が有意に増加したのに対し、バニリンとの混合臭では有意な差がありませんでした。また、実験参加者の多くはイソ吉草酸の匂いの質を、「納豆」、「汗」、「足」に関わるものと表現していましたが、バニリンとの混合臭については、「チョコレート」っぽい匂いと表現していました。なお、実験で呈示したイソ吉草酸のみが入った匂いビンと、イソ吉草酸とバニリンが入った匂いビンの気相中に含まれるイソ吉草酸の量をガスクロマトグラフ質量分析計で測定したところ、両者に有意な差は無く、鼻孔に届くイソ吉草酸の量はどちらの匂いビンを嗅いでも同じということでした。以上の結果から、悪臭物質であっても他の匂い物質と共に嗅がれて、不快と感じられなくなれば交感神経系に関わるストレス応答が引き起こされないことが示唆されました。
 最後に、本研究で示された全ての結果を用いて、匂い物質の不快度とその匂いを嗅いだときのsAAの分泌量の関係について調べました。その結果、匂い物質の不快度とsAAの分泌量の間に有意な相関関係が見られました。この結果からも、匂いから受ける不快度が高ければ、交感神経系に関わるストレス応答が引き起こされることが示されました。
 本研究結果から、悪臭の不快感に応じてsAAの分泌量が変化する、つまり交感神経系に関わるストレス応答が変化することが明らかとなりました。また、匂いを嗅ぐ状況に応じて、その匂いを不快に感じればsAAの分泌量も増加することが示されました。
 今回の研究成果から、現代社会で発生している「スメルハラスメント」や「香害」といった本来快いとされる匂いにより引き起こされている悪臭問題の一部は、その匂いを不快と感じさせないような環境を整えることにより解決されることが考えられます。さらに、sAAは悪臭の評価に応用できる可能性があります。現在、悪臭の評価には多くの場合、主観的な評価または、特定の悪臭物質の濃度測定が使用されています。しかし、本研究でも示された通り、匂いの不快度は、同じ悪臭物質の存在下でも、状況によって異なります。また、快いとされる匂いが引き起こす悪臭問題では、指定された悪臭物質の濃度を計るだけでは、悪臭問題を適切に評価することが困難です。もし、sAAを悪臭の評価に使えば、被害を受けている人がストレスを受けているのかどうかという観点から、客観的かつ様々な匂いについての悪臭評価を行うことができます。本研究により明らかとなった、悪臭とストレス応答の関係を下地に、現代社会を取り巻く様々な悪臭問題が解決されることが期待されます。

発表雑誌

雑誌名
Psychoneuroendocrinology」(オンライン版:3月22日付)
論文タイトル
Subjective unpleasantness of malodors induces a stress response
著者
Yukei Hirasawa, Mika Shirasu, Masako Okamoto¶ and Kazushige Touhara¶(¶ corresponding authors)
DOI番号
10.1016/j.psyneuen.2019.03.018
論文URL
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0306453018312125?via%3Dihub

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 生物化学研究室
特任准教授 岡本 雅子(おかもと まさこ)
Tel:03-5841-8043
E-mail:a-okmoto<アット>mail.ecc.u-tokyo.ac.jp <アット>を@に変えてください。

東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 生物化学研究室
教授 東原 和成(とうはら かずしげ)
Tel:03-5841-5109 Fax:03-5841-8024 
E-mail:ktouhara<アット>mail.ecc.u-tokyo.ac.jp <アット>を@に変えてください。 
研究室URL:http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/biological-chemistry/

用語解説

  • 注1 ストレス応答
    ストレスは、一般的に生物の恒常性が脅かされた状態と定義される。恒常性が脅かされた状態を、正常な状態に戻すために生体が行う様々な対応をストレス応答という。
  • 注2 交感神経系
    自律神経系の一つ。ストレスを受けると、心拍数や血圧の上昇や発汗の促進といった、交感神経系に関わる生理変化が起こる。交感神経系の活動を変化させることで、生体がストレッサーへの対応を行っていると考えられる。
  • 注3 α-アミラーゼ(sAA)
    デンプンやグリコーゲンを多糖やマルトースなどに分解する酵素。交感神経系の活動が高まると、唾液腺からの放出が促される。よって、近年は交感神経系に関わるストレス応答の指標として用いられる様になった。
  • 注4 視床下部-下垂体-副腎軸
    ストレスに対する生体反応を制御するシステム。脳の視床下部から副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモンが放出され、下垂体に作用し、副腎皮質刺激ホルモンが放出される。そのホルモンがさらに副腎皮質に作用し、コルチゾールなどのグルココルチコイドを放出させる。
  • 注5 コルチゾール
    副腎皮質から放出されるホルモンの一種。コルチゾールは血糖の上昇や抗炎症作用があり、ストレス応答を引き起こす物質とされている。血中に放出されたコルチゾールは、毛細血管から唾液腺に浸透して、唾液中にも拡散される。。
  • 注6 悪臭防止法
    生活環境を保全することを目的とし、規制地域での事業活動に伴って発生する悪臭を規制する法律。この法律の中で、不快な匂いの原因となり生活環境を損なう恐れのある物質として、現在22物質が定められている。
  • 注7 混合臭
    匂いの感覚は、揮発性の有機化合物が鼻腔内にある嗅覚受容体に受容されることによって生じる。ヒトでは嗅覚受容体が約400種類存在し、匂い物質が結合する嗅覚受容体のパターンにより、匂いの質が異なる。混合臭は、複数の匂い物質が混ざった混合物である。混合臭の匂いの質は、単純に各々の物質を嗅いだときに感じた質を足したものではなく、新たな匂いの質として感じられることがある。