発表者
日浦   勉(東京大学大学院農学生命科学研究科生圏システム学専攻 教授)
吉岡   颯(北海道大学大学院環境科学院生物圏科学専攻 修士課程:当時)
松永   壮(株式会社大気社 主任研究員)
斉藤  拓也(国立環境研究所地球システム領域 主幹研究員)
甲山  哲生(北海道大学大学院環境科学院生物圏科学専攻 研究員:当時)
楠本  倫久(森林研究整備機構森林総合研究所 主任研究員)
内山 憲太郎(森林研究整備機構森林総合研究所 主任研究員)
陶山  佳久(東北大学大学院農学研究科資源生物科学専攻 教授)
津村  義彦(筑波大学生命環境系 教授)

発表のポイント

  • スギによる生物起源揮発性有機化合物(BVOC・注1)の放出パタンが地域的な集団によって大きく異なることを発見しました。
  • BVOCの組成と量が、気候だけでなく病原菌組成にも影響を受けている可能性を示しました。
  • 樹木が生育する地域の環境に適応するため、化学的な防御手段をどのように進化させてきたかを探る鍵となり、今後の育種や森林管理の基盤となるでしょう。

発表概要

 一般に「森の香り」として知られる生物起源の揮発性有機化合物(BVOC)は、さまざまな環境ストレスに対する植物などの抵抗力に大きな役割を果たしており、大量に放出される場合は周辺の大気環境にも重要な影響を与えると考えられています。しかし、地理的規模での物理的環境や生物的環境が、放出物質の多様化とどのように関係しているのかについては、ほとんど知られていません。
 東京大学大学院農学生命科学研究科の日浦教授らのグループは、遺伝的に異なる全国12集団の天然スギから放出されるBVOCを同一環境下で定量し、テルペン類(注2)の組成と量が集団によって大きく異なることを明らかにしました(図1)。さらに同グループは、BVOC放出は集団が分布する地域の気候だけでなく、病原菌組成とも密接な関係にあることを見出しました(図2)。
優占樹種の機能的な特徴は生態系に波及的に影響を及ぼすため、今後は全国に大規模に植栽されているスギのさまざまな地域系統品種の機能に注目するとともに、BVOCを介した樹木と病原菌の相互作用も考慮した育種や管理が、気候変動対策としても求められるでしょう。

発表内容

図1 12集団のスギから放出されるテルペン類の組成と量。略号は集団名。


図2 多変量解析によるスギを宿主とする病原菌群集組成の地理的構造(a)、菌類群集組成を特徴付ける菌類種の機能群(b)、菌類群集組成と関係する蓄積テルペン(c)、菌類群集組成と関係する放出テルペン類(d)。aの略号は集団名、bの略号は菌種名(茶色は褐色腐朽菌、緑は花や葉に寄生する菌、青は白色腐朽菌)、cとdは菌類群集組成と関係を示したテルペン類の化合物名。

 BVOCは物理的・生物的なさまざまな環境ストレスに対して植物などが防御するための手段と考えられています。このためBVOCの組成や量は、同一樹種でも生育する地域の気候や他の生物との生態学的相互作用の進化の結果として、局所的に大きく異なる可能性があります。しかし植物のBVOC放出の種内変異を明らかにした例はこれまでほとんどありません。また、スギは全国に分布し我が国で最もバイオマス蓄積の高い樹木であるため、そのBVOC放出の地理的多様性は、生物間相互作用のみならず地域の大気化学過程にまで影響を及ぼす可能性があると考えられますが、これまでその実態はほとんど明らかになっていませんでした。
 そこで東京大学大学院農学生命科学研究科の日浦教授らのグループは、共通圃場で生育するスギの12地域の集団を用いて、葉に蓄積および葉から放出されるテルペン類の多様性を明らかにしました。その結果、11種のモノテルペン、6種のセスキテルペン、2種のジテルペンが検出され、放出されるテルペン類が高度に多様化し、地理的に構造化されていることが明らかになりました(図1)。特に、テルペン類の中でも大きな分子量を持つジテルペンについては、近年まで揮発する性質を持つとは考えられていませんでしたが、このようなスギによる大量の放出はエアロゾル形成などを通して気候へも影響する可能性さえ考えられます。
 一方、既存文献によるスギを宿主とする158種の真菌の在データから、全国50箇所の真菌群集の組成を推定し、北海道、本州、四国、九州でそれぞれまとまりのある群集組成であることが分かりました(図2a)。葉に蓄積されたテルペン類の総量は、温暖で雪の少ない気候と負の関係がありましたが、一部の放出テルペン類はスギを宿主とする病原性真菌種と関係していました(図2d)。さらに驚くべきことに、花や葉に寄生するタイプ、材を褐色腐朽させるタイプといった菌類の機能群の一部の種が放出テルペンの地理的構造を特徴付けていたのです(図2bd)。このように集団間でのテルペン類の蓄積や放出の量・組成の多様化は、気候だけでなく生物学的な相互作用を介した病原菌群集の組成によっても影響を受けていることが示唆されました。
 本研究では、遺伝的に分化した大きなバイオマス量を持つ樹種を用いて、BVOCの放出が地理的にどのように構造化されているかを明らかにしました。優占樹種の機能的な特徴は生態系に連鎖的に影響を及ぼすため、今後は全国に大規模に植栽されているスギのさまざまな地域系統品種の機能に注目するだけでなく、BVOCを介した樹木と病原菌の相互作用も考慮した育種や管理が気候変動対策としても求められるでしょう。生態学、進化生物学、大気化学を融合させたアプローチは、森林の生態系サービスを評価する上でも今後ますます重要になってくると考えられます。

発表雑誌

雑誌名
Scientific Reports
論文タイトル
Diversification of terpenoid emissions proposes a geographic structure based on climate and pathogen composition in Japanese cedar
著者
Tsutom Hiura*, Hayate Yoshioka, Sou N. Matsunaga, Takuya Saito, Tetsuo I. Kohyama, Norihisa Kusumoto, Kentaro Uchiyama, Yoshihisa Suyama, and Yoshihiko Tsumura(*責任著者)
DOI番号
10.1038/s41598-021-87810-x
論文URL
https://www.nature.com/articles/s41598-021-87810-x

問い合わせ先

東京大学 大学院農学生命科学研究科 生圏システム学専攻 森圏管理学研究室
教授 日浦 勉(ひうら つとむ)
Tel:03-5841-8207
E-mail:hiura<アット>g.ecc.u-tokyo.ac.jp  <アット>を@に変えてください。

用語解説

  • 注1 生物起源揮発性有機化合物
     植物などから放出されるガス状の有機化合物で、テルペン類などその一部は森の香りの元となっている。大気中での反応性が高く、大量の放出はエアロゾル(微粒子)形成などを通して気候へも影響すると考えられている。
  • 注2 テルペン類
     イソプレン単位(C5H8)から構成される炭化水素で、植物などによって作り出される生体物質。イソプレン単位の数に応じてモノテルペン(C10)、セスキテルペン(C15)、ジテルペン(C20)と呼ばれる。